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寵愛の精霊術師  作者: さとうさぎ
第二章 少年期 ディムール王立魔法学院編
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第20話 増殖する憤怒

※今回はロード視点です。


 僕やクレア様といった学生たちは、教室の中に集められていた。

 ラルとアミラ様が『憤怒』の撃退に向かった後に、ディムール王立魔法学院が『憤怒』に襲撃される可能性を考慮した、先生方の配慮である。


 一応、このクラスの担任であるウルゾフ先生と、クレア様の護衛であるダリアさんがいるので、何かあったときにも対応はできるはずだ。


「ラルとアミラ様、だいじょうぶかな……」


 僕の隣にいるクレア様が心配そうな顔で呟く。

 その表情には陰りが見られた。


 ラル君がアミラ様と一緒に『憤怒』の撃退に向かってから、三十分ほどが経過している。

 だが未だに、ラル君たちが帰ってくる気配はない。


「あの二人がそう簡単にやられるはずありません。信じて待ちましょう」


 クレア様とのこのやりとりも、もう何度したかわからない。

 既に二桁には達している気がする。

 二人のことが心配なのはわかるので、突っ込もうとは思わなかったが。


「……ん?」


 クレア様とそんなことを話していると、外がなにやら騒がしいのに気付いた。

 この教室は三階にあるが、ここまで人の言い争う声が聞こえてきている時点で相当な声量だ。


 窓から声のするほうを見ると、グラウンドで、一人の男を教師たちが取り押さえているところだった。


「離してくれ! 私は怪しい者じゃない!」


「あれは……」


 そう言いながら暴れる男の顔には、見覚えがあった。


「ロードくん、あの人のこと知ってるの?」


「はい。家で何度か父上と話しているのを見かけたことがあります。それにしても、なんでこんなところに……」


 そうだ。

 「明日は王城で大きな会議がある」と、昨日の夜に父上が言っていた。


 父上は今日の会議には行かないと言っていたので、僕は今、あまり父上のことは心配していないわけだが……。

 つまり、あの人は今日の会議に出席し、『憤怒』から命からがら逃げてきた、と見て間違いないだろう。


「……あの人は、とうして取り押さえられてるの?」


「『二人目以降には気をつけろ』、って、アミラ様が言ってましたからね」


 やっかいなことに、『憤怒』は分体を作り、一般人に擬態していることがあるらしい。

 そしてその分体を操り、まるで自分がその場にいるかのように振舞うことができるという。


 最初にここにやってきた伝令の人は、アミラ様が直々に普通の人間であることを確認しているので『憤怒』である可能性はない。


 だが、ラル君とアミラ様が撃退に向かった後にこの学院にやってきた者は皆、人間を形どった合成魔獣キメラ、もしくは寄生体型の合成魔獣キメラである可能性があるというのだ。

 もはや人間というより新種の生物なのだと言われた方がまだ現実味があるのだが、残念ながら『憤怒』は僕たちと同じ人間らしい。


 取り押さえられている男は、何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回している。


 ――まずい。

 なぜかはわからないが、本能が警鐘を鳴らしている。

 アレに、クレア様の姿を見せてはいけない。


「クレア様、そろそろ奥に戻りま――」


 だが、少し遅かった。




「――みつけた」




 男の唇は、たしかにその言葉の形に歪んだ。

 次の瞬間、男の身体が急激に膨れ上がり――


「――っ!?」


 咄嗟にクレア様の目を塞ぐ。




 その直後、男の身体が弾けた。




 教師たちの身体が大量の返り血で汚れる。

 本来なら皮膚と肉が裂けると同時に出てくるであろう、男の内臓器官は全く出てこなかった。


 代わりに、裂けた男の腹部から、どう見てもその中に納まりきらないであろう量の赤黒い触手が姿を現す。


 前身を不気味に揺らし、腹部から大量の触手を生やすその姿は、まさに化物そのものだ。


 他の子供たちの表情は凍っている。

 中には嘔吐している奴もいた。


 僕は特訓のおかげか、そこまで動揺することはなかった。

 あまり気持ちのいい気分ではないが、吐いたりするよりはマシだ。




「こんにちは、みなさん。とても気持ちのいい昼下がりですね。こんな日には、どこかへ出かけて日向ぼっこしながらお弁当でも食べたくなりますよね」




 腹から大量の触手を突き出しながら、朗らかな表情で平然と脈絡のない言葉を吐き出す男。

 まともな神経ではない。明らかに異常だ。


 人間離れした行動や、息苦しくなってくるほど邪悪な気配。

 間違いない。

 あいつが、『憤怒』だ。


「さて、と。それじゃあ、少しいただいていきますね」


「ぐっ!?」


 『憤怒』はそう言うと、警戒の体勢を取っていた教師を二人、触手を使って拘束した。

 軌道も、長さも、強度もよくわからない触手たちから逃れるのは難しかったのだろう。


「舐めるなっ!! 我が名のもとに集え、『風精霊シルフ』! その力を以て全てを切り裂け! 『風の刃(ウィンド・カッター)』!!」


 先生のうちの一人が放った『風の刃(ウィンド・カッター)』が触手を切断し、二人は拘束から開放された。

 その様子を見た『憤怒』は目を細める。


「挨拶もなしにいきなり攻撃してくるなんて、いくらなんでもマナーが悪すぎると思いませんか? 謝罪を要求します」


 自分が先に攻撃を仕掛けたことなど頭から抜けているのか、『憤怒』は意味不明な論理を振りかざして教師たちを糾弾する。


「標的を確認した。これより『憤怒』の討伐作戦を開始する」


「……ふふ」


 教師の一人がそう宣言すると、『憤怒』はまるで微笑ましいものを見るかのような目で教師たちのほうを一瞥した。

 それに対して、訝しげな表情を浮かべる教師たち。


「なにがおかしい?」


 その教師の問いに、『憤怒』はクスクスと笑う。

 それはまるで、無垢な少女のような笑い方だった。


「まだ、気付かないんですか?」


「……なにを」


『あなたたちの怒りが、勇気が、恐怖が、ワタシを強くする』


 『憤怒』の声を聞いて、僕は違和感を感じた。

 今、声が二重に聞こえたような。


『自分たちの持つありったけの力を振り絞り、目の前の困難に立ち向かっていくその姿勢。とても素晴らしいと思います』


 今度は、確かに三重に聞こえた。


『あなたたちの可能性を、ワタシに示してください』




 次の瞬間、教師の頭が宙を舞った。




 それは先ほど、『憤怒』の討伐作戦の開始を宣言していた教師のものだ。

 その頭が、地面に転がっていた。


 司令塔を失った身体が崩れ落ちる。

 首の断面から血が噴き出し、辺りを真っ赤に染めていく。


「なんで……気でも狂ったか!?」


 その蛮行をやってのけたのは、先ほど『憤怒』に拘束されていた教師の一人だ。

 恐らく、無詠唱の『風の刃(ウィンド・カッター)』を使って、教師の首を刈り取ったのだろう。




 ……いや、違う。

 あれは教師ではない。


『ごめんなさいね。本当は不意打ちはあまり好きではないのですが、あなたはそれなりに使える(・・・)人間だったようなので、あらかじめ取り除かせていただきました』


 吐き気を催すほどの生理的嫌悪感を覚えさせる、『憤怒』の言葉。




 それが今は、最初に拘束されていた教師二人の口からも発せられていた。




 ――手遅れだったのだ。


 どういうカラクリがあるのかはわからないが、さっきまで教師だったはずの男たちは、『憤怒』になっていた。

 一度『憤怒』に捕らえられた時点で、もう助ける方法など存在しないのか。


『さて』


 ぎょろり、と。

 『憤怒』がこちらを見た。


『やっとお顔を見せてくれましたね、クレアちゃん。大丈夫ですよ。ワタシがすぐに迎えに行ってあげますからね』


 違う、僕じゃない。

 クレア様を見たんだ。


「ひっ……」


 クレア様の口から、怯えたような声が漏れた。

 目を塞いでいても、声までは遮断できないのだ。


「よいしょ、っと」


 最初に現れたほうの『憤怒』が、声とはかけ離れた俊敏な動きで腹部から触手を伸ばし――、

 

「なっ!?」




 次の瞬間、僕たちのすぐ目の前にまで迫っていた。




「改めて、こんにちは。みなさん」


 腹部から伸びた触手を三階にまで伸ばして、それを支点にして飛び上がってきたのだ。

 やがて、ガラス窓を突き破って入ってきた『憤怒』が、ゆるゆると動き出す。

 

「くっ……! 我が名の下へ集え、『土精霊ノーム』! 『岩弾ロックブリット』!!」


 咄嗟の判断で『岩弾ロックブリット』を放ったが、『憤怒』が放った無詠唱の『岩壁ロックウォール』に阻まれてしまった。

 『憤怒』は顔を上げると、感心した様子で手を叩く。


「その歳で中級魔術を扱えるなんて、素晴らしい才能です。研鑽を積めば、きっと立派な魔術師になることでしょうね」


 『憤怒』が僕のことをそう評するが、まったく嬉しくなかった。

 とにかく、ここから離れなければ。


 僕の後ろには、クレア様をはじめとしたクラスメイトたちが大勢いる。

 こいつらを巻き込むわけにはいかない。


「そこまでだ、『憤怒』。私が相手になろう」


 険しい表情を浮かべたウルゾフ先生が、僕の前に出る。


「先生、ほかの子たちの避難は……」


「避難場所はダリアさんに伝えてある。お前たちはダリアさんの指示に従ってすぐにここから離れるんだ。殿しんがりは俺が務める」


「なっ!?」


 それはつまり、ウルゾフ先生が一人で『憤怒』の相手を務めるということ。


「……僕も残ります」


 そんなことを許容できるはずがなかった。

 このクラスのカスのような担任ならともかく、ウルゾフ先生は魔術のエキスパート。

 こんなところで死んでいい人間ではないのだ。


「ダメだ。相手が『憤怒』である以上、俺もお前を守りきれる自信はないし、お前にもしものことがあったら、俺はオールノート様に顔向けできん」


「でも、それじゃ先生が……!」


「お前はガベルブックから、クレア様のことを任されてるんだろうが。俺なんか放っといて、クレア様をお守りしろ。それがお前の役目だ」


 僕の言葉を耳にしても、ウルゾフ先生は頑なに首を縦に振らない。

 クソ、先生を置いて行くしかないのか。

 嫌な予感しかしない。


「……わかりました。どうかお気をつけて」


 最終的に僕のほうが折れた。

 先生の意思は固く、僕にはどうすることもできなかった。


「お話は終わりましたか?」


 僕たちの様子を静観していた『憤怒』が、触手をうねらせながら身をよじる。

 相変わらず、見る者に生理的嫌悪感しか感じさせない姿だ。


「行け、オールノート!」


 ウルゾフ先生の叫び声を背中に受けながら、僕は教室を後にした。




「ロードくん!」


「クレア様! ご無事でしたか!」


 クレア様たちはすぐ近くの廊下にいた。

 他の生徒たちも、今のところは統率がとれている。


「ロードくん! さっき私たちが『憤怒』に見つかって、ダリアが……」


「……そんな」


 皆まで言わなくてもわかる。

 ダリアさんは今、この先で待ち構えていた『憤怒』と交戦状態にあるのだろう。

 クレア様たちはそれで、ここまで引き返してきたと見て間違いない。


 ダリアさんの力は未知数だが、クレア様の護衛をしているぐらいだから相当の手練のはず。今はそちらの心配はしなくていい。

 問題なのは……。


「ここでまともに戦力になりそうなのは、僕だけか」


 今ここにいるのは、今年この学院に入ったばかりの子供たちばかりだ。

 間違っても僕以外に中級以上の魔術を扱える者はいない。

 せめて避難場所がわかっていればそこへ向かうのだが……。


 いや、子供だけでこの人数で移動するとなると、統率の取れる大人の存在は不可欠だろう。

 僕にでもやってやれないことはないだろうが、どこに『憤怒』が潜んでいるかわからない以上、下手に場所を移動するのもよくない気がする。


 ……クソ、どうすればいいのかわからない。


 そんな思案に耽っていた僕は、ようやく気付いた。

 さっきからそこにあったけれど、意識の外にあったものに。


 ここの廊下は昼でも薄暗いため、最初は水でも漏れて水たまりがてきているのかと思った。

 だがよく見ると、それは明らかに透明ではなかった。


 血だまりだ。


 そしてその血だまりは、廊下のちょうど突き当たりのところにあった。

 その隣には、他の教室のほうへと続く廊下がある。


 早鐘を打つ心臓の音を努めて無視しながら、僕は曲がり角から廊下のほうを覗いた。




「逃がしませんよ、クレアちゃん。あなたはワタシたちと共に来るのです。その運命は決して変わらない。変えてはならないのですから」




 廊下の先に『憤怒』がいた。

 僕たちのクラスの担任教師の皮を被った、正真正銘の化け物が。


 その周りには、僕たちと同じぐらいの子供たちの死体と肉片らしきものが大量に転がっている。

 倫理観に少し欠けていることを自覚している僕でさえ、あまり気分がよくなる光景ではない。


「――我が名の元に集え、『風精霊シルフ』!! 『風の刃(ウィンド・カッター)』!!」


 無意識のうちに身体が動いていた。

 『憤怒』の頭部に狙いを定め、『風の刃(ウィンド・カッター)』を放つ。


「本当に多彩ですね、ロードくん。あなたのような才能豊かな魔術師に出会えて、ワタシは心の底から喜んでいますよ」


 しかし、『憤怒』が腹部から伸ばした触手が盾となり、『風の刃(ウィンド・カッター)』は届かない。

 担任教師の腹を突き破って出てきている触手が、うねうねと蠢いている。

 見るも無惨な姿だった。


「汚いね。僕ならもっと綺麗に使うけど、あんたにそこまでの品性を求めること自体が酷か……」


「ワタシに品性がないとおっしゃるのですか。なんとひどい言いよう。人間の言うこととは思えませんね」


「人間だからこそ、言ってるんだけどな」


 僕のその言葉を理解できなかったのか、『憤怒』は首を傾げる。


「まあいいです。理解できない言葉を垂れ流す人間に価値も興味もありません。ここで死んでください」


 そう言うと、『憤怒』は腹部の触手をこちらへ伸ばしてきた。

 その一本一本が、謎の力を秘めた触手だ。

 一撃食らっただけでどうなるかわかったものではない。


「くっ! 我が名の元に集え、『土精霊ノーム』――」


 『岩壁ロックウォール』を発動させようとしたが、間に合わない。

 触手を伸ばす『憤怒』が、魔術の発動ができない僕を見て微笑を浮かべた、そのときだった。




 僕の目の前で、触手が爆ぜた。




「え?」


 まるで見えない壁に阻まれているかのように、触手はおろか爆ぜた触手の肉片さえこちらには届いていない。

 なんだこれは?


 そしてなぜか、触手の動きが止まった。


「――――」


 『憤怒』は惚けたようにその場に立ち尽くしている。

 そして、その表情がみるみる変わっていった。


「――ああ。あぁ! あぁぁあ! ああ! やっと! やっと見つけた!」


 『憤怒』の顔が歓喜で歪んだ。

 まるで、ずっと探していた旧友に出会ったかのような、そんな純粋な喜びを感じる。

 そして、




「――アリス!!」




 『憤怒』は、その名を呼んだのだった。

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