異世界の風 (作:紫生サラ)
「……えっ?」
深夜のコンビニ。レジ前の棚を私は思わず二度見した。
自宅から歩いて十分。何を間違えたのか住宅街から外れた寂しげな所に建つコンビニは、煌々と明かりを保ちながら二十四時間営業を厳守している。
全国チェーンのコンビニであるにも関わらずその無謀な立地のためか、私が知るかぎりいつも閑散としていた。
個人的には、家から一番近い場所にあるコンビニでもあり、よく利用させてもらっている。今も、深夜だというのに小腹がすいたために夜食を買いに出てきてしまった。
夜闇にぽっかりと浮かぶ島のようなその場所に足を踏み入れてすぐの事だった。
『異世界の風、詰めました』
目に飛び込んできたのはそんな文字。
缶詰だ。所謂四二十五グラムの桃缶のような大きさの缶詰。
本体に巻かれた白地のラベルには、毛筆で書かれたような達筆な文字で書かれている。丁寧な事に一文字ずつ違う色のパステルカラーで文字だけが書かれ、イラストなどは何もない。それが棚にポツンと一つ。
異世界の風詰めました? って、いう缶詰? という事は、この中身は異世界の風?
「いやいや……」
異世界って何さ。それに、缶詰って?
私は夜食を買いに来たのも忘れて缶詰の前で腕を組んでいた。
棚の上にはこの缶詰が一つしかない。つまり、最後の一つなのだろう。もっと言えば、きっと売れたのだろう。コンビニでたった一個入荷して売るという事は考えづらい。
だとすれば、もしかして意外と人気商品なのだろうか?
「待てよ」
ふと閃いた。
そうか、もしかして、コンビニくじか?
例えば、流行のアニメか何かがモチーフになっているとか、その中に出て来る缶詰とか?
と思ったが、横に目をやれば、そちらにコンビニくじ用に特設された棚があった。
今回のコンビニくじは「俺は改造人」という特撮ヒーローをモチーフにしたアニメのくじのようだ。
A賞はディフォルメされたカピバランZという怪人のぬいぐるみ、B賞は、如何にもヒーロー的なデザインのジャスティスタイガーというキャラのリアルなフィギアだ。
「……?」
私はその番組を見た事がないのでわからないが、何故、見た目からしても、名前からしても正義の味方と思われるジャスティスタイガーがB賞で、怪人の方がA賞なのだろう?
景品のバランスが悪の組織寄りなのが若干気になるが、D賞のウルトラ・ショッカーという組織のエンブレムがデザインされたマグカップは少しほしい気もする。
いや、それは置いておくとして。
「あれが、景品ってことは、こっちは違うのか……?」
缶詰を手にとって見てみると、当然の事もかもしれないがとても軽い。中身はやはり風だからだろうか。
ひっくり返してみると、底の部分にちゃんと値札が貼ってあった。一個五百円だ。
「五百円って……」
正直、高いのか安いのかよくわからない。
そもそも、これは所謂ジョーク商品なのだろう。値段など気にしてはいけないのかもしれない。
確か、富士山の空気を詰めたとか、霧を詰めたとか、そんな缶詰があるという話を聞いた事がある。もちろん、中身は空だ。空気を詰めているのだから当たり前なのだが。
しかし、ジョーク商品にしては、この缶詰のラベルに、異世界を想像させるためのイラストがあってもよさそうなものだ。
普通に考えれば、中身は空なわけだし、外のラベルのイラストで想像力を刺激して楽しませてもいいはずなのに。
というか、異世界だというからには、そうでなければおかしいではないか。それなのに、白地に毛筆体の文字だけ。しかもパステルカラー。
一体、どんな異世界なのか、そもそも想像しにくい。
もしかして、中身に何か仕掛けがあるのだろうか?
缶を耳元で軽く振ってみたが、音はしない。何かが中で移動したような感触も伝わってこない。やはり、十中八九空だ。もし入っていたとしても、かなり軽い物。例えば、説明書のようなものが缶の中で動かないような形で入っているのかもしれない。
「そうか!」
もしかしたら、空気そのものに仕掛けがあるのかもしれない。
例えば、異世界をイメージした香り、とか……? でも、それって、どんな匂いだ?
エキゾチックな? もしくはシトラス系の? ミント系とか?
考えてみるが、どれもしっくりこない。
私は異世界缶を手に取りながら、すでに十分ほど考え込んでいた。
「……?」
ふと、その視線に気がついた。
振り返ってみると、レジに立った女の店員の突き刺さるような鋭い視線がジッとこちらを睨んでいた。
正確には、睨んでいるような「気配」だった。と言うのも、彼女の前髪は長く、すっかりと 両目を隠していたからだ。この位置からでは彼女の目を見ることはできない。色白のすっきりとした顎と顔立ちを艶やかな黒髪で三分の一ほどを隠してしまっている。黒髪と対照的な白い肌に妙に赤く色っぽい唇がとにかく印象的だ。
コンビニの制服を着ているにも関わらず、彼女は店内の雰囲気から酷く浮いている。
店内に流れるコンビニの軽快なテーマソングとは裏腹にどことなくゾクゾクとさせるような 冷たい雰囲気の女だった。
いつからそこにいたのか?
その視線はいつから向けられていたのか。私が気付かなかっただけで、もうずいぶんと見られていたのか……?
どちらにしろ、彼女の視線は、私の心をざわつかせた。
敵意とはまでは言わないが、少なくとも歓迎はされていない事は確かだ。
私は、視線を反らしたが、女の目は変わらずにこちらに向けられている。
商品に触っていただけでこんなに怒りを買うなんて事があるだろうか?
背中を向けたままでもわかるほどに女の視線は私の背中に突き刺さってくる。
私はこの場にいるのがつらくなり、女の視線から逃げるように店内奥へと回り込んだ。
「……」
思わず異世界缶を持ってきてしまった。
慌てて置きに戻ろうかと思ったが、今更置きに行くのも不自然だと思い留まる。
仕方なく、異世界缶と当初の予定通り缶コーヒー、足早におにぎり三つを手にしてレジへと置いた。
女は前髪の奥から私を値踏みするような鋭く冷ややかな瞳を向け、「いらっしゃいませ」も言わずに愛想もなくレジを打ち始めた。
無言のまま、女がすばやく正確な手つきで袋に商品を入れていく。私は早くそれが終わらないかとそわそわしながら見守っていた。
「……やっと……か」
「えっ?」
不意に女の口から声が漏れた。
しかし、店内の軽快なコンビニテーマソングによって何かを言った女の言葉が聞き取れず、聞き返すように顔を上げた所で商品を詰め込まれた袋を差し出された。
「あ、ああ、どうも……」
私は商品を受け取ると、追われるようにコンビニを後にした。
コンビニの光が吸い込まれる夜道。私は家に帰るために歩き出す。
少し肌寒く感じながら、来る時には何も思わなかった夜闇が、今は妙に暗く感じる。
風が出てきている。
冷たい湿気を含んだ重い風が口や鼻を塞いだように何だか息苦しい。
私は何度か後ろを振り返りながら、足早に家へと急いだ。
「……ふぅ」
玄関を開けると部屋の奥から白が少なめの大型三毛犬バーニーズマウンテンドックのフレンが尻尾をわさわさと振りながら上機嫌で出迎えてくれた。
「ただいま」
フレンの頭を撫でると、フレンは何か催促するようにくるくると回る。
「遊んでほしいのか? 今日はもう遅いから、ロデムに遊んでもらうんだぞ」
私はフレンの首の辺りを撫でながらそう言った。フレンはその言葉を理解したのか、何だか首を上下させている。
ロデムとはフレンよりも先にこの家に同居していた黒猫である。
猫と犬で違いはあるが、フレンとロデムは仲がいい。もっとも私が知るかぎりではロデムは寝ている事が多いが。おそらく私が留守の間に一緒に遊んでいるのではないかと思う。
私が部屋のドアを開けると、こちらに目を向けたロデムと目があった。今まで寝ていたのかもしれない。お気に入りのソファの定位置で香箱に座っていた。
後について来たフレンを部屋に入れると、私はコンビニで買ってきたものをデスクの上で広げた。
缶コーヒーとおにぎり、それに缶詰。
缶コーヒーを開け、口をつけながら異世界缶を眺めた。
勢いで買ってきてしまったが、正直後悔していた。
冷静に考えてみると、コンビニで売っているからこそ普通の商品のような気もするが、
ジョーク商品にあるような「この商品はジョーク商品です」などの記載や注意事項、普通の缶詰なら存在するであろう、製造年月日や賞味期限の記載、原材料など、とにかくそう言った類のものが一切存在しない。
何とも怪しすぎる商品だ。
それに、あの店員だって……。
「ぎゃっ!?」
「!?」
突然、背後で上がった奇声に緊張が走る。
私は思わず振り返った。
振り返ると、上機嫌に尻尾を振るフレンの手の下にロデムの尻尾があった。
「なんだ……ロデムに遊んでもらっていたのか……」
私はふっと力が抜けると、買ってきたおにぎりの封を切った。
たらこのおにぎりに海苔を巻きながら、ふと思い当たった。
「そうだ」
コンビニで売っている商品なのだから、もしかしたらネットで検索してみれば?
私は、早速パソコンを立ち上げ、缶のラベルにある名前を検索欄に打ち込んで見た。
「うん?」
予報では雨だったのか?
雨が窓を濡らし、景色を歪める。
歩き出すような速度で雨音が窓を濡らしはじめると、瞬く間に駆け出していた。
ずいぶんと降り始めたな……。
堰を切ったような雨は、外から伝わる音を消し、見通すだけの視界を奪っていた。
検索はヒットしない。
……。だったら……。
考えるかぎり、文言を幾つか変えてみたが、やはりヒットしない。大手ショッピングサイトでも見つける事が出来ない。
コンビニで売られている商品がヒットしないという事があるのだろうか?
新しい商品だから? それともマイナー商品だから?
私はじっと缶詰を見つめた。
存在しない商品だから?
「あの時……あの女、なんて言ったんだ?」
雨のせいか、ひんやりと部屋の温度が落ちていく。
缶詰を見つめながら、レジを打った前髪の長い女の事を思い出そうと努力したが、あれほど印象深かったにも関わらず、まるで、その部分だけ抜き取られたかのように顔を思い出すことができない。彼女は確かに何かを言ったはずだ。思い出そうとすると、あの赤いい唇ばかりが思い浮かんできてしまう。
僅かに開いた唇は確かに言葉を零していた。だが、私の耳はその言葉を拾う事ができていなかった。
なんて言っていたんだ?
私はおもむろに缶を手にする。
イージーオープンタイプの缶。
プルトップに指を掛ければすぐに開ける事ができる……。
「……」
「えっ!?」
ひやりとした気配が背中を突き、私はまた振り返る。その瞬間全身の毛孔から汗が噴き出した。
照明の明かりを吸い込む暗がりの廊下にその女は立っていた。
鍵は? いつ? ドアは? どうして? フレン? ロデム?
フレンとロデムには見えていないのか、二匹は変わらずその場で遊び続けている。
「……のね?」
女の声。赤い唇の女。
その声は激しさを増す風と雨音に削られ、私の耳は欠片だけを僅かに拾う。
その場に張りつたように身動きの取れない私に向かい、赤い唇の女は影が揺れるように私に向かい足を進める。黒い前髪が長い。顔は見えず、透き通るような白い肌に鮮烈な赤。
フレンもロデムもその存在に気が付かない。
「開けたのね?」
「……!?」
あ、開けた?
自分の手に握られた缶を見た。缶の蓋は僅かに開いている。中身は、見えない。
開けた? 今、缶を、開けたから!?
「……っ!?」
声が出ない。体が動かない。腕を動かす事はおろか、瞬きすらできず、目はまっすぐにこちらに向かい進む女の姿を見せられていた。
女が足音もなく近寄り、その顔を私の顔に近づける。
「!?」
鼻と鼻が触れ合いそうなほど近づいた所で、女の前髪の奥からその瞳を見た。
☆彡
気がつくと、どうやら私はデスクで座ったまま電気もパソコンもつけたまま眠ってしまったようだった。
雨はすっかりと上がり、窓からが朝日が差し込んでいた。
「……夢?」
見ると、私の左手には缶が握られたままだ。缶はまだ開けられていない。
夢だったのだろう。
ひどい夢だった。
眠っていたというのに疲労が体に圧し掛かる。首や腰が痛い。それ以上に缶を握っていた手が痺れている。
私は缶をデスクの上に置くと、横になったフレンを枕に寝ているロデムの姿を見た。
女が通ってきたはずの場所は誰かが歩いたような形跡はない。
やはり夢だったのだ。
私は手に張り付いたように握られていた缶をもう一度見た。
「……」
まだ、開けていなかった缶の蓋に私はゆっくりと指をひっかける。
「……くっ!」
私は思い切って缶を開け放った。
「……?」
沈黙。
何もない。中身は何もない。空っぽだ。紙一枚入っていない。
何もないという事に、がっかりするというよりも私はどこか安心し息をついていた。
一応匂いを嗅いでみたが、特にこれと言った匂いもしない。
「まあ、当たり前か……」
あの店員に睨まれたことが、相当印象に残っていたのか、妙な夢を見てしまった。
私は開け放った缶詰を本棚に飾る事にした。何かの機会に話のネタにしよう。
それから一週間後の事。
私はあの時と同じ曜日、同じ時間にあのコンビニへと夜食を買うためにやってきた。
私はあの缶詰の置いてあった棚を見た。
すでに商品は入れ替わり、季節限定商品が入れ替わりで置かれている。
売れ行きがいいのか、その隣の棚の「俺は改造人間」のコンビニくじはずいぶん景品が少なくなってしまっているが、ウルトラ・ショッカーのマグカップはまだ残っていた。
「すみません、くじを一回」
「はいー、くじすっね」
「……」
微妙に語尾を上げるチャラい雰囲気の若い男の店員にくじの代金を支払いながら、私はあの女の店員はいないのかと視界を巡らせた。
見当たらない。同じ時間なのだから、いてもよさそうなものだが。
彼女の姿を一目見ておきたかった。彼女の印象が強すぎて、気になっていたのだ。
できれば、もう一目見て印象を改めておきたかったのである。
「あの、すみません」
「はい?」
「この時間に働いている若い女性の店員さんっていますよね? こう、前髪が長い子で」
こんな質問をして勘違いをされるかと思ったが、私は思い切って聞いてみた。
「髪の長い? うーん、自分、最近この時間に変わったばっかりなんでよくわからないッスね。名前とかわかりますか?」
彼、坂本君は自分の名札を見せながら言った。そう言えば、名札まで見ていなかった。
「あ、そうですか。いえ、名前とか、わからないな……」
彼は記憶を辿るように社交辞令的に首を傾げたが彼の記憶の中には該当する人物はいなかったらしい。
私が引いたくじはD賞だった。希望通りのマグカップだ。
「あ、今残っているのは、二種類しかないッスよ。そちらからお選びください」
「ああ、これね」
私は彼に促されるまま、四種類出されていた内の残りの二種類に目を向けた。幸運な事に私がほしいと思っていたデザインが残っていた。
「じゃあ、これで。そう言えば、なんか店内が明るくなりました? 照明が変わったのかな?」
「ええ、店内改装したんですよ。三日も休んでですよ」
「へぇ、三日も……」
ライトや内装が変わっている。明るくなったと感じるのはそのためだろう。
「いつ再開したの?」
「改装はちょうど一週間前ッスね」
……?
「えっ?」
一週間前?
「いや、でも、先週はやってたよね?」
「ええ、でも先週のこの曜日は休みでしたよ。だって、照明を変えるんですから、真っ暗になっちゃうじゃないッスか」
「……」
真っ暗に?
私は入れ替わりの季節商品が置かれた棚を見ながら、箱に入ったままのマグカップを握りしめ、その手はジワリと汗が噴き出していた。。
おわり
本作登場の「俺は改造人」は主人公、カピバランZに改造された男の哀愁と日々の戦い、そして戻れなくなった家族への愛を描く物語です。作者である鈴木りん様の許可を頂き、本作中ではコンビニくじにさせていただきました。ありがとうございました。
葵生より、感想です。
黒髪の女にぞくっとしました。夏ですね。
それにしてもこの謎めいたエンディング、これは続きがあるのでしょうか!? 気になります!! 気になりますよ!! 切望ですよ!!!