入部
数日後。
やっと夏休みに入ってから、いつも通りに特になにもすることなくただただ、うだうだぐだぐだと過ごし、本当に何もせずに、ただただのうのうと過ごしている。
二度目。
しかしそれでもやっぱり、なんとなく、外に出なくちゃという気持ちは、まぁあったりするので、外出はしている。近場だけど。
だが今回は少し足を伸ばしての外出。いつもなら駅周辺でも十分楽しいけど。なんとなくちょっと遠出したくなった。電車で一時間としないとこだけど。
いつものように、本と財布を入れたショルダーバッグを斜め掛けし、ウォークマンで音楽を聴きながら、駅に向かって、途中で何か飲み物を買って、目的の駅に向かう電車に乗る。ちなみにイヤホンは片方しか付けていない。周りの音を聞くためだ。
そして現在、座席に座って絶賛読書中。目的地は終点なので問題なし。
いくつかの駅を過ぎ、また停車する。ドアが開いて降車する人、乗車する人がぶつかりそうになりながら入れ違う。だから降りる人優先だろうが。
その中に、おばあさんがいた。その人はこちらへと足を向け、近くに立つ。
…………誰も席を譲ろうとしない。
……面倒だなぁ……。
立ち上がり、おばあさんの方を見る。
「……あの、座りますか?」
おばあさんは一瞬キョトンとして、目を見開くが、
「ありがとうございます」
頭を下げて礼を言って、僕が空けた席に収まった。
「いえ……」
…………こういうの嫌なんだよなぁ。
なんか、恥ずかしい……。
その場にいるのはなんか気が引けた。だからそこから少し離れたドアの方へと向かい、手すりに捕まって読書を再開させる。
そしてまた何度も電車が止まり、ドアが開く度に少し減っては多くの人が乗り込んできて、車両内は半分ほど埋まった。
どんどんと扉の方へと押し込められていき、身動きが取りづらい。
…………狭い。本が読めない……!
なんか、イライラしてきた。
「あれ? ハルカくん?」
ドアが閉まり電車がまた発車したところで、耳にしたことある声で名前を――しかも下の名前を――呼ばれた。
誰だ。こんなとこで出会う知り合いなんていないと思うが。
声のした方に顔を向けると、つい最近知り合った人の姿が見えた。
片方だけ付けていたイヤホンを外し、音楽を止める。
「……どうも」
「おはよう。こんなとこで、奇遇だね」
………………名前、なんだっけ……?
しまった。物覚え悪すぎだった。人の名前覚えんのとか僕超苦手じゃん。
会ったことは覚えている。あの文芸部の……えっと……なんだっけ……?
「そうですね」
適当に返事をして、考える。
男みたいな名前って言っちゃったんだよな……そこまでは覚えているんだけど……。
でもさすがに「名前なんだっけ?」なんて聞くのはマズイ。失礼すぎる。
というか、この人は何で一度聞いただけで人の名前を覚えられるんだ? すごいわ。尊敬してしまうわ。
「ハルカくんはどっか行くの?」
「……まぁ、ぶらぶらと」
特に予定はないけどね。
「そっか。私はこれからお買い物」
「はぁ……」
だから何なのだろう。でも一応気になったので聞いておく。
「何買うんですか?」
「うん? 特に決めてないよ?」
なんだ。目的はなしか。
僕と同じじゃん。
「ところで――」
その人――まだ名前を思い出せない――が何かを言おうとしたとき、ドアが開いてまた次々に乗り込んできた。
僕たちは完全にドアの角へと押し込められ、もう身動きが取れない。早々に本をバッグにしまっといてよかった。
僕は近くの手すりを掴み、ドア付近の壁に手をついた状態になっている。結構キツイ。
その僕の前にはあの彼女がいる。あぁ、思い出した。確か……ヒイラギ、さんだったか。
やっと思い出した。これでとりあえず一安心だ。
「……あの……」
ヒイラギさんは身を小さくして、少し顔を赤らめていた。
何かあったんだろうか。
「……さっき、何を言おうとしたんですか?」
口を開いたところで、何かを言いかけたところでドアが開き遮られてしまったので、何を言いたかったのかが気になった。
「え、あ、うん……」
少し言い淀んでから、口を開いた。
「いつまで、敬語使ってるのかなって……」
「……はい?」
質問の意味がわからなかった。
「ほら、私たち、学科は違うけど、同級生じゃない? なのに敬語使うから……」
ちょっと気になって……。そう付け足し、俯き加減でこちらを見る。
ほっとけよ。そんなこと。
「い、いや。別に敬語がいやってわけじゃないんだよ? でも……なんかこう……他人行儀というか……」
つまりもう少し親しく話したいと?
「……僕、すぐにタメ口で話せる人と、なかなか敬語が抜けない人がいるんで……」
顔を逸らして告げる。
そもそも人と、あまり接することのない人との会話は苦手なんだ。何を言えばいいのか、どう言えばいいのか、わからないから。
「私はすぐに抜けない方?」
…………なんでそんな悲しそうに聞くのだろうか。
「……すいません」
一応謝っておく。謝ってしまう。
この謝罪に意味はない。ただ、謝った方がいいような気がした。
僕は、意味のない謝罪が多いな……。
「でもたぶん、そのうち抜けますよ。…………たぶん」
「たぶんって二回言った……」
面倒だなぁ……。
それからは言葉が続かず、僕たちの間に会話はなかった。
終点に着くまで、僕たちは無言だった。
目的の駅に着いて、電車を降り、改札を抜ける。
するとずっと後ろに付いていたヒイラギさんが、声を発した。
「ね、ねぇ! ハルカくんはこれからどうするの?」
なんか、無理に明るく振舞おうとしているような、そんな風に聞こえる声だった。
「……特には、用は」
そこで言葉を切る。口を動かすのがちょっと面倒かったから。
てかさっきも同じような回答をしたような気がするのだけど……。
「それじゃ……」
もう用は、というか最初から用はないので、ヒイラギさんと別れる。
「じゃあ、一緒に行かない?」
背を向けようとして、引き止められてしまった。
…………まぁ、別にいいか。断るのも面倒だ。
本当は、一人でいるほうが楽なんだけどな……。
「まぁ、いいですよ」
ちょっと嫌そうに聞こえてしまっただろうか。
振り返って見ると、キラキラと輝いた笑顔を浮かべていた。
うん。聞こえていたみたいだけど、聞こえ方はよかったみたい。
「じゃ、行こっ」
駆け出す彼女の後ろを、僕はのんびりとついて行った。
ヒイラギさんの後に付いて行ってまず初めに入った店は、まさかの服屋だった。
いきなりここですか。
「うーん……どれがいいかなぁ……」
そして入るなり商品を見て回り、手にとってはそれを元に戻して、また次を見る。それの繰り返し。
目当ては服でしたか……。
僕はそんなヒイラギさんの後ろを付いて行き、見ているだけ。
僕結構ここ居づらいんだけど。外で待っていてもいいかな? 本読んで待っとくけど。
…………ダメだよね。
「ねぇ、ハルカくん」
ぼーっと付いて行っていると、声をかけられた。
改めて見てみると、彼女の手にはそれぞれ違う服が持たれている。
「ハルカくんは、こっちと、こっち。どっちがいいと思う?」
それぞれに持っている服を交互に自分の体に当てて僕に見せる。
何でその判断を僕に委ねるのだろうか。自分で決めればいいのに。
しかし面倒臭いのでそんなことは言わない。
「……僕、服なんてわからないけど……」
自分、ファッションとか流行とか、疎いんで。全く知らないんで。
「いいから。ね、どっち?」
はぁ……。口の中でため息を吐いて、考える。
ヒイラギさんが持つ服を交互に見る。
「…………こっち、かな」
そしてほとんど勘任せに、彼女に似合いそうな服を指差した。
するとまた花のような笑顔になり喜ぶ。
「ハルカくんもそう思うっ?」
……「も」って、最初からこっちがいいなと思ってたのか。
だったら僕に聞かないでそっち選べばいいのに。
ヒイラギさんは上機嫌にその服を購入し、僕たちは店を後にした。
それから特にどこかに留まるわけでもなく、ぶらぶらとしていた。店に入っては何か買うことはなく、見るだけで出て行き。また店にも入らず、ウィンドウショッピング? で終わらせたりもした。
そうやって点々と店を回り、いつの間にか昼を過ぎていた。すると、
――――くー……。
と何かが聞こえた。
音の鳴ったであろう方に、顔は向けずに視線だけを送ると、
「………………」
恥ずかしそうに頬を染めたヒイラギさんの姿があった。
腹が鳴ったんか。別に恥ずかしいことじゃないだろうに。
………………いや、恥ずかしいか。うん。恥ずかしいな。意外に恥ずかしいもんだ。
でも気にしなきゃいいのに。
まぁ、女の子だしな。気にするか。
「……えっと……」
何か言おうとしている。
何を? それはまぁ気にしない。
「腹減った。飯食わない?」
純粋に、僕も空腹だった。ラーメン食いたいな。
辺りを見回しても、僕ひとりならどっか適当に入るんだが、流石に女子と一緒でどこでもというのはないだろう。
さて。どこがいいのやら。
「どこがいい?」
よくわからないので彼女に尋ねることにした。
いやだって、僕が選んだら十中八九ラーメンになるかもだし。だってほら、僕ラーメン大好きだし。
「え、えっと……」
ヒイラギさんが辺りを見回し、
「あそこ」
指差したのは、イタリアンな店。お手軽なイタリアンレストランだ。
別にこの周辺から選ばなくてもいいんだけどな。まぁ、いっか。
「じゃああそこに行こう」
というわけで。食事する場所が決まった。
中に入るとそんなに人は多くなく、しかし少なくはない。人気のある店だったのか。
「いらっしゃいませー」
店員が僕たちに近づき、人数の確認、禁煙喫煙の確認をして席に誘導された。
メニューを開いて渡し、「ご注文がお決まりになしましたら―――」と言い残してさって行った。
メインはパスタか……。ピザはあんま好きじゃないし……。やっぱスパゲッティかな。ボロネーゼがいいか。これってミートボールでしょ? これだな。
「えっと……えっと……」
彼女の方は何やら決め切らずに迷っているらしい。
ここで「決まった?」なんて聞くのはやっぱり急かしているようなもんだよな。何も言わずにメニューを見とこう。
少しすると、ヒイラギさんも決まったようだ。
一応決まったか確認をして、店員を呼ぶ。店員にそれぞれが選んだメニューを告げ、言い終えると繰り返された。間違いなかったのでそのまま頷く。
「はい。かしこまりました。では少々お待ちください」
メニューを下げ、キッチンの方へと消えていった。
そして訪れる、この空気。何を話していいかわからない。
僕ひとりなら普通に読書して待ってるんだけど……。流石に連れがいてそんなことは出来ない。……まぁ相手が家族ならするけどね。
はぁ……何を話せばいいのやら……。
それを思っているのは向こうも同じなのか、自分の手元ばかり見てこちらの様子をちらちらと伺っている。
「……あ、あの……」
そして話を切り出した。
「で、電車で……えっと……ありがとね」
「……電車?」
何のことだ? 言葉の意味がすぐには理解出来なかった。
「えっと……」
少しして、ようやく意味がわかった。いや、思い出した。
たぶん、ここに来るとき、満員電車でのことだ。
「何のことかわかんないけど……」
でも、何か面倒なので知らんふり。
「気にしなくていい」
「でも……」
「気にすんな」
無理に気にしないように言う。
そして彼女も無理矢理に「うん」と自分を納得させた。
「そういえば……」
…………あ、やべぇ。名前ド忘れしちゃった。
「英語の方は、どうなった?」
「う……」
この前は英語を見て、課題が全部出来たわけではなかった。半分行ったか行ってないか、それくらいまでのはずだ。
それからもう数日経っている。
なんとなく、気になったので聞いてみた。
しかし、その詰まったような声でなんとなくわかった。そんなんでよく英米語学科に入れたな。……入ったな、か?
「……ま、地道にやることが大切だ。何事もな」
人のこと言えた義理じゃねぇけど。
僕だって勉強嫌いだし。そんな地道になんて面倒臭い。英語を覚えたのだって、学校がそういうとこだったからってだけだし。おかげで大学の英語の授業の評価はSが多いけど。
彼女の方は口を噤んでしまった。あー……僕、ヤバい事言った?
「……あの……」
「ん?」
「また、教えてくれる?」
「……英語?」
「うん……」
…………僕、英語は得意じゃないって言ったよね? 好きじゃないとも言ったと思うけど? 何でそうなる?
面倒臭い。
「気が向いたら……」
「……うん……!」
嬉しそうに表情を緩ませて、彼女は頷く。……面倒臭いなぁ……。
そうしている間に、料理が運ばれてきた。
「いただきます」
「……いただきます」
最近、そんな挨拶もしてなかったので、何も言わずに食べるところだった。
習慣って、簡単にわかるもんだなぁ……。
そういやいつからろくに挨拶もしなくなったんだろう。「いただきます」も「ごちそうさま」も「おやすみ」も。いろいろ口にしなくなっているなぁ……。
ちなみに僕はボロネーゼ。彼女はカルボナーラだ。
「……ん、おいし」
一口食べたカズキさん――下の名前は今ふと思い出した――は言った。
確かに美味い。濃厚で……えっと……。
……しまった。ボキャブラリーが少なくてコメントしづらい。やべぇな。日本語。
「あ、ねぇ」
それぞれがなんとなく料理に少しずつコメントしながら食べていると、カズキさんがそう切り出した。
「そういえば、ハルカくんは、何で映研からうちに来たの?」
……今更なことを。
友達が映研に所属していて、その友達に頼み事をされて映研に向かい、さらにまたそこで頼み事をされ、文芸部に向かうことになった。
まぁ、こんな感じかな?
そんな感じでカズキさんに告げた。
「へー」
それを聞いた彼女の感想は、
「大変だね」
の一言だった。
うん、まぁ、大変だな。この性格のせいで。というか、この性格が。
本当に、途轍もなく面倒臭がりだな。
それから僕たちは、他愛もない話をして、食事を終えて店を出た。
店を出て、再びウィンドウショッピングを始める。
少し見て回ると、カズキさんが振り返って聞いてきた。
「ねえ。ハルカくんはどっか行きたいとことかないの?」
「行きたいとこ?」
「見たいとことか」
別にないな。というか電車の中で目的はないって言わなかったっけ?
あ、いや……。そういえば課題が出てんだっけ。
「じゃあちょっと……」
行きたいとこを告げて、そこへと向かう。
向かった先は、手芸店。
そこの一角にあるフェルトのコーナーを見て回る。あと糸も欲しいな。
「ハルカくんってこういうので何か作ったりするの?」
「いや、課題で……」
フェルトを使って製作しないといけないのだ。
こんなものを作る課題が出ている、という事をカズキさんに言う。
「へぇ……そっちの学科での課題かぁ……やっぱ大変?」
「どうかな……やってないし……」
一応完成予想図というか、柄は決めているのだが……。なかなか難しい気がする。時間もかかるかも知れない。
が、たぶん買って帰ってもすぐには作り始めないかも。面倒臭くて。やる気なくて。
「でもこういうのは好きだし……」
「そうなんだ」
「モノづくりとかはね。好きだから」
ビーズのキットを買って作ったりもする時あるし。フェルトで何か作るってのは、小学校以来かな……。小学校の頃は近所に住んでいたおばさんに手芸を教わっていた。中学年あたりでやめてしまったが。
…………とりあえず、こんなもんかな。
必要そうな色のフェルトを数枚手に取り、それにあった色の糸も取る。
一応カズキさんに断りを入れて、それらを持ってレジへと向かう。と思ったら付いて来た。
「別に待っててもいいけど……」
「どこで待ってても同じだよ」
そうなんかな? よくわからん。
そのうち僕の順になり、フェルトと糸を購入。バッグに詰めてレジから離れる。その間もずっとカズキさんは僕の後ろにいた。背後霊かよ。
店を出て次にどこへ向かうのかを問う。だが的確な答えは特になく、ぶらぶらと練り歩くことになった。
しかしただぶらぶらとしているだけでも時は流れ、陽は傾いていく。
気づけばもう夜。太陽が沈み始めていた。時間が過ぎるのはあっという間だった。
「もう夜になっちゃったね……」
「そうだな」
手芸店を出てからというもの、あてもなく練り歩き、ウィンドウショッピングをして、適度な時間に小腹がすいたりして。クレープ買ったり、アイス買ったり、たい焼き買ったり…………食ってばっかだな。
まぁそんな感じで、たぶんヒイラギさん――またふと思い出した――は大して腹も減ってないだろうし。このまま駅で解散かな。いや、途中までは同じなのか?
ともかく、僕は帰りにラーメンでも食ってこうかな。たぶん車内で腹減るだろうし。
そんなことを考えていると、いつの間にやら食事が出来そうなとこが多い通りに来ていた。僕は付いて行っていただけだから気づかなかった。
……食べてくつもりなのか……?
「えっと……どこにする?」
あー……食べてくつもりなのか……。
まぁいいけど。
「結構食ってなかったか?」
失礼かもしれないが、そう聞いてみた。
「あ、えっと……」
なぜかたじろいでいる。
目的は分からないが、食ってくというのなら付き合うか。
どこか軽く食べられそうなところは……。
「じゃあ、あそこで」
指差したのは、小さな喫茶店。この手の店なら軽食もデザート類もあるだろう。
ヒイラギさんが頷くのを見てから僕たちはその喫茶店に入る。
中は芳ばしいコーヒーの香りが漂い、雰囲気も落ち着いていて、なんか安心する。
この感じ、好きだな。
適当な席に座り、メニューを見る。そこに置かれている小さいサイズのメニュー表だ。二人で顔を寄せ合って見るしかない。
別に関係ないけど。
……僕はオムライスにしようかな。
互いに決まったであろう時に丁度よく店員が来たのでそれぞれ注文する。
僕はオムライス。ヒイラギさんはカレーだった。
「お飲み物は、いかがいたしますか?」
飲み物……。水でいいかな。
ヒイラギさんはコーヒーを注文し、僕は水で、と。
「かしこまりました」
店員が立ち去るとヒイラギさんが質問してきた。
「あの、水でよかったの?」
別にどうでもよくないっすか?
「紅茶は何か苦手。コーヒーは飲めない」
お茶があればいいんだけど……ないみたいだし。水でいい。
「飲めないの?」
「飲んだら腹壊す」
そして下す。……何でかねぇ。
「コーヒーの匂いは好きだし、コーヒー牛乳も好きなんだけどね……」
何でかなぁ。不思議だなぁ。
何かダメなんだろうなぁ。カフェイン? いやお茶にも入っているし。
まぁ何でもいいけど。
余談だが、唯一飲めるのはあのMAXな黄色いコーヒーだ。練乳たっぷりのアレ。
「へー……」
興味あるような、ないような。そんな反応。
本当は飲みたいんだけどね。腹壊すんじゃ仕方ないよね。
ちなみにコーヒーゼリーでもコーヒーキャンディでも腹を壊したことがある。
「……ねぇ、ハルカくん」
「ん?」
「文芸部、入らない?」
突然何を言い出すんだ、この人は。唐突過ぎるよ。
とりあえずその理由を聞いてみる。
「理由は?」
「うち、今活動してるの私だけなんだよね」
つまりは誰でもいいから入って活動してくれるとありがたいと?
「それに、君、結構あそこ気に入ってたみたいだったし」
……まぁ、嫌いじゃないけど。
サークルねぇ。部活ほど面倒じゃないのかな。
文芸部って何すんだろ……。本読んだり、小説書いたり? ……後者は興味あるな。
そう考えている間に、カズキが何かを呟いた。それは僕には聞き取れなかった。なので聞き返してみると、「何でもないっ」と俯いてしまう。
まぁ、気にしないでおこう。
「それで、どう、かな?」
「……ま、読書は好きだし。じゃあ入ります」
「ほ、ホント!?」
飛び跳ねそうなくらいに喜び、輝く笑顔を僕に見せた。
「じゃ、じゃあ……えっと、連絡先とか……」
……まぁ、必要か。
携帯を取り出すが……。
僕はガラケーってやつで、向こうはスマホ。ここから導き出される答えは…………赤外線による通信不可。
しゃーない。打つか。……いや向こうがやったほうが早いか?
「ヒイラギさんは打つの早い方?」
「え、いや、どうかな……最近変えたばっかりだし」
「じゃあ僕が打つから。アドレス見せて」
僕もそんなに早い方じゃないけど。慣れてはいるし。
と思ったけど、そう簡単には行かなかった。ヒイラギさんがなかなか自分のアドレスを表示できないでいたのだ。だから結局僕がアドレスを見せて打ってもらうことに。
数分後。登録が完了し、料理が届くのとほぼ同時にメールが送られてきた。タイトルには『柊木香月です』とあり、その本文には彼女のものと思われる電話番号があった。
カズキってこう書くんだ。「す」じゃなくて「つ」に濁点だったのか。初対面に悪いこと言っちゃったかな。
そのアドレスを登録し、電話番号も記録。そして今度はこっちから電話番号を記載したメールを送る。名前は……一応タイトルに入れとくか。
よし。終わり。携帯を閉じてポケットにしまう。
「じゃ、食べるか」
「う、うん……」
あれ、何でだろう。緊張してらっしゃる。
でもまぁ気にしないで食べ始める。
……うま。
「美味しい……」
ヒイラギ―――柊木さんも口にあったようだ。
ここいいな。
何か……いいとこ見っけ。また来よう。
「……ねぇ。春風くん」
「ん?」
「それ、一口ちょうだい」
「ん。いいよ」
一口分掬い、持ち手を向けてスプーンを渡す。
「……はい?」
「ほら」
しかし受け取ってくれない。なぜだ。
「え、えっと……いいの?」
「ん? あぁ。一口欲しいって言ったのはそっちだろ」
何を言ってるんだこの人は。別に欲しくないならいいけど。
そう思い下げようとしたら、
「あ、いや、あの……いただきます」
「……あぁ」
改めて渡す。
しかしなかなか食べようとしない。少し顔も赤いし。若干震えている。もしかして風邪? いやいやそんな。急すぎる。さっきまであんな元気だったし。
そして覚悟を決めたかのように食べる。
いやいや、そんなそこまでのことはないだろうに。てか何に対する覚悟だよ。
「……お、美味しい、ね」
「ん。だろ?」
でもなんだ? 何か緊張しているように見えるんだけど。そしてさっきよりも顔が赤くなってる気がする。
……まぁいいか。
そしてそのまま、また続きを食べる。
「あ……」
「ん?」
何だよ……。もっと欲しいのか?
「いや、何でも……」
消え入りそうな声で呟く。
何なのよ……。
「ところで――――」
「ひゃいっ!」
…………ひゃい?
たぶん、突っ込まないであげたほうがいいんだろうな……。顔、だけじゃなくて首まで真っ赤にしているし。
「んで。英語はどうよ」
「……また?」
「あぁ、まただ。一応ね」
さっき聞いた答えが「う……」だったし。
「一応、言ったよね?」
「伝わったけど、言葉では聞いてない」
あんな詰まったような答えだけで何がわかると?
イマイチだって事しか伝わらないよ。
「あれからどのくらい解けた?」
半分は残っていたと思うが。
「……えっと……」
表情を曇らせて、俯き加減で視線を斜め下に向ける。
ふむ。なるほど。
「全然、と」
「うぅ……」
図星だったようだ。
本当に、よく英米語学科に入れたな……。付け焼刃でもしたか? それは僕も同じか。
「で、でも努力は……」
「はいはい……」
努力はしたけど解けなかったんですね。はいはい。
僕が適当にあしらったことで、柊木さんは頬を膨らませてしまった。子供かい。
まぁ適当に埋めようとしないだけマシか。時々いるんだよな。解けないから勘で適当に埋めちゃえってやつ。例えば僕とか。それで解けたような気になって、努力を怠るようになって……。ってまんま僕じゃん。
しかし彼女の機嫌はすぐに直り、その後は特に内容のない世間話をして食事は終わった。
この喫茶店よかったな。覚えとこ。
時間的にもう帰るということになり、駅へと向かう。
「ねぇ、春風くんはどっち行き?」
「ん? こっち」
僕が住んでいるとこの最寄り駅に向かう方面を指差す。……たぶん、これ。合ってると思う。いや大丈夫。これだ、これ。
「そうなんだ。同じ方向だ」
……まぁ、偶然とは言え、同じ電車で来たんだから同じだろうな。
そういうことで、同じ電車に乗って帰ることに。
電車に乗り込むと席は斑に空いていて、二人並んで座るのは無理そうだ。
「座りなよ」
「え、でも……」
「いいから」
女性を立たせて自分が座るとか、席が空いているのに女性に立たせるとか、ちょっと気が引けた。
自分も立つとなかなか食い下がるが、面倒なので無理に座らせた。疲れたのか足だって少し引きずっていたし。
「……ありがと」
「いえいえ」
そんなやり取りをしていると、隣に座っていたお兄さんが親切にも席を空けてくれた。これは驚き。今の時代、人間は自分のことしか興味なくて、自分が一番可愛いと思っている、と思っている僕からしたら驚くことだ。
「どうぞ」
「あ、すいません……」
そのまま別の席に移りそこに陣取る。なるほど。確かにそれなら両者共に嬉しい。
「譲ってもらったね」
「そうだな」
何か恥ずかしいな。やることやった上でこれは恥ずかしい。
しかし親切な人がいるなぁ。まだ捨てたもんじゃないな、この世の中。
…………って僕は何様だよ。
「そういえば。私、初めから春風くんのこと“ハルカくん”って呼んでたけど……」
「今更……」
本当に今更過ぎる。何を今頃……。
「もういいよ。慣れた」
中学高校での経験もあって最初から下の名前で呼ばれるのは慣れている。特殊な学校だったからなぁ。……たぶん、特殊だと思う。
「今更苗字で呼ばれる方が違和感ありそうだし」
「そっか……うん」
主語が抜けたような会話だが、それぞれ言いたいことは伝わっている。はずだ。
あぁ、そうだ。聞きたいことあったんだ。
「なぁ、香月って――――」
「ふぁいっ!?」
あ、やっちまった。
「いや、すまん……」
うちの中学高校は基本的に皆ファーストネームで互いのことを呼び合っていた。教師も生徒も、自分を含め皆が。だからたまに話している相手のことを――普段は苗字で呼んでいても――下の名前で呼んでしまうことがあるのだ。ある種の病気みたいなもんだ。職業病。
そのうえ僕は物覚えが悪過ぎて瞬間的に彼女の苗字を忘れてしまった。天才的にバッドタイミングだった。
流石に嫌だよな……まだ会って間もない男から下の名前で呼ばれるとか。
「な、何?」
「……え、あぁ……えっと、すまん」
「な、何が?」
「いや……急に下の名前で……」
「べ、別に、いいよ……!」
……そんなもんなのか?
「そ、そうか……」
「うん……そのまま、香月って呼んでくれても……」
はぁ……そんなもんすか……。
「んで、聞きたいことがあんだけど。香月はどこに住んでんの?」
「……え、えっと……」
まだ呼ばれ慣れてないように見えるんだが……本当に大丈夫なのか?
でも本人がそれでいいって言ってんだし……。
とりあえず、しどろもどろしながらも住居地の最寄り駅を答えられる。
……確かにそこならうちまでの通り道だな。
そんな感じで会話を始めて少しすると、香月が船を漕ぎ始めた。
「…………っ……ごめんらはい……」
うとうとと眠そうだ。
「少し寝てろ。駅に着いたら起こすから……」
「んん……そうする……」
……余程眠かったのだろう。すぐに寝てしまった。
そんなに疲れたのだろうか。僕はそうでもないけど……。
…………あ、やべぇ。どこだっけ、こいつの降りる駅。今更聞けねぇよなぁ。
視線を彷徨わせて駅の名前がズラッと書かれている地図を探す。そしてその地図を、今の駅からうちの最寄り駅までを往復して名前を見る。……見れば思い出すかと思ったんだけど……。あ、大丈夫だ。今見つけた。そして思い出した。今度は忘れないようにしよう。
バッグの中から本を取り出し、栞紐が挟まったページを開く。……いや、問題ないよね? だって連れは寝てるんだし。
…………いや、本が読みたいから寝ることを促したんじゃないよ? ホントだよ?
なんて誰かに聞かせるわけでもない言い訳を心の中で呟く。
読み始めてから数分としない間に、右肩にトンと重みを感じた。
「ん?」
首を回そうとすると、頬の辺りに何かが当たる。視線をさらに横に向けると、その正体は頭だった。
香月がこちらに寄りかかってきたようだ。
……軽いな。
人の頭は重い、そんなイメージがあるわけではないのだが、思っていたよりも軽い。
いやそんなこと考えている場合じゃないか。ていうか無防備だな……。
目的の駅にはまだ着かないし……まぁいいか。このままでも。
「しかし……」
本が読みづらいな……。
それからいくつか駅に停車していき、香月の目的駅に着いた。いやひとつ手前か。
「香月」
あれ。そういえばどうやって起こせばいいんだ?
右手は動かせない、というか動かさない方がいいだろうし……左だと膝? いやアウトでしょ。じゃあ……頭、かな?
とりあえず、頭に手を置いて揺する。
「おい香月、そろそろ着くぞ」
揺すっても起きない。
「香月、起きろ。もう着くぞ」
呼び掛け揺すっても「んん……」と声を漏らすくらいで、すぐには起きなさそうだ。
どうしたらいいんだ……?
ひとつ手前の駅からも発車し、あと数分で着いてしまう。
「香月。おい!」
もう時間がない。そのせいで焦ってしまい、つい右手で彼女に触れてしまった。……彼女の膝に。
さらにそれが原因なのか、香月が目を覚ました。起きた。起きてしまった。
あ、やべぇ。これってセクハラ? セクハラなの? 僕怒られるんじゃね? 殴られることも覚悟しておこう。
「へ……はるかくん……?」
……寝ぼけているようだ。
不幸中の幸いというか、何というか……。このままそのままでいてくれ。
「もう着くぞ」
心臓がバクバクなのを抑えて、平然を装い告げる。
とそのタイミングで車内アナウンスが「まもなく――――」とかかった。
アナウンスを聞いている間に香月の意思は徐々に覚醒していき、慌てだした。
急いで準備して――と言っても大した準備もないが――立ち上がる。ドアに向かう途中、躓いて転びそうになった。
……何か、危なっかしいな……。
それに、まだ少し明るめ――でもないけど、空はもうほとんど紫に染まっている。こんな時間に女性ひとりは危ないかな……。
「……送ろうか?」
彼女の小さな背中に向けてそう尋ねると、
「ううん、大丈夫。ありがと」
ちょうどドアが開き、バイバイと手を振って電車を降りた。
彼女の姿が見えなくなるまで見送り、イヤホンをつけて音楽を流す。
やっと小説が読める……。
………………柔らか、かったな…………。
いや何考えてんだ、僕。
帰りの電車では読書に集中できなかった。