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匚の中にて

平河はまた、一人で川に来ていた。

あの悪夢のような夜から、早四年が過ぎていた。高校を卒業した彼はかねてからの希望であった大学進学を取りやめ、実家のコンビニの手伝いをして日々を過ごしていた。

両親からは大学へ進学することを強く勧められたが、それをきっぱりと断りここでの生活を続けている。

結局、あの晩の出来事はまるで最初から何も起こらなかったかのごとく処理され、平河にも特に沙汰が下ることも無く、当たり前の日々が当たり前のように過ぎ去ったのだ。

「明……」

その当たり前な日々の中に、彼女の姿は無い。どこか遠くの病院へ入院したことは唯子の手紙で知らされたが。場所までは教えてくれなかった。彼女は今も、見知らぬ病院のベッドで眠り続けているのだろう。

住所は書いていなかったが文面から察するに、唯子の実家にほど近い場所だということまでは推測出来たが、それから先が続かなかったのだ。

四年前のあの晩に瀕死の菊華が最期に行ったことは、恋敵の抹消であり。彼女は、渾身の力で明を鳥居の向こうへと投擲したのだ。

血だまりを走り抜けて、平河は明の元へ向かった。背後からは誰かが倒れるような音が聞こえたが、それはきっと菊華だったのだろう。しかし、彼は血を流して階段に落下した明を優先するのであった。

あの後のことは、思い出せない。貞女や菊華のことも忘れあてもなく町中を走り回った。すると、偶然町を徘徊していた唯子と昭雄に遭遇した。

二人は血塗れの自分達を見て、驚いた顔をしていたがどこか最初から予測出来ていたかのように迅速な対応をしたので、平河がぼんやりしている間に診療所の前に立っていたのだ。

ただ唯一、印象に残っているのは。先に家へ帰るように指示された後、昭雄が。

「二人は、どうした?」

二人とは、貞女と菊華のことだ。彼が真っ直ぐにこちらの目を見据え、そう尋ねてきたので。自分は簡潔に応えた。

「神社の境内で……」

事の顛末を聞いても、昭雄は大きく乱れることも無くただ、そうか。とだけ告げた。

「今後の事は気にするでない。それと、彼女の事だが……駄目かも知れぬ」

「……そんな」

その後、明は救急車に乗せられ都会の病院へ連れていかれたのだが。自分はその場面を見ることなく、自室で布団に包まっていたのだ。

平河は恐らくあの時、初めて自分に正直な気持ちで涙を流したのだろう。そんな気がした。

かくして平河良平は一人ぼっちになってしまった。無意味な毎日だった。一人になって初めて気が付いた、こんな簡単なことに。

「あの日、俺はお前の為だったら死んでも良いと思った」

それなのに、

「そのお前が消えちまったら、俺はどうすれば良いんだよ……?」

世界が距離を広げてくる。ここと明の居る地点は果てしなく遠い。時間が経過するごとに二人の距離が離れていってしまうことが、何よりも悲しく思う。

「もしかしたら、俺。この町の事が好きになれたかも知れないのに。──幸せになれると思ったのに……」

彼はポケットに仕舞っていた手紙を取り出す。彼にとって最愛の人、美しい眠り姫。二年前の消印だ。唯子からの手紙はこれっきりだ。

連絡の必要なし、と思われたのかそれとも彼女なりの深い思慮がなされた故の行為なのかは分からない。

結局、匚盛へやってきた転校生は一度も登校することなくこの地を去ることになった。それだけのことなのだ。

季節は夏の盛り。あの日も確かこんな風にむし暑かった。鮮明に覚えている、忘れようがないくらいに。

窮屈で辛いだけだったここでの暮らしだったが、今はだだ広い世界を持て余してしまっていた。

彼女は今どこでどんな風な姿になっているのだろう。このどこまで続いていそうな空の下で何を思って過ごしているのだろうか。

「……」

居ても居られなくなり、立ち上がる。彼女の残滓を求めてあの日々の記憶を掘り起こす、出会ったばかりの事から別れる過程の事を。あの頃から自分は何か変わっただろうか、意図津だけあげるとすれば。

「気持ち良いな……」

この町の風景が大好きになった。

「お前は、どうなんだ?」

ここに居ない彼女にそう問いかける。自身の事が嫌いでしょうがなかった彼女は今、どう考えているのだろう。

「俺は、変わったぞ」

心地良い風が吹く、どこからか吹くその風はどこかで彼女も浴びたことがあるのだろうか。

そんな思いを胸に抱きながら目を閉じる。視界は塞がり微かな川の流れる音が彼を包み込む。

「……」

後方より地面を踏みしめる音。それは連続してこちらの傍で止まる。

「あの」

音の主が声を発する。女の声だった。

「平河良平、さん。であっているだろうか?」

声色からして、年齢は彼と同年代位だろう。敬語をあまり使い慣れていないのかたどたどしいその問いに応えようと立ち上がり目を見開く。声を掛けられた瞬間から鼓動が跳ね上がっていた。

「ああ、俺が平河良平だ」

そこに居たのは――。

相手はこちらの答えを聞くと涙を流しながら抱きついてきた。そして言葉を発せようとする彼女を遮り彼は言う。

「なあ」

気付けばそう口走っていた。どういったことを言うつもりなのか全く考えていなかったが自分は彼女に声を掛けている。

「何だ……?」

涙声で彼女はそう応えた。その反応に彼は自分の言うべきことを決める。抱き合っているのでお互いの顔が窺えないが彼は勤めて笑顔でこう言った。

「待ちくたびれたぞ、俺は」

相手も懐かしむような顔で述べる。

「五年以内に良いところ、見せてくれるんだったか?」

「どうでも良いことまでよく覚えているな」

「全部覚えてるよ。思いもあの時と同じで変わっていない」

 彼女の姿は、だいぶ変った。背も伸びて女性らしくなったみたいだ。こんな他愛もない会話一つで、四年の月日が一瞬で消え去ったと平河は確信した。

「じゃあ、覚えてるよな。今度は俺から、三度目だって」

身を剥がしてそう問いかける。

「そうゆうのは言わぬが花ってやつだろう……」

全く、お前ってやつは。と彼女は呆れた声を上げて目を弓なりにした。

「じゃあ聞かなかった事にしてくれよ」

「……馬鹿」

二人はそこで声を出して笑いあう。暫くそのまま笑いあった後、お互いが黙り込み、

「――――――」

静かに、その影を重ねた。

そこに居るのは二人の男女、他には誰も居ない。二人を阻む全ての邪魔は排除されていた。

まるで世界がその場所しか存在しないかのごとく。世界は急激に密度を増す。


それでも別に構わないと、夏の日差しよりも暖かい彼女の身体を抱きながら、平河はそう思うのであった。


おしまい

さよなら

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