お願い
あー……疲れた……。眠い……。
「ほら」
「ん?」
授業開始前、陽斗にポチ袋を手渡す。それを受け取ると、何だ、と零して袋を開けて中身を手のひらに滑り出させる。
中から出てきたのは、ビーズで出来たリスのストラップ。それも二匹。
「おぉ! 早いな、もう出来たのか!」
「あぁ……急ぎだったし……」
つい熱中してしまった。気付くとひとつ出来上がっていて、もうひとつ分作れるだけのビーズが余ってたから、サービス的に作り上げた。
気づいたときには、もう夜中の一時を回ってた。いやぁ、集中するとすごいね。
「サンキュー、ホント助かるわ!」
「そうか」
「あぁ。それに、昨日は言い忘れたんだが、これ二つ欲しかったんだ。ちょうど良かった」
「それはよかった」
……本当に、よかったよ。これで二つもいらねぇとか言われた時にゃ、こいつのど頭カチ割ってやろうかってくらい殴ってたよ、きっと。
ビーズのリスは、見た目よりも簡単に出来た。てっきり締め切りの前日までかかるもんだと思ってたから、早く出来てよかった。それに、気に入ってもらえたみたいだし。
「んで。それってどんな代物なんだ?」
「ん? これか?」
ストラップをポチ袋にまた入れ直し、バッグに入れながら僕の問いに応答する。
「これはな、映画のヒロインの大事なものだ」
「大事なもの?」
「あぁ」
用途の説明によると、
そのヒロインは、リスが好きで、おばあちゃんっ子だった。そして子供の頃、その大好きなおばあちゃんに、ビーズでこのリスのストラップを作ってもらった。ヒロインはすごく喜んで、大事に大事にしてきた。しかしある日、そのおばあちゃんが病気で亡くなってしまって、そのストラップは遺品になってしまう。……だが、その大事なストラップをヒロインは無くしてしまった。どこで落としたのか、いつ無くなったのか、全くわからないままに、探し回る――――。
そして、
「その時に主人公が通りすがって、探すのを手伝ってくれるんだ」
「そして見つけて、それがきっかけでヒロインは主人公に惚れて、恋に落ちる。か」
陽斗が続きを語る前に、僕が先に言ってしまう。
ちなみに主人公とヒロインとはその展開よりも早い段階で既に出会っている。でもその時にはまた恋愛感情はなく、互いに友達同士くらいにしか思っていない。
これが恋に落ちるきっかけになるわけか。赤の他人の第三者である僕が作ったストラップが……。なんかすごいな。
「何だ、知ってたのか?」
「台本預かった時に、少し読んだからな」
「じゃあ何で聞いたよ」
「僕が読んだのは無くしものをしたってとこまで。それが何だったかは知らなかった。そしてその『何か』にそんなエピソードがあるなんてことも知らない。でも推測でもそこまで行けばわかる」
何となくだけどね。
何かがきっかけで恋に落ちるってのは知ってたが……それがリスのストラップだったとはね……。しかも僕が作ったという……。
「それでいいのか、おばあちゃんの遺品……」
「いいんだよ。実際に誰かのおばあちゃんに作ってもらうわけにはいかんし。それにいい出来だしな、これ」
「……そうかい」
それならいいか。
そんな会話をしている間に授業の始まりを告げるチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきたので、話は終わり。とりあえず、喜んでもらえたみたいでよかった。
この授業が終わって、昼休み。次の授業もこの教室なのでこのままここで昼食。
「いやぁ、それにしても助かったぜ。これで無事に進みそうだ」
「それはよかった」
「おぅ。つー訳で、いずれお礼でもしてやろう」
「……今度な」
「了解」
そして黙々と食べる。ちなみに今日の僕の昼ご飯はおにぎりと納豆巻きとパン。陽斗はいつも通りのおにぎり三つ。
「そういや、この前さ」
「ん?」
おにぎりのフィルムを剥がし、ひとくち食べたところで口を開く。
「部室で着替えしてるとこ見ちゃったんだよね……」
「ほう、そりゃあ漫画でありがちでベタな展開だな」
「どうすればいいと思う?」
「知らねぇよ。俺に聞くな」
……まぁ、そうだよな。こんな事聞かれても困るだけだ。
「それに珍しいことでもない」
次に出てきた陽斗の言葉に、度肝を抜かれた。
「お前、よく覗いてんのか?」
ドン引きだぜ……。
「……うちの女子、俺がいても着替え始めやがるからさ………」
遠くを見る目で自分の前方を見つめる。
そういやこいつのクラス、男子はこいつ一人だったか。
うちの大学は元女子大らしく、大学自体が全体的に女子の比率が高い。うちの学科でも、学年で全生徒が約一五〇人のうち、男子は十七、八人。残り全て女子。クラスでも四組に分かれているのだが、こいつのクラスは男子一人。うちのクラスは男子の人数が一番多く、それでも七人だ。
「大変なんだな」
「あぁ……大変だ……」
俺、空気だから、と面白おかしく言って、二つ目のおにぎりに手を伸ばす。
「でも先生からはよく指名されるんだよな……」
「それはお前、空気じゃなくて石だろ。石だ、石。岩だ」
空気なら先生にすら気づいてもらえない自然なものだが、石や岩ならいてもいなくても同じだが、存在感はある。だから空気じゃなくて岩だ。
まぁ、この話はそんなに広がらないわけだが……。
「それで、それがどうした?」
「いや、特に意味はない」
ただなんとなく、話しただけ。意味はない。
「ふーん……で、どう思ったんだ?」
陽斗は興味津々に聞くわけでもなく、ただそういう流れのように、そう聞いてきた。
「どう?」
なんでそんなこと聞くんだ?
そう尋ねたところ、返答は僕と同じく「特に意味はないぞ」だった。ただ興味はあったのだろう。僕ら、こういった話はしないからな。
でも、別に答えなくてもいい、と言った風な問い方だった。
どう思ったか、ね……。
どう考えて、思い出してしまった。香月のあの時の、半裸の姿を。
「……っ…………」
カーっと顔が赤くなるのが、自分でもわかった。ダメだ。これはダメだ。
「どうした?」
「…………いや、何でも」
しかし顔の熱はなかなか引かない。困った。
「…………恥ずかしかったんだな」
小さく「……あぁ」と呟き、首肯する。
こっちは見た側なのに、何でこう恥ずかしく思うんだ……。
でも、恥ずかしいだけではなく、何かこう……いろいろな感情が入り混じっていて、なんとも表現しづらい気持ちになった。
「すまん。悪いこと聞いたか?」
「……いや。別に」
この熱が引けるまで、まだ少し時間がかかりそうだった。
それから他愛もない話で盛り上がり、もうすぐで食べ終えてゴミを捨て、自分の席に戻ったところで、
「あっ、春風くんっ」
聞き覚えのある声で、聞き覚えのある呼ばれ方で、名前を呼ばれた。
声のした方に顔を向けると、
「ぐ、偶然だね……っ」
香月、ともうひとり見たことのある女性がいた。
…………なんでここに?
そう疑問に思ったところで、思い出した。そういえば、次は選択科目か。だからまぁ、他学科の香月がいても問題ではない。しかし、何でだ? それが不思議でならない。
香月の学科には無関係な科目なんだが……。
それに、何か挙動不審?
「うす」
短く言葉を返すと、
「偶然? ハルカくんがいるか――むぐっ」
「ななな何言ってるのかな!? べ、べべ別にそんなこと――!」
隣の女性が口を開いて何か言ったと思ったら、急に香月が顔を赤くして、その人の口を抑えて慌てだした。
その時僕の名前が出たけど……何かあるのだろうか?
まぁでもいいか。こいつが何を受講しようと、こいつの勝手だ。
体裁を取り繕うように「こほん」と咳払いをした後に、
「と、隣、いいかな……?」
頬を染めたまま聞いてきた。
「あぁ」
左隣には陽斗が陣取っているが、右手には誰もいない。空席だ。それにこの後誰かが来る、ということもない。
僕が了承すると、小さく「よかった」と呟いて、隣に座った。その向こうには、香月の友人であろう女性が座る。
……何がよかったんだ?
「おい、ハル」
香月とそんなやりとりをしていると、反対に座る陽斗に腕をシャーペンでつつかれた。痛いな、やめろよ。
「ん?」
「誰だ? お前の知り合いか?」
「文芸部の部員。あの映画のストーリーを書いた人だ」
「マジで? 感謝しとかなきゃ」
そんな会話をしていると、耳に入っていたのだろう、香月が自己紹介を始めた。
「はじめまして。英米語学科二年、柊木香月です」
「あ、同じく二年の佐藤希美でーす」
それに続いて、こちらも学科と学年、氏名を告げる。
「同じ学科の二年、箕輪陽斗。映研所属。よろしく」
「僕は、文芸部」
後から付け足すように言う。いや、別に言わなくてもよかったのか? まぁいいか。
「……ねぇ、この人が例の?」
自己紹介が終わると、その女性、佐藤さんが香月の後ろから耳元に囁くように声をかける。ただし丸聞こえ。
「ちょっ、希美!?」
それがこちらにも筒抜けであることを知ってか知らずか、香月がそれを制そうとする。
そしてこそこそと、隠れるように、こっちには聞き取りづらい声で会話を始めた。まぁ、本気で聞こうと思えば、聞こえないこともないのだが。
「なぁ、おい」
向こうがひそひそと話すのを待っていたのか。陽斗が小声で呼んだ。
「何だ?」
それに釣られて、僕も小声になる。
「もしかして、あの柊木ってやつが、お前が覗いたっていう――――」
「覗いたんじゃねぇよ! 見ちまっただけだ!」
小声ながらも声を張って主張する。
……向こうには、聞こえてないはずだ。たぶん。
「ふーん……」
それだけ話すと僕の後ろに視線を向け、じっと見る。
「何だ? どうした」
「いや…………、……可哀想に……」
その言葉は、何とか僕の耳にも届いたが……何がだ? 香月の何が可哀想なんだ?
「お前、気づいてやれよ……」
何にだよ……。
陽斗が言ってることが、全くわからなかった。
「ねぇねぇ」
僕が頭に疑問符ばかりを浮かべていると、佐藤さんが声をかけてきた。
「あんた、文芸部なんだよね? 実はあたしもなんだよ」
「あ、そうなんすか」
「というわけで、よろしくねー」
「はぁ……」
愛想笑いで返事する。本当はどう返したらいいのかわからなかった。
「あ、ねぇ、春風くん」
「ん?」
今度は香月が話しかけてきた。そろそろ本読みたいんだけどな……。
「その人、映研の人ってことは、ビーズを頼んだのって……」
「こいつ」
肩ごしに親指で陽斗を指す。すると後ろから「ども」と明るい声が聞こえた。
「そっか。それっていつ出来そうなの?」
「もう出来た」
「……………………」
「もう出来た」
聞こえていなかったのかと判断し、もう一度言ってみる。
「……へ?」
「It was done」
二度言っても惚けているだけなので、何となく英語でも言ってみる。間違ってるかもしれないけど。
「出来たって……さっき香月が言ってた、リスのビーズのストラップ?」
惚けている香月に代わり、佐藤さんが会話を続ける。
その問いに「あぁ」と答えると、興味ありげに、
「へー。もう出来たんだ。頼まれたのって、昨日なんでしょ? 早いなぁ」
と言葉を紡ぎ、見せて欲しいと頼んできた。
僕は特に言葉もなく陽斗に顔を向けると、「はいはい」とバッグからポチ袋を出した。それを受け取り、二人に渡す。念のため、「盗るなよ」と忠告して。
「おー、すごい。いいなぁ、可愛いー!」
ポチ袋からリスのストラップを滑り出し、手に出してそれを見る。そしてたまに指でつついている。何で?
そしてそれに香月も参加。惚けた状態から治ったようだ。
「わー。可愛いー。すごいなぁ」
二人共似たようなコメントを繰り返し、リスを逆さまにしたり裏返したりして見ている。
…………作ったもんが褒められるのは、割と嬉しい。
でも「もういいか?」と言い、返してもらう。二人はまだ名残惜しそうに見ていたが、いじられ過ぎてテグスが切れてしまったら困るので、無遠慮に回収し、陽斗に渡す。陽斗は受け取るとバッグの中にしまった。
「ねぇ春風くん」
未だ物欲しそうにそのストラップの後を視線で追っていた香月が、口を開いて僕を呼んだ。
それに対して振り向き、返事をする前に、
「私にも作って」
頼み事をされてしまった。えー、何それ。
「理由を聞こうか?」
「可愛いから」
即答だった。
しかし「それに……」と言葉は続き、もにょもにょと口を動かして呟いた。が、それは例のように僕には聞こえなかった。
その後ろにいた佐藤さんには、その言葉が聞こえていたようで、にんまりと笑っていた。一体何て言ったんだ?
「それじゃあ、あたしにも、お願いしようかな」
何でそうなる。
「面倒だからパス」
「えー。ケチー」
佐藤さんが口を尖らせて言う。何で初対面のあんたにそんなこと言われにゃならんのだ。
「それに、リスの素材はもうない」
あれは二匹分と、もう少し、予備の分くらいしかなかった。ビーズも種類や色はわかっていても、細かい分類がわからない。
ビーズは、大まかに同じ色でも、微妙に違うのだ。赤色でも緋色や朱色、紫色でも藤色やすみれ色、緑でも深緑色と若草色、のように細かく分けられている。それがわからない限り、ビーズは買うことができない。
それに金銭的にも足りるかわからん。
「あ、別にリスじゃなくてもいいの」
その佐藤さんの言葉に、香月もうんうんと頷いている。何だ、リスにこだわってるわけじゃないのか。
一応、二人の意見を聞いてみる。
「あたし的には……鳥系かな?」
「私は、えっと……ね、ネコとか!」
……まぁ、キット探せば見つかりそうだけどさ……。金出すのも作るのも僕なんだろ? 面倒だな……。
「それに、優しいって評判のハルカゼくんのことだ。きっと作ってくれるよ」
なぜか初対面のはずの佐藤さんに、もう既に愛称を付けられてしまった。「はるか」の字は春風と書くことからの愛称だろう。……説明いらねぇな。
………………ていうか、別に優しくないし。断るのが面倒なだけだし。
「明日すぐに出来るわけじゃないよ」
ため息と一緒に告げる。面倒だというとこをアピール。
「やった。作ってくれるって!」
「うん。よかった……」
したつもりが作ってもらう気満々だった。アピール出来てなかった? 面倒だ……。
はぁ……帰りに手芸店行ってみるか…………鳥類と猫のキット、あるかなぁ……。
……………………でも別に、優しくなんてないし。
少しすると授業の始まりを告げるチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。そういえば何も出していなかった。急いでルーズリーフと筆記用具を出す。
授業が始まり数分、右腕をトントンと叩き、香月が僕を呼んだ。
その方に首を向けると、指差しでノートを見るように促された。何なんだ?
――――今日は部室、行く?
彼女のノートに書かれていたのはそれだけ。別に喋っちゃいけないわけじゃなかろうに。そう思いながらも、その下に文字を書く。
――――行かない。
僕が書いたものを見て、香月はショックを受けたような表情になり、もし背景に効果音が出るとしたら「ガーーンッ!」というのがぴったりだろう。
――――なんで?
悲しそうな表情のまま、それを書く。何で悲しそうなのさ。
理由ねぇ……。
まぁ理由なんて僕の気分的に面倒だからってだけなんだけど……。
――――次にも授業はあるし、それが終わったらビーズ見に行こうかと。
理由をつけるとしたらこんなものだろう。でも、言ってしまった――正しくは書いてしまった、だが――からには本当に見に行くか。夏休み中に香月と行ったあの手芸店でいいかな。
などと考えているうちに、香月がまた書き始めていた。勉強に集中させてくれ。
――――私も行く。
何言い出してんのこの子。次にも授業あるっての。
…………って、香月はどうなんだ? 香月も次があるなら別に問題ないか……。
――――とりあえず、授業に参加させてくれ。
そう書いて話を無理に中断させる。隣で何か不満を漏らしたような声が聞こえたが、まぁいい。気にしない。
ようやく授業に戻ると、以外に内容が進まれていて、ルーズリーフに書いてないところが結構あった。それを書き写そうとすると、その途中で消されてしまった。
…………後で陽斗に教えてもらおうかな。
授業が終わるなり、僕と陽斗はノートやら筆記用具やらをバッグに詰め、移動の準備を始める。
「次、どこだっけ?」
「確か……」
そんな会話をして、急いで教室を出る。
僕の背中に、何か言葉をかけられるような声が聞こえたが、それを聞いている時間はなかった。
そして更に授業が終わり、本日の勉強は終了した。
「この後、どうする?」
いつものように陽斗からのフリが来て、告げる。
「今日は遠回りして帰る」
ビーズのキットを見るために手芸店に行くことを伝える。
「ん、了解」
何かを感じ取ったかのようににんまりと笑い、そう言う。……何か嫌な笑いだな。
だが駅まではどうしても同じ道なので、それまでは一緒に帰ることになる。
談笑しながら大学の門へと向かうと、後ろから声がかかった。
「は、春風くん……!」
振り返ると、香月と佐藤さんが追いかけてきた。たぶん、部室にいたのだろう。部室棟の方から出てきたみたいだし。
「どうした? 待ってたのか?」
「……べ、別に待ってたわけじゃ…………部活して出てきたとこに春風くんを見かけただけだもん」
言い訳。真っ先にそう思った。しかし指摘はしない。何か、面倒そうだったから。
「そうですか……」
そのまま歩き出す。
「あ、ねぇ」
「ん?」
「これから、ビーズ見に行くんでしょ? 私も一緒に……」
「あー、そうだな…………」
確かに、作るのは僕だとしても、最終的には香月らの手に渡る。だったら本人が選んだほうがいいな。
「じゃ、じゃあ――――」
「みんなで行くか」
僕がそう口にすると、
「…………え?」
「はぁ…………」
「ハルよぉ…………」
三人は三者三様に、いや二人は似たようなため息を吐いて、僕を見た。え、何か変なこと言った?
「香月、どうする?」
「俺ら、邪魔だよな?」
何か確認するように香月に聞く二人。
何で香月に聞くんだ? 何で邪魔なんだ?
「え、いや……ううん。みんなで行こ?」
どことなく控えめに、そして何か残念そうに、香月は言った。
そして三人は僕を残して先に門を潜って行ってしまう。
…………何が何だか、訳がわからない。