第50話 はじめての――
フレイズの発言は、明らかに常軌を逸していた。
その原因を考えて、すぐにそれらしきものに思い至る。
「エーデルワイスの魔術の効果か……!」
たしか、『エターナルチャーム』とか言っていた気がする。
文字だけを見ると、永遠の魅了、と言ったところだろうか。
その効果は未知数だが、フレイズたちがおかしくなっているのは、ほぼ間違いなくエーデルワイスの魔術のせいだ。
オレにエーデルワイスの魔術が効かなかったのは、おそらく『呪術系統無効』のおかげだろう。
あまり役に立つ場面は無いと思っていたが、これがなかったら完全にエーデルワイスに操られていたと考えると、あってよかったと心底思う。
だが、状況はさらに悪くなっている。
フレイズたちが正気を失い、エーデルワイスの味方についたのだとしたら、オレに攻撃を仕掛けてくるようになるのも時間の問題だ。
さらに、エーデルワイスの魔術がどの程度まで効果があるのかもわかっていない。
ないとは思うが、まさかディムール軍全体にさっきの魔術が有効……ということもあり得る。
もしそうだったとしたら、オレに勝ち目はない。
それに悔しいが、『リロード』がある限り、オレ一人でエーデルワイスを倒せる可能性はほとんどないと言っていい。
「あら? あなたはわたくしの魔術が効いていないのかしら?」
「――っ!?」
いつから、そこにいたのだろうか。
背後を振り返ると、オレの態度を見たエーデルワイスが小首を傾げていた。
「フレイズさん、ラルくんを捕まえてくれないかしら? もしかしたら、何か悪い術でもかけられているのかもしれないわ」
「わかりました」
そう言って手を伸ばしてくるフレイズを避け、オレは建物の外へ出た。
冗談じゃない。
今のフレイズに捕まったら、何をされるかわかったものではなかった。
「大丈夫よ。怖くないわ」
「……っ!?」
エーデルワイスが目の前にいた。
先ほどからのあまりにも物理法則を無視したその動きに、ようやくオレも能力の名前に思い当たる。
「まさか、『強制移動』か……?」
『強制移動』。
それは、オレがまだ使いこなせていない能力の一つだ。
目に見える範囲内ならば、そこに瞬間的に移動することができる能力で、戦闘で使用すればかなり強力な武器となる。
それだけではなく、拘束はほぼ意味を為さなくなるし、移動する人間のほうが移動先の物質よりも優先されるため、移動する先に物体があるなら間接的に攻撃にも使用できる。
「あら、あなた、『強制移動』も知っているのね。まさか……いや、でも解析では大罪とは出ていなかったから、また別物かしら」
よくわからないことを呟きながら、エーデルワイスがこちらへゆっくりと近づいてくる。
「クソっ……く、来るなっ!!」
その光景に恐怖を覚えたオレは、亜空間から剣を取り出した。
それを真っ直ぐに構え、エーデルワイスの挙動の一つ一つを警戒する。
エーデルワイスは何も持っていない。
それどころか、オレに対する戦意すらない。
それなのに、オレだけがエーデルワイスを相手にここまで警戒しているのが、とても無様に思えた。
「エーデルワイス様に危害を加えると言うのなら……ラル、いくらお前とはいえ、容赦はしないぞ」
そんなフレイズの言葉に同意するように、兵士たちがオレの周りを取り囲み、オレに向かって一斉に刃を向ける。
……いったい、どうすればいい。
『リロード』がある限り、エーデルワイスが死ぬことはない。
『強制移動』がある限り、エーデルワイスと距離が開くことはない。
そして、オレを凌ぐ精霊級魔術師であるエーデルワイスは、オレが指示を出した精霊たちを寝返らせることすらできる。
さらに、フレイズたちが洗脳され、一万もの兵をまるごと奴に奪われた。
しかも、エーデルワイスはまだ魔術らしい魔術を一つしか使っていない。
目の前にいるこいつは、いったいどれだけの力量を持った魔術師だというのか。
薄々理解していたことが、急に現実味を帯びてくる。
オレの中で、それはもう覆ることのない確固とした事実になった。
勝ち目は、ない。
オレは、エーデルワイスには勝てない。
「……あら、どこへ行くの?」
エーデルワイスの声を無視し、オレは風精霊たちを集めて地上から飛び上がった。
今度こそ、風精霊たちを奪われるようなヘマをしてはいけない。
いつも以上にしっかりと風精霊たちを囲い込み、オレはひたすら高度を上げた。
地上で怒声が飛び交っているのが聞こえてくる。
ディムール軍の魔術師たちが放つ、数え切れないほどの『炎弾』や『岩弾』が空を飛び交い、そのうちのいくらかがオレに着弾した。
「……っ」
物理的な痛みは無いが、心は張り裂けるように痛い。
仲間だと思っていた人たちに向けられる敵意は、オレにはひどく苦痛だった。
その痛みを堪えて、オレはひたすらディムール王国の方向へと向かう。
オレ一人では無理だが、キアラやアミラ様がいれば、きっとエーデルワイスでも倒せるはずだ。
それに、ディムール軍が乗っ取られたことをヴァルター陛下に知らせなければ――、
「――『強制移動』が使えるとわかっている相手から逃げ切れると思っていたの? 坊や」
いつの間にか、目の前にエーデルワイスがいた。
「っ!!」
慌てて進行方向を変える。
だがディムールの竜騎兵たちが、そんなオレの行く手を遮るように立ちはだかった。
エーデルワイスの後ろにも、ディムールの竜騎兵たちもいる。
彼らがオレの味方でないことは明白だった。
「勝てないとわかった相手から逃げるのは悪くない選択肢だと思うけれど……わたくしと対峙してから逃げ出すのは悪手だったわね」
「逃げるんじゃない……!」
これは戦略的撤退だ。
間違っても、臆病風に吹かれて逃げ出すのではない!
だが、オレの返答を聞いたエーデルワイスは笑う。
「わたくしのことを、殺すのではなかったのかしら?」
「……っ!」
たしかに、エーデルワイスのことは殺したいほど憎んでいる。
しかし、今の状況ではそれができない。
だからこそ、ここは一時的に撤退するのだ。
エーデルワイスは、オレのほうを小馬鹿にしたような目で見て、その口を開いた。
「あなたは弱いわね」
「……な、んだと?」
オレが、弱い……?
たしかに、今のオレはエーデルワイスを倒すこともできず、フレイズたちを救うこともできない、無力な存在だ。
だがそれは、仕方のないことではないか。
どうして、敵うはずのない相手に向かっていかなければならないのか。
ちゃんと状況を整えて、確実に勝てる要素を全て揃えてから挑むべきだ。
「いいえ、あなたは弱いわ。力と、精神の強さが釣り合っていないのよ」
エーデルワイスの右手が紫色の光を放ち、まるで放電しているかのようにその周囲を雷が取り巻く。
見たことのない魔術だ。
その光景に、警戒を強める。
「だからあなたは、自分の持っているはずの力の全てを使うことができていない。そんな半端な覚悟で、正面から『大罪』と向き合えるはずないでしょう?」
「――――」
だが、警戒を強める程度ではどうにもならなかった。
気付いたときには、あまりにも遅かった。
「ご……ふっ……!!」
エーデルワイスの腕が、オレの胸に突き刺さっていた。
オレの身体の中で、腕が開閉される。
「あ゛ぁああ゛あぁああぁああ゛ッ!!」
おびただしい量の出血と、耐えがたいほどの激痛が、オレを襲った。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
「ああ、いいわぁ。わたくしの手が、若くて凛々しい男の子の心臓を鷲掴みにしている。ああっ……濡れちゃう……っ!」
オレの苦しみ悶える姿を見て、エーデルワイスが発情していた。
吐き気を催すその姿を睨みつけながら、オレは『リロード』を発動させる。
オレの身体は瞬時に修復され、オレの身体の中につき刺さっていたエーデルワイスの腕は消失し――、
「無駄よ」
エーデルワイスの腕は、再びオレの身体に突き刺さっていた。
再び灼熱の痛みが押し寄せ、オレの思考力を奪っていく。
「ぁあああ゛ああぁあ゛あああっ!!」
「あなたが『リロード』した直後にわたくしが『リロード』したら、結局は永遠に同じことの繰り返し。そんなこともわからなかったのかしら?」
もはや、エーデルワイスの声すらまともに耳に届いていない。
オレの身体は、逃れられると思っていたはずの痛みが、まだ続いていることへの絶望感に支配されていた。
「あらあら。そんなに苦しいの? 仕方ないわね」
そう言うと、エーデルワイスはオレの胸から腕を抜いた。
即座に『リロード』を行い、風精霊たちをコントロールして、呼吸を落ち着ける。
「はぁっ……はぁっ……はぁぁっ……」
エーデルワイスの姿を見据えながらも、オレの心の中は、ただ一つの感情に支配されていた。
怖い。
死ぬのが怖い。
目の前にいるこの女が、怖い。
そんなオレの心情など知るはずもなく、エーデルワイスは紫電を纏った自身の右腕を見せつけるように持ち上げる。
「この紫電はね、『強奪』っていう能力が発動しているサインなの。これの能力は――」
『リロード』が完了したオレの身体に、再びエーデルワイスが紫電を纏った右腕を突き入れ、
「――傷をつけた相手の能力を、無作為に一つ奪い取ること」
「――っ!?」
能力を、奪う?
「これで一つ」
「がは……っ!」
エーデルワイスが腕を突き入れたと同時に、何かが俺の中から抜け出ていく感覚があった。
それはたしかに、オレの中から何かの能力が抜け出た感覚にほかならない。
……わからない。
オレは一体、何の能力を奪われたんだ。
「さて。エーデルワイスお姉さんから、ラルくんへ問題です」
『リロード』を行い、エーデルワイスから距離を取ったオレに向かって、エーデルワイスが問いかける。
「この、『強奪』を使い続ければ、ラルくんはどうなるでしょうか?」
「――っ!!」
そんなの、決まっている。
『強奪』で能力を奪われ続けたら、いつかは『リロード』を奪われる。
そうなったら本当に終わりだ。
取り返しのつかないことになる前に、逃げなければならない。
だが、ここから逃げる手段が思いつかない。
「やっぱり、若い男の子の血って最高よねぇ」
「くっ……!」
エーデルワイスが、オレから採取した血を淫らな舌使いで舐めとっている。
そうしているあいだにも、エーデルワイスの『強奪』は、オレの能力を奪い取っていく。
何度も何度も何度も何度も、紫電を纏ったエーデルワイスの腕が、オレの身体を貫いていく。
「弱者には、弱者にふさわしい結末を与えてあげなくちゃ」
何度目かもわからない紫電をぶち込まれて、オレの意識も朦朧としてきた。
その度に反射的に『リロード』を使っているが、それもいつ奪われるやら、気が気ではない。
「――あ、れ?」
そこで、オレは気付いた。
自分の身体が、修復されないことに。
「『リロード』が、無くなったようね」
それは、あまりに冷たく、無慈悲な宣告だった。
「あなたには確固とした芯がない。そんな柔な覚悟で、『大罪』の魔術師に挑んだのがそもそもの間違いだったのよ」
――『リロード』が、できない。
その瞬間、自分の運命を悟った。
「『最上位』の『大罪』というのは、あなたが思っているよりもずっとずっと、どうにもならない存在なのよ。覚えておきなさいな」
「ぐ……ぁ……………」
「まぁ、もう遅いかもしれないけれど」
最後に、下腹部に腕を突き入れられる。
オレはぼんやりとした頭で、ようやく理解した。
自分が、取り返しのつかないミスを犯してしまったのだということを。
『大罪』の魔術師と戦うこと自体が、間違った選択だったのだということを。
風精霊たちをコントロールする力など、もうどこにも残っていなかった。
緑光が霧散し、オレの身体は落下を始めた。
――落ちていく。
身体に巨大な風穴を開けたまま、オレは地上へと落ちていく。
岩肌がどんどん近くなり、視界がどんどん狭くなって――、
「――――――――」
何かが壊れる音と、肉が潰れたような音が辺りに響いた。
そして、オレの意識は途絶えた。
今回で話数が50話を突破しました!
これからも『寵愛の精霊術師』をよろしくお願い致します!




