風の配達屋 (作:仲遥悠)
撫でるそれは、静かに身体を包み、静かに通り抜けていく。
今日のそれは、明日また別の場所で吹き抜けて誰かを包む。
そうやって巡っていくのだ。 立ち止まることなく、誰にも邪魔されることなく自由に気ままに旅をする、旅人。
彼は、彼女は? …何を運んでいるのだろうか。
「「…よっこらしょっと」」
何ともリアクションに困る声を発しながら二人は浜辺に置いた箱の上に腰を下ろした。
「次の配達先はこの町で間違いないよね〜?」
「な〜よ〜?」
見た眼に従うのなら、歳の頃十二、十三といったところだろうか。 若草の髪に茜色の瞳が共通する双子だ。 名を、ティアン、ニアという。
本当にそっくりなのだが、見分ける時は髪の長さ。 長い方がニアで短い方がティアン。 それ以外の要素で見分ける方法は今のところない。
ニア曰く、「も少し大きくなればな〜、間違われることなんてないのにな〜」だそうだ。
「「あ〜疲れた〜」」
声変り前、まったく同じ声が海に吸い込まれていく。
聞いている人の気力を下げるような間延びした声。 言うならばお花が幻覚で見えてしまいそうな、能天気な雰囲気だ。
さて、そんな二人は格好もお揃い。
季節感に全力で抗うように真っ白なマフラーを首に巻き、茶色の服、同じく茶色のズボン…夏だというのに変わった格好である。
「夏だね〜ニア」
「夏だよ〜ティアン」
「「暑いね〜」」
マフラーを取れば良いだけの話である。
「はわ〜、子ども達だよ〜」
「はわわ〜、子ども達だ〜」
「「元気が一番〜」」
砂浜を横歩きしていた蟹が誰かが掘ったであろう穴に躓いて中に落ちていった。
「海が〜綺麗だね〜」
右へ左と身体を力なく揺らしている姿は、和む…というか脱力する。
「いい風も〜吹いてるよ〜」
「「ぷぃ〜」」
何とも独特な雰囲気を醸す二人が子ども達の視界に入ることは、ない。
何故なら二人は普通の人には見えなく、本当に二人を求める人間にのみ、その姿が見えるという不思議な存在なのだ。
勿論、そんな存在達がここに在るのには理由がある。 須らく物事には意味があると言えるのだ。 どのようなものであれ。
しかしそれは今、どうでも良いことだ。
彼と彼女がここに在る理由、この町を訪れた理由は、箱の中に入っている届け物を届けるためなのだから。
「ニア〜。 次はどんな人〜? 中に何が入っているのかな〜?」
「見ちゃ駄目だよ〜、怒られちゃう〜」
足をバタつかせて箱をに触れさせるティアンをニアが緩やかに止める。
「ちょっとだけ〜」
「駄〜目〜」
「大事なもの〜?」
「大事なもの〜」
「「見ちゃ駄目〜」」
新しい蟹が穴に落ちるのに巻き込まれ、這い出て来た蟹がまた落ちていった。
「ティアン〜。 私達も遊ぶ〜?」
今度はニアが遊んでいる子ども達も見てソワソワし始める。
「届けるまで駄目だよ〜」
「ちょっとだけ〜」
「駄〜目〜」
「我慢〜?」
「我慢〜」
「「我慢〜」」
蟹が横歩きの途中で突然落ちるーーー穴だ。
「でも〜、つまらないね〜」
「う〜そうだね〜」
「どうする〜?」
「どうもしな〜い」
「「どうも出来な〜い」」
ひたすらそんな会話を続けている内に子ども達は帰って行く。
一体何のために二人は、いや、何がしたくて箱の上に座ってウン時間も取り留めのない話をしているのかがまったく分からなかった。
しかし二人の言葉が重なると、何故か必ず穴に落ちて犠牲になる蟹達は何とも哀れなものである。
「そろそろ〜時間〜」
穴に落ちて出られない蟹の数が九十九に達した頃、ティアンがゆっくりと立ち上がる。
陽は完全に沈み、月が空で静かに光を帯びる夜の刻のことだった。
「時間〜?」
砂浜のあちらこちらには蟹が落ちている穴が。
一つ一つは小さなものであるが、幾つも空いていると流石に目立つ。
不思議な砂浜の姿に足を止める通行人もちらほら見受けられるが、それを彼らが疑問に思うことはない。 受け入れてしまうのだ。
明らかにおかしくても、それをおかしいと思う部分まで思考が至らない。
あくまで『そういうもの』として受け入れられてしまうのだ。 二人が居ることによって。
「指定された時間〜。 ニアもしかして忘れてた〜?」
「忘れてないよ〜。 来るんだよね〜」
「来ないよ〜。 僕達今から届けに行くんだよ〜」
「ん〜。 じゃ〜行こ〜」
ティアンが肩に箱を背負って目的地を目指す。 ニアもこれに続いた。 何度落ちようと七顛八起で穴から這い出ようとしていた蟹達の鋏が穴から覗く。
「「行こ〜」」
被害蟹は百匹になった。
手に持つメモの内容と眼の前の表札を何度も何度も、繰返し見直してからティアンは呼び鈴を鳴らした。
「はい?」
小さな一軒家の扉が開いて中から男が一人出て来る。
疑問系になるのは当然だろう。 日にちが変わっていないとはいえ、十分夜も更けている時間に子どもが訪ねて来ればそうもなるだろう。
「イイジマタカシさんで間違いありませんね〜?」
変に片言である。
「? 確かにそれは俺だが…それより君達、こんな時間に出歩いているのは褒められないぞ?」
「お届け物です〜」
「こちらの〜…っ、箱の中身をお受け取りくださいませ〜」
背負っていた箱を手渡す。 男は怪訝な顔をしながらも、促されるまま箱を開けると、眼を見開いた。
「…こいつはまさか!? き、君達が何でこれを!!」
二人はみだりに人と関わることが出来ない。
箱の中に入っていた小さな箱を渡すと、男の前から姿を消した。
「…ずっと、見つからなかった婆ちゃんの形見…っ、まさか諦めたその日の夜に配達されてくるとは…は、は、ははっ…」
その夜、男は静かに泣いていたという。
何故か。 それは箱の中身にあった。
二人が彼に届けた『届け物』、それは今から三十年程前、男の祖母が冥府への途に着いた翌日、盗賊によって盗まれてしまったペンダントだ。
男は今日の昼までずっとそれを探し続けていた。 国も渡った。 しかし、結局見つかること叶わず、この町に帰って来たその夜に戻って来たのだ。
人の手を渡ったのだろう。 ペンダントに同封されていた手紙には、見たことのない文字が所狭しと書かれており、彼に読み取ることが出来たのは、「本来の持ち主へ」というニュアンスぐらいであった。
嬉しかった。 ただ、嬉しかったのだ。 男が喜びに涙を流したのなど、久しくなかった。
だから男は、これまで溜めていたものを吐き出すかのように泣いたのだ。 「ありがとう」と、顔も知らぬ人々に対して何度も口にしながら。 何度も、何度も。
「…ティアン〜。 次の『届け物』が決まったね〜」
そんな男を、ティアンとニアが覗いていた。
二人は“見えなくなった”だけで、彼の側にいたのだ。 あまり人と関わることが出来ない二人にとって、用事が終わったら姿が見えなくなるというのは当たり前のことだった。
しかし、すぐに別の『届け物』を頼まれたことは初めてだ。
「お礼の言葉は本人から〜。 このまま言葉を風に乗せて伝えよっか〜」
「伝えよっか〜!」
二人は手を繋ぐと、顔を見合わせてから天高く飛んで行く。
やがて二人の姿が消えると、その軌跡が風となり彼方へと声を運んで行った。
途中で幾つにも分かれ、受取人の下へ。
「「ぷぃ〜」」
その日、世界中、国を問わずしての極一部の人々の耳にその男の感謝の言葉が聞こえたという。
国が違えば言語も違うので、最初は分からない者が大半であったが、聞いている内にその言葉が感謝の言葉だと理解出来たという。
言語は複雑だ。 例えばたった一つ文字が違うだけで意味が七変化する。
しかし、感謝の言葉や笑顔はどうして、どれだけの国を超えても、どれだけの時間が経ったとしても、変わらないものなのだろうか。
答えは簡単だ。 言葉や態度に込められている“思い”が変わらないからだ。 込める器の種類が万国共通だから、誰でも元来出来てしまう。
しかし、偶然とは必然である。
可能性とは、0でない限り、思考する価値が生じるものである。
夥しい数の変わる危険性をそこに孕んでいるから、人はそこに“在る”ことを当たり前とせずに考えられるのかもしれない。
風とて、同じだ。 明日になったら、止んでしまい、二度と吹くことがないかもしれない。
馬鹿げた話と一笑するも、良し。 それが思考の限界なのだから、それも一つの価値観なのだから。 価値観が違う以上、有りもしない可能性の話をしていてもキリがないだろう。
だが発想を変えてみよう。 そもそも、『有りもしない可能性』と誰が決め付けた? 偉大な科学者を始めとした先人達だろうか。
答えはそもそも、否だ。
決め付けることなど出来やしない。 全ては、その時になって初めて分かるものなのだから。
即ち、人間には知る由などないということ、それだけだ。 …人間だけでない。 生きるものがその先を完全な意味で、状態で把握することは…不可能だ。
ここで言っておきたいのは下らない哲学論ではない。
ただ、ただ、永遠の旅人ーーー風なら、その先を知っているという、そんな非科学的理論も甚だしいことを、今述べておきたかっただけである。
「言葉〜伝わったかな〜?」
ふわふわと空に浮かぶ二人は町を空から見下ろしていた。
そこからでも男の泣く声が風に乗って、聞こえる。 人々の営みの音もまた、聞こえた。
「伝わったよ〜。 ちゃ〜んと〜」
「おしま〜い」
「終わり〜」
「じゃ〜」
「次行こ〜」
次の配達先へと、二人は旅をする。 誰にも邪魔をされることなく、自由気ままに。
二人は旅人流離い人。 思いを運ぶために今日もどこかを吹き抜ける、風の配達屋。
次の二人の行き先は、正に、風が知っているといえようーーー。
ある被害蟹達の後日談ーーー
砂浜には、沢山の蟹達が住んでいました。
ある日吹いた不思議な風が砂浜に沢山の穴を開けていきました。 蟹達が幾ら昇っても後少しというところで新たな犠牲蟹が落ちて来ました。
徐々に体力も気力も、なくなっていきます。 挫折もしかけました。
それでも彼等は諦めることなく上を目指します 仲間達と一緒に。
やがてお月様が昇りました。 もうどれだけの仲間が疲れ果てているかは分かりません。
ですがその時、
ガシッ。
一匹の蟹が突撃して、地上へと這い上がります。 振り返り、「ここだよ」と、彼は仲間に伝えます。
すると仲間達が一斉に続きます。 一匹、二匹、三匹と。 沢山、沢山の蟹が地上へと出て行きます。
彼等は生還を喜びました。 突然吹き付けた風によって穴に落とされたにも関わらず、誰一匹も欠けることなく無事に穴から出られたことを。
おや? 蟹達が何かお話しているみたいです。
「(災難だった)」
「(何だったのだろうか、あの子達は…)」
「(それより、何で風に関する人間はやたらと語尾を伸ばすんだ〜?)」
「(誰のことを話しているんだ〜?)」
「(話し方が移ってるよ〜?)」
「(お前もな?)」
とても仲が良さそうですね。 話している内容の意味は理解し難いものです…が、一つの困難を乗り越えた蟹達は、“団結する”ということをこの日学ぶのでした。 おしまい。
とにかく、ほわんとあたたかい気持ちになれるすてきな作品でした。
カニさんたちもいい味出してますよね。これからもニアとティアンの活躍を期待しております!!