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狭く深い闇

 翌日、町は騒然としていた。芽久が高架下で死体を発見したのを皮切りに、昨夜から今朝にかけて十人の死体が発見されたからだ。

 芽久の発見した死体以外のものは、死後数日が経過しており死亡推定時刻も異なっているらしいが、どちらも死因が失血死。道具を使った訳でもなく、まるで熊にでも食い荒らされたかのような亡骸だったらしい。

 匚盛は稀にだが野生動物が出没する。餌を求めて人里に下りてくるイノシシや猿だが、熊の出没例は聞いたことが無い。

 亡くなったのは数日前から行方不明になっていた者達で、年齢、性別、職業共に共通項は見られない。

 狭い町だ。顔を合わせれば挨拶の一つはする、そんな集団の中で十人の尊い命が失われた。

 直接被害者と関わりが無い者達も怯えた表情で集まり、様々な憶測を立て始めている。

 死体は廃屋や人目のつかない場所に隠されていたのを偶然通りかかった市民が発見した。常識的に考えると、人為的にそこに放置されたとするのが普通だ。

「連続殺人、それも十人だもんなあ。そりゃ、昨日と空気も違うわな」

 なんてことを言っていられるのは、自分が部外者であるが故にだと思う。平河は、何となく騒がしい匚盛の町を歩きながらそんなことを考えていた。

 家でゆったりとしている様な気分じゃなかった。昨夜連絡のつかなかった明からは先ほど返信が来た。電源を切っていたらしく返信が遅れたのだそうだ。

 菊華と芽久はどうだろうか、無事だろうか。昨日の今日で行方不明もしくは何らかの事件に巻き込まれる可能性は極めて低い。が、不安ばかりが心に積もる。

 焦燥感のようなものがある。特に芽久は惨殺死体を間近に見たのだ、精神的的ショックも計り知れないものだろう。しかし、自分は彼女の連絡先どころか、どこに住んでいるのかすらも知らない。町を歩き彼女の姿を探しつつ、せめて連絡が取れないもう一人の人間。菊華の家の前まで様子を見に行くことにした。

 こんな事件なんて、自分の周りでは絶対に起きないと、そう高を括っていた。

 いや、そんな可能性など考えもしないで無意味な時間を過ごしていたと言った方が適切だろう。

 匚盛はきっと自分が死ぬまで匚盛だし、そこに住む人間も変わらない物だと心のどこかで思い込んでいた。

 だが、今こうして現実が目の前にのしかかってきたことによって、曇っていた平河の視界が晴れたように思えた。

 坂道を上る。この先が匚盛神社で、菊華の家も近くだ。

 息苦しさから空を見上げる。

 照り付ける太陽の日差しはいつもと変わらない。なのに、今日は尋常じゃない程の汗をかいている。

「くそっ」

 誰ともなく呟くと、目の前に人影が現れる。

 学生服を着ている菊華だった。


      □


匚盛神社の神主、九条昭雄の娘。巫女である菊華は貞女をとても尊敬している。それというのも元々引っ込み思案な自分は中々クラスの輪に溶け込めず、とても困っていた時期があった。嫌われている訳ではない、寧ろ相手に気を使わせてばかりであったと思う。そんな自分が大嫌いで何とか性格を変更したいと日がな一日中考えていたが、解決策は浮かばずずるずるとそのまま成長をしてしまった。そんな彼女に転機が訪れるのは中学に上がった頃、今からもう三年くらい前だ。放課後となった教室で一人残った彼女は部活動見学について頭を悩ませていた。どの部活に入れば今までの自分を変えることが出来るのか。入ったは良いが最後まで遣り通すことが出来るか。厭な先輩は居ないかなど、些細な疑問をであったが、彼女にとってそれは時間を忘れて悩むほどの案件で事実彼女はまだ教室に自分一人取り残されたという事を知らない。

人生、どこかに必ず落とし穴が用意されており、それに何度か嵌りながらも前へ進むことが大事なのだと信じていた。

可能であるのならばそんなものに足を取られない順風満帆ない一生を送りたいと思っているし他の人々もそう思っているに決まっていると考えていた。だから彼女は悩むし怯える、何かを失敗した為でもなく何かを成したとき何かを成そうとしたとき或いは何もしていない時に飛び込んでくるであろう不運を恐れて暮らす。

そんな中、彼女に出会った。後の演劇部部長となるその女生徒は悩みもしなければ保身に走るわけでもない。ただ他者の為に汗を流していた。凄い、と思った。こちらは自分の事で手一杯なのにその人は文句をいうどころか自らが率先して作業を請け負い、完遂させる彼女は、異世界の住人の様に思わされる。

出会いはその直後、煩雑とした思考を止め意識を現実に戻した彼女は既に無人の教室を目にした。そして、

「……また、私は一人で」

消え入りそうな声を上げる。寂しさから来たのか自らを非難するために発した言葉だったのか本人にも分からぬものであった。ぼうとしていた直後に彼女は独り言をいう癖があり、そんな自分が大嫌いだったが、

「一人で、どうかしましたの? 何か考え事でもしてたので?」

今日に限って返事が返ってきた。

「……誰?」

驚きを隠せないままの調子でそう尋ねる。視線を一つ動かしながら先程の声の主を探す。

「わたくしは大島貞女、あなたのクラスの学級委員長。小学校でも同じクラスになったことが何度かおありになったでしょう?」

 一息。

「放課後になってからもずっと一人で考え事していたあなたが気になりまして、様子を見に来たんですの」

そう言って貞女は椅子に座ったままの自分に向かって一歩を踏み出した。

人と話すのが怖い。今でも怖い。しかし、あの時自分はその恐怖を克服しようと初めて決意することが出来たのだ。


      □


「菊華か。……昨夜の件か?」

 その問いに菊華はこくり、と頷く。学校のない日に制服を着ているのだからそれも分かって当然だろう。

「被害者の一人。私の、部活の後輩の子だったの」

「……ああ」

 こちらの心中を察したような表情の彼は、視線を横に移しながら訊いた。

「これから葬式か?」

「ううん、まだ。でも、今からお家に行こうと思って。仲が良かったから、その子と。多分、貞女ちゃんも先に行ってると思う」

 相手がかける言葉を探しているのを肌で感じる。

「そうか、だったら途中まで一緒に行くよ」

「うん、ありがとう……」

「お礼なんて言わないでくれ」

 短く、彼はそう言って歩みだす。ふと、無言でこちらを振り返って何か言いたげな表情をする。

 道が分からないのか、と気付くまで大分時間がかかった。それに気づいた時、自分の顔が僅かに引きつるのを感じた。

 視線を合わさず、彼をリードするために前にでる。

 彼は黙ってあとについてくる。

 静かだ。と菊華は思った。いつもの町はもっと生き生きとしていたはずだ。

「実はね──」

 言おうか言うまいか迷っていたが、隠し事をするような間柄でも無いと思い。昨日の出来事を彼に話してみようと思った。

「私、犯人見たかも知れないんだ」

「犯人って、殺人犯をか!? 大丈夫だったのか!」

 気遣いが身に染みる。菊華は眠い瞼を必死で覚ましながら答えた。

「大通りから伸びてる道があるでしょ? 行き止まりの道から人が飛び出してきて、ぶつかっちゃったんだよね。その人と。雨でもないのにレインコートなんて着てて、尋常じゃないくらい焦ってたから、すぐに見失っちゃったけど。気になっちゃって、その小道に入ったんだ。そしたら……死体が」

「お前それ、警察には」

 目を見開いた彼に笑って告げる。

「すぐに飛んでったよ。あたし、パニックになっちゃって昨日とか一睡もしていないんだよ」

「……気分が優れなかったら、言えよな」

 彼なりにひねり出した言葉なのだろうが、不器用さだけがこちらに伝わってくる。人ごとのはずなのに、平河の方が傷ついているように見えた。

 優しい男なのだ。きっとそれは本人も自覚していないし、言ったら顔を赤らめて否定するだろう。

「見た、といってもほんの一瞬だけだったから。交番に着いた頃には本当に死体だったのかすら確証が持てなくて、違う意味で緊張しちゃったよ」

 本当のところは、初めて死体を発見した事実に怯え震えるばかりであったが、いらぬ心配はかけたくない。

「死体を見たのも一瞬だけだったしね。詳しい話は日が明けてからって言われてるから、それまでに、ね」

いつの間にか、こちらが平河を励ましているような構図になっていたので小さく微笑みを浮かべる。

すると、押し黙った彼はまじまじとこちらの顔を見つめてきたので、反射的に背筋を伸ばしてしまう。

「ええと、あたし。また何かやっちゃったかな?」

 微かに漏れた笑みが相手の琴線に触れてしまったのか。それとも、不快感を煽るような言い回しでもしてしまったのだろうか。そもそもこんな話をすること自体が人間として駄目だったのかも知れない。

「なあ、菊華」

「──!?」

 どんな罵倒を浴びせられるのかと戦々恐々していた菊華の華奢な肩に、平河がポン、と手を置いた。

 どんな意図で? と視線で問いかけたのを伝わったのか、彼はこちらの目を見据え。

「お前、昨日はちゃんと泣いたか?」

 何のことを言っているのかさっぱりだ。不意に、彼は肩に入れた力を強め。

「変なことを言ってると思う。でも、お前さっきから、不自然なまでに辛そうじゃないんだ。どこか見ていて痛々しいと言うか、歪な感じで。ちゃんとお前は、悲しめたか」

 悲しめたかと聞かれれば悲しんでいる。それは今もだ。こうして言われて思い当たるのは、確かに昨日から今朝まで色々な出来事が身に降りかかった為。後輩の死に対して、悲しいはずなのに涙の一滴も流せていない。

 どうして、と思った時。ようやく、頬に温い液体が。

「うん、うん……」

 きっかけがあった訳では無い。むしろ平常よりも落ち着いた心情だが。今更頬を伝うのは紛れもない自分の涙だ。

 まるで感情と身体に時差があるみたく、涙が流れてくる。流れてくる涙が、悲しみの感情を引き寄せてくるみたいだ。

「ありがとうね、心配してくれて」

「……ん」

 素っ気ない彼の返事。菊華は思わず平河の手を取っていた。

「ねえ、平河君」

 ありがとう、と衝動に任せて言おうとしたその時。

「あら、お二人とも。ごきげんよう」

 思わぬ邪魔が入る。

「貞女ちゃん」

「あら、菊華さん。どうかしたのですか、その涙。まさか、良平さんに……?」

「いい加減、俺を悪者にするような早とちりは止めろ」

 平河の言葉に貞女はけろりとした顔で、

「冗談ですわ」

 と返した。

 二人だけの空気。そんなものがあるように感じた。

「帰りか」

 この一言で理解したのか、貞女が首肯する。

「あまり長居をする訳にもいきませんし。事情が事情ですからね」

 沈黙する二人に構わず、彼女は続けた。

「そう言えば良平さん。芽久ちゃんのこと、聞いてます?」

「ああ、大変だろうな。あいつも……」

「さきほど偶然お会いして、随分とショックを受けていたみたいですわ。今も小学校に一人で居るでしょう」

 どうしてそんな話をするのかと言いたげな平河に貞女が命じる。

「だから、あの子を元気づけてあげてください。幸いにも彼女の周りに亡くなった方や、行方不明の方はいらっしゃらないらしいので後は彼女次第かと」

「それは俺がやるべきことか。余計なお世話だろ、どう考えても」

「でも、あの子。塞いだ様子でしたけど、良平さんの名前を出すと興味深そうな顔を見せましたわ」

「……ちなみにどうして俺の話題を出したんだ? 聞かせてくれよ」

 まあまあそれはご自分でお聞きになってくださいと、彼女ははぐらかす。

「きっと今も学校に居るかと思うので。わたくしは、菊華さんに付き添おうかと思っているので良平さんに同行出来ないんです」

 共通の部活の後輩が亡くなったのだ。お互い、思うところや話したいこともあるのだろう。

「分かった。顔出してくるよ。今度の祭、あいつも誘おうかと思ってるんだが、構わないよな」

 断られまいと予測した上での質問。彼の思惑通り、彼女は。

「ええ、もちろん」

 賛同の意を表した。

「じゃ、そういうことで。まあ、祭が行われるかもあれだけどな。こればっかりは」

 そう発言してから、彼は少し自虐的な表情を浮かべたが、菊華と貞女は気にしていない風で対応する。

「それじゃね、良平君」

「ごきげんよう。良平さん」

 彼は小さく、じゃあな、と言って立ち去ろうとした。その際に彼がポツリとこぼした言葉が菊華の耳に届く。

「凶悪犯がまだこの匚盛に居るとすれば、町の外からも捜査官が来たりするんだろうな」

 何でもない一言のはずであったが、彼女の記憶へ嫌に鮮明にこびり付いた。


      □


夜の闇。少女は静かに悶えていた。あの男のことを考えながら夜を越えるのは今夜が初めてではない。最初はいつだったか、それすらも覚えていない。

 ただ、彼と初めて出会ってからずっと、自分は呪いでもかけられたかのように静かに心を震わせていた。

 彼への思いを内に秘めているのが自分だけでは無いことは既知の事だ。問題は他にある。

 そうだ、まずはあの娘のことを考えなければならない。突然、自分達の間に割り込んできたあの汚らしい娘。

「憎らしい、憎らしい、憎らしい」

 真夏の日。怨念を撒き散らしながら、少女が床を抜け出た。


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