第58話 ラルフVS『嫉妬』
「――光精霊よ」
肋骨と肩の治療を光精霊たちに任せて、オレは立ち上がる。
前には、敵がいる。
オレを殺すために立ち上がった人間がいる。
ならば、オレもまた、殺す気でこいつの相手をしなければならない。
七色の光を纏った剣を構えるロードを睨みつけながら、オレは亜空間から一本の剣を取り出した。
清純な気配を感じさせるその剣を、ロードに向けて構える。
これは、八歳の誕生日の日に、フレイズから貰ったものだ。
七精霊を纏った刀身は七色の光に包まれ、敵を切り裂くその時を待っていた。
「ふぅん……」
ロードは、オレの剣を興味深げに眺めている。
その視線に、薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
『大罪』の魔術師となったロードの力は未知数だ。
精霊級の魔術をどの程度扱えるのかもわからなければ、『嫉妬』の魔術師がどんな能力を使ってくるのかもわからない。
次の瞬間、何が起きても不思議ではない。
目の前にいるのは、オレのよく知るロードではない。
『嫉妬』の魔術師、ロード・オールノートなのだから。
「少しはマシになったみたいだね」
今度は見えた。
ロードが振るった剣は、オレを両断せんと真っ直ぐに向かってくる。
受け止めるのは容易だった。
「ぐ……っ」
しかし、重い。
少しでも気を抜けば、そのまま押し切られてしまいそうなほどの重圧。
このまま打ち合うのは危険だ。
「――風精霊よ」
「……っ! チッ!」
そう判断したオレは風精霊を操り、突風を引き起こした。
密閉された空間に突如吹き荒れた暴風が、オレからロードを引き剥がし、そのまま壁に叩きつける。
「かは……っ」
その姿を確認する前に、オレは駆け出していた。
七精霊を纏った刀身は、どんなに硬質なものでも容易に切り裂くことができる。
いかに『大罪』の魔術師とはいえ、この一撃をまともに食らえば即死は免れない。
「舐め……るなッ! 風精霊よ!」
「ッ!?」
咄嗟に出せる、ありったけの力を使って叩きつけたつもりだったが、ロードはすぐに体勢を立て直していた。
ロードは、オレが使ったのと全く同じ精霊術を使って、向かってくるオレを吹き飛ばし、次の魔術を発動させるための準備に入る。
「『岩弾』!!」
だが、こちらのほうが早い。
オレは、周りに大小さまざまな大きさの『岩弾』を形成し、それをロードに向けて放った。
ものすごいスピードで高速回転しながら迫るそれを、ロードは涼しげな顔で対処する。
あるものは剣で撃ち落とし、またあるものは身体をズラすことで回避していた。
それはまるで、『岩弾』など魔術を使うまでもない、とでも言うかのように。
しかし、中には微妙に掠っている岩弾もある。
頬に一本の赤い筋が入り、血が滲んでいた。
致命傷ではないにせよ、ダメージは与えられているはずだ。
「甘いよ」
ロードの身体の周りに、光精霊たちが集まってくる。
周囲で明滅を続けるその光は、まさにオレが傷を癒すために纏っているのと同質のものだ。
彼らは、ロードが僅かに受けた傷を癒していた。
……知らなかった。
ロードがここまで努力して、オレに近い力をつけていたなんて。
いや、今のロードは、オレを凌駕する力を持っている可能性すらある。
意識を失ったクレアを庇いながら戦っていたのでは、敗北もあり得ない話ではない。
「……ダリアさん」
オレは、ダリアさんの名前を呼んだ。
どうやら、クレアを庇いながらオレの後方で待機してくれていたらしい。
「クレアを連れて、ロミードまで逃げてください。連絡は『テレパス』でお願いします。『テレパス』のやり方は、クレアに聞けばわかると思いますので」
「……わかりました」
ダリアさんは、クレアを抱きかかえて廊下の奥へと消えていった。
全然知らなかったが、どうやらそちらに抜け道があるようだ。
ロードは、その一連の様子を色のない目で見つめていた。
その様を少し不気味に思いながらも、オレはロードに尋ねる。
「クレアを逃がしていいのか?」
「構わないよ。どうせ君たちは、僕たちからは逃げられないんだから」
まるでそれが揺るがない事実であるかのように、ロードは淡々とそう言った。
たしかに、エーデルワイスとカミーユは強大な魔術師だ。
だが、何がロードにそれほどの自信を与えているのか、オレにはよくわからなかった。
「そろそろ、君の傷も癒えただろう? 本気で来なよ」
たしかに、さっきまであった肋骨の痛みは引いている。
光精霊はしっかりと仕事をこなしてくれたようだ。
なら、お言葉に甘えさせてもらうことにしよう。
もっと硬く。
もっと鋭く。
もっと疾く。
回転と爆発を織り交ぜることで、『岩弾』の殺傷力を底上げする。
そうして、オレの周りに大量のそれが現れ、
「――『岩裂弾』」
眼前の敵に向かって、吸い込まれるように向かっていった。
「ッ!! 『岩壁』!!」
オレが発動した魔術に何かを感じ取ったのか、初めてロードが警戒した様子を見せる。
『岩裂弾』が放たれる直前、ロードが『岩壁』を発動させた。
次の瞬間、強烈な爆発音が廊下に響き渡る。
爆風に巻き込まれないように、オレは『空間断絶』を発動させた。
『空間断絶』を周りの空間を覆うようにして発動させている間、オレは魔術を使えない。
空間が途切れているため、断絶させた空間外にいる精霊たちに指示を出すことができないからだ。
したがって、追撃をすることもできない。
爆風と土煙が上がり、視界は非常に悪い。
ロードはどうなったのだろうか。
『空間断絶』を解除し、周りの様子をうかがう。
少し視界がよくなると、現状を把握することができた。
「なっ……」
『岩壁』は、壊れていなかった。
表面のあちこちに大きなクレーターができてはいるが、それだけだ。
それは、オレが入学試験で使ったものとは比べ物にならないほどの厚さと強度を誇っていた。
「今のはちょっと危なかったよ!」
その壁が崩れ落ち、好戦的な表情を浮かべるロードが現れた。
だが、もちろん怪我をしている様子はない。
先ほどの攻撃を完全に防ぎきっていた。
「……クソ」
どの攻撃も、決定打に欠ける。
ロードを倒せるビジョンが浮かんでこない。
「それで終わりかい? それなら、今度は僕がいかせてもらおうかな」
そう言ってロードが右手を上げると、空中に無数の『岩弾』が姿を現した。
ほとんど隙間なく展開されたそれが、オレのほう目がけて一斉に放たれる。
「――『空間断絶』」
咄嗟に発動させた『空間断絶』のおかげで、オレを貫くはずだった『岩弾』は、オレを通り抜けて後ろの壁に次々に着弾した。
かなりの強度を誇るはずの地下牢の壁が、『岩弾』によって破壊されている。
その威力は言うまでもなく高い。
「でも、決定打に欠けるのはお前も同じだろう、ロード。お前の攻撃じゃ、オレを殺せない」
「……さて、それはどうかな」
オレのそんな言葉に対しても、ロードは不敵な笑みを浮かべるだけだ。
何か策があるのだろうか。
だが、構うものか。
こちらの次の策は、既に完成している。
「――ッ!?」
ロードが驚愕の表情を浮かべた。
しかし、遅い。
地面から生え出た大量の触手が、ロードの身体の動きを封じていた。
「どうだ、ロード? 触手に絡め取られた気分は?」
ロードは答えない。
風精霊の気配が強くなり、ロードが精霊術を発動させようとしているのがわかった。
しかし、
「無駄だ」
ロードが精霊術を発動させるそぶりを見せる度に、オレはロードの周囲の精霊を散らす。
結果、ロードの精霊術は不発に終わる。
「……っ!」
そんなことを何回か繰り返すうちに、ようやくロードの表情に焦りの色が浮かんだ。
どうやら、ロードは『強制移動』が使えないようだ。
『大罪』として覚醒したと言っても、まだエーデルワイスほどの力は無いのだろう。
こいつをこのまま放っておくのはあまりにも危険だ。
殺せるうちに殺しておかなければ。
「……終わりだ。ロード」
七精霊を刀身に纏わせ、オレはロードに切りかかろうとした。
「…………」
手が、震えていた。
身体が言うことを聞かない。
ロードと過ごした日々の記憶が蘇る。
朝、オレが寝坊したら、呆れた表情を浮かべながらも家の外で待っていてくれたロードの姿を思い出す。
アミラ様やクレアと一緒に訓練していたロードの姿を思い出す。
そんな光景が、今はどこか別の世界での出来事だったように思えてくる。
転生して、初めてできた男友達だった。
死ぬまでずっと親友だと思っていた。
なのに、どうしてこんなことになっているんだろう。
……なんでこんなことをしているのだろう、オレは。
「だから甘いんだよ。君は」
オレの気が逸れたのを察知したロードが、『風の刃』を発動させた。
ロードを拘束していた触手が切断され、ロードの身体が自由になる。
「しまっ――」
だが、もう何もかもが遅かった。
ロードが発動させた触手が地面から生え、オレの身体を拘束する。
「クソ……ッ!」
精霊術を発動しようとしても、ロードに精霊を散らされてうまく発動しない。
先ほどまでと、まるっきり立場が逆転している。
完全に詰みだった。
「君の敗因は、覚悟が足りなかったことだ」
ロードが、囁くように言う。
「僕を殺せばよかったのに、できなかった。その時点で、こうなることはわかっていただろうに……」
何も言い返せなかった。
その通りだと思った。
結局オレは、どこまでいっても甘いのだ。
「それじゃあ、さようなら。ラル君」
隠しきれない歓喜をその顔に貼り付けたロードが、オレの身体を両断せんと、七精霊を纏った剣を振るった。
決して避けることのできない一閃。
オレは覚悟を決めた。
「…………?」
……だが、いつまで経っても、ロードの刃がオレの身体を両断することはなかった。
「なんだ、これ……」
光の輪。
そうとしか形容できないものが、オレの目の前でロードの剣を止めていた。
そして、
「――そこまでよ」
憮然とした表情を浮かべたダリアさんが、オレたちの後ろに立っていた。




