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寵愛の精霊術師  作者: さとうさぎ
最終章 青年期 キアラ編
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第89話 Chiara’s memory 2





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 その日は、特に冷え込む雪の日だった。




 今日はクリスマスイブ。

 私は、ラルくんと出かける約束をしていた。


 とはいえ、私はもう高校三年生。

 大学受験を目前に控えているので、あまり遅い時間まで出歩く気はなかったが。


 約束の時間まではまだ少し猶予があったので、空いた時間を使って小説を書くことにした。

 机の引き出しから、少し古ぼけたノートを取り出す。

 最近は特に執筆に使える時間がなくなっているので、このノートを取り出したのは久しぶりだった。


 物語の世界に浸るのは好きだ。

 その中で『キアラ』は、たくさんの人たちに幸せを与える。

 物語の世界は、ひたすらに優しい。




 そして、ちょうど夕日が部屋の中を赤色に染め上げた頃。


「はーい?」


 執筆を続けていると、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

 少し間が空き、ドアの向こうから声が聞こえてくる。


「……お姉ちゃん、いる?」


「……■■?」


 弟の■■が、部屋のドア越しに私を呼んでいた。

 弟が私の部屋に来るなんて、珍しいこともあるものだ。


 私はノートを引き出しにしまってからドアを開けた。


「どうしたの、■――」




 次の瞬間、私は床に倒れ伏していた。




「ぅ……ぁ?」


 頭の中がガンガンと鳴り、平衡感覚が狂っている実感があった。

 思わず頭を押さえると、左の手のひらが真っ赤に染まっている。

 血だ。


「お姉ちゃんこそ、どうしたの?」


 心なしか、■■の声には喜色が含まれている気がする。

 あまりにも突然のことに、身体が反応できない。


 這いつくばったまま、のろのろと顔を上げると、■■の手にバットが握られているのが目に入った。

 昔、■■がラルくんや友達と一緒に野球をするときに使っていたものと同じものだ。


 そして、そのバットの先の方に赤黒いものが付着していた。


 それを目にして、ようやく理解する。

 ■■が、あのバットを使って私の頭を強打したのだと。


「な……んで……?」


 わけがわからなかった。

 私は何か、弟の恨みを買うようなことをしていたのだろうか。

 全く身に覚えがなかった。


「……お姉ちゃんには、わからないよね」


 私を見下ろす■■の瞳は、ゾッとするほど冷たい。

 その凍るような目を逸らさないまま、弟は言葉を続ける。


「お姉ちゃん、今日ラルと出かける予定なんでしょ?」


 ――なぜそれを、■■が知っているのか。


「実は、ラルからお姉ちゃんのことでけっこう相談とか受けてたんだよね。もちろんお姉ちゃんには内緒だけどさ。それで、今日二人が一緒に出かけるってことも知ってるんだ」


 私の思考を読んだかのように、■■はそう言った。

 目を愉快げに細めて、口角を釣り上げる弟は、さらにその先も口にする。




「ここまで言ったらわかるかもしれないけど、ラルはお姉ちゃんのことが好きなんだってさ」




 ――それは、決して■■の口から告げられるべきではない事実だった。




「ラルも色々悩んでたよ。お姉ちゃんは受験生だし、告白しても余計な不安や心配ごとを増やすだけなんじゃないかとか、でも先に他の奴に告白されてそいつと付き合うようなことになったら後悔してもしきれないよな、とか。ずっとお姉ちゃんのことばっかり、悩んでたよ」


 声のトーンがどんどん下がっていくのが恐ろしい。

 目の前に確かにある光景に、現実感がない。


 だがそれも、次に弟の口から飛び出た言葉ほどではなかった。




「僕も、ラルのことが好きなのに」




「――――」


 

 ……本当に、意味がわからなかった。


 たしかに、ラルと■■は仲がいい。

 だが、それは男友達の延長でしかないはずだ。


「なにを……言ってるの……? ラルも■■も、男の子じゃない……」


「男とか女とか、そんなことはどうでもいいんだ。僕はラルのことが好きなんだ。ラルのことだけが好きなんだ」


 今度こそ、私は絶句した。


「だいたい、僕にはよくわからないんだよ。どうして皆、そんなに女の子が好きなんだろう。正直、男も女も大差ないと思うんだよね。一緒にいて楽しいからーとか、一緒にいると落ち着くからーとか、一緒にいるとエッチな気分になってくるからーとか、この人は私にないものを持ってるからーとか、好きだって感じる条件はまあ色々とあるのかもしれないけど。そんなの、僕はラルに対していつもいつも感じてるものなんだよね」


 ここまで饒舌な■■を見るのは、初めてかもしれない。

 そんなどうでもいい感慨を覚えながら、私は必死に頭を回転させる。


 とにかく、■■がラルのことを好いているというのは理解できた。

 だとしたら、私が今こんなことになっている理由は――、


「私が……邪魔だから……?」


「そうだよ」


 あっけらかんと、■■は私の言葉を肯定した。


「ラルはお姉ちゃんがいる限り、お姉ちゃんを愛し続けると思うけど、お姉ちゃんが死んだら僕にその面影を重ねてくれるんじゃないかな。幸い、僕の顔はお姉ちゃんにけっこう似てるみたいだし。あ、でも髪はもうちょっと伸ばしたほうがいいかもしれないね」


 たしかに中学、高校と年齢が上がっても、弟は女の子のように可愛らしいままだった。

 実姉である私から見ても、たまにドキッとしてしまうことがある程度には。


「さて。お話はこの辺にしとこっかな。もう十分聞きたいことは聞けたと思うし


 そう言うやいなや、■■は手に持ったバットを私の頭めがけて思いきり振り下ろした。


「いだ――っ!!」


 苦鳴を上げながら、私は芋虫のように床を転げ回る。

 ■■はその様子を、くすくすと笑いながら見ていた。


「ほら、まだまだいくよ」


「ま、待っ――」


 返事はバットによる殴打だった。

 今度は頭にではなく、背中に強烈な衝撃が走る。


「んぐっ!!」


 あまりの衝撃に呼吸が止まった。

 酸素を求めて必死に口を動かす私を、■■は微笑みながら眺めている。


「……そろそろいいかな」


 そう言って、■■は懐から何かを取り出した。

 夕日を反射して輝く銀色の刃が、私の網膜に映り込む。


 それは見慣れた包丁だった。

 いつも料理をする時に使う、肉を切るための包丁。




「えい」




 それを■■は、なんでもないことのように、私の左足に突き刺した。

 銀色の切っ先が、何の抵抗もなく肉に食い込む。

 傷口から赤黒いものが大量に溢れ、夕日に照らされた床をさらに赤く染め上げていく。


「……は?」


 冗談では済まされない出血量に、意識が遠のいてしまいそうになる。

 だが、遅れてやってきた激痛が、それを許してはくれなかった。


「うがぁぁあああああああああああぁっ!!」


 獣のように絶叫を上げ、やってくる痛みから逃れようとする。

 そんな欲求とは裏腹に、痛みが引く気配などあるはずもなかった。


「ほら、どんどんいくよー」


 そんな私の様子などお構いなしに、■■は次々に包丁を取り出し、私の身体に刺しこんでいく。

 右足の太ももに、ふくらはぎに、右腕に、左腕に。

 幾度となく冷たい鉄に犯される感触があり、その度に私は絶叫を上げた。


 何度も何度も、彼の名前を呼んだ気がする。

 苦しいと、助けてほしいと、何度も何度も。


「毎年クリスマスイブが来るたびに、ラルはお姉ちゃんのことを思い出す。やったね。きっと忘れられない日になるよ」


 狂笑を隠しきれない■■が何か言っているが、わからない。

 もはや、私の精神は崩壊寸前にまで達していた。


「あ……ぅ……?」


「壊れちゃったの? そんな生半可な覚悟で僕からラルを奪おうだなんて、よくもまあそんなことが平気でできたもんだよね」


 最も大切な部分に、包丁が刺しこまれる。

 気が狂いそうになるほどの激痛に、私はこれまでで一番大きな叫び声を上げた。


「切り落とせばいいのかな? ぐちゃぐちゃにして機能できなくさせればいいのかな? そうだよね? そうなんだよね?」


 訳のわからない言葉を並べながら、■■は包丁を握った手を激しく動かしていた。

 その姿は、それをすれば自分の望みは叶うのだと、そう信じているかのようで。


「形もよくわからなくなるまでぐちゃぐちゃにすれば、きっとラルも目を覚ましてくれるはずなんだ。ラルが好きになったのはお姉ちゃんじゃなくて、ただ見た目のいい女のかたちをした何かだったんだ、って」




 ――狂っていたのだ。

 もうとっくの昔に、■■は壊れてしまっていたのだ。

 



 ……そうして、私の身体を蹂躙し尽くした弟が、やっとその手を止めた。

 肉体は破壊され尽くし、その原型をとどめているかも怪しい。


 


「……なんで、僕は男に生まれてきたんだろう」




 それが、私が前世で最後に聞いた言葉だった。

 聞こえたはずのない、言葉だった。


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