戻れぬ想い
[聖歴203x年9月2日午後9時5分20秒]
初期のホムンクルス、人の言語を話す狼犬
引き返せなくなろうが、願いは一つ
茜色から黒色へと変わる空。
夜へ誘う時間を示す時刻。
次々と明るくなる街中。
いつもの下校道を歩く青年はどこにでもあるゴミ捨て場に目を向けた。
……動いている。
人影ならまだしも、あれは人というより獣。
四本足でふらふらと不慣れな立ち上がりを見せれば、全ての力を使い切ったようにゴミへ横たわる。
それの繰り返し。
やはり気になるため近寄れば、その身体は弱っていた。
「大変……!」
青年……武内 鷹人は一匹の弱々しい大型犬を拾った。
すぐさま、その犬をおぶさり走って行く。
いつもの場所へ。
「ど、どうした、鷹?!!」
「筒美さん!この子、怪我してて治せないかな?」
「……犬か、それ?」
仲間の勢いで焦りもしたが一気に萎える倉本。
いつもならコロシガミのなり損ないが運ばれてくるのに、今日は動物が運ばれるのだから反応も鈍る。
しかし、そんなときも冷静に対応し傷ついた犬の身体に包帯を巻き、あったかい毛布をかける。
さすがのレストランバー・DooLの現オーナー。
どんな状況もくぐり抜けた経歴がある偉大なる方。
何でも屋かお前は、と口づさむ神谷の言葉はまさにその通りである。
「良かったね、大したことがない怪我で」
「おかげでこの店には多大な営業妨害をくらったわ、ボケ!」
「いたっ〜〜!」
気軽そうに言う武内にいつもの制裁が当たる。
ここもレストランなのだから衛生管理もしっかりしていなければならない。
本来であればペットは厳禁なのだ。
説教中であるも、先ほどまで息を整え眠っていた犬がゆっくりと起き上がる。
「あ、目を覚ましたみたい」
包帯が全身に巻かれているのに意外と元気に立ったものだから、武内はその犬の頭でも撫でてみようと手を伸ばしたときだった。
「……触るな、小童」
声が聞こえた。
はっきりとした鮮明な声。
普通犬ならワンとか、グルルとか
分かりやすく吠えるのに。
口をパクパクと動かしながら、間違いなく……。
「なんか言ったか……あぁ?」
「ち、違う違う!
僕じゃなくて今のはこの子が」
武内の額に目掛けて倉本のアイアンクローが炸裂。
先ほどの失言が誰のだったのか証明するために、武内の全力否定で犬の頭にポンポンと触れる。
「だから、触るでないと言うておろうが」
と、また言葉が聞こえる。
次は武内の手を避けるように首を横に振って話した。
……犬が。
「ね?」
「しゃ、しゃべりよった……」
どんな一流も流石に驚きは隠せない。
世界中どこを探したっているはずがない。
犬が人間の言語を喋るのだから。
「これは失礼した。
私はカザマと申す老いたコロシガミだったもの。
どうやら、コロシガミの負荷がかかり過ぎて人間の姿を保っていられなくなったのであろう……」
「なるほど……つまり、狼男になる錆のコロシガミだったが、使い過ぎによる反動で戻れなくなった。
そういうことやな?」
「そう申したはず。
君は馬鹿か?」
「確認や!
ホンマ助けられた者の態度か、それは?!!」
「話を聞く限りでは武内くんに助けられたはずだ。
部外者というなら君であろう?」
「……この犬ころ、屠殺場に連れてやろうかいな?」
「つ、筒美さん、目が本気だから……」
第三者から見れば、犬と人間が話しているように見えシュールなのだが、元人間。
しかも、ホムンクルスでも恐れられている倉本を貶している。
このままだと本当にやりかねないので武内はなんとか本題へと戻す。
「で、カザマさんは何であんなところで傷ついていたの?」
「それがいろいろあっての……。
私の家系は裕福な方で警備も固く、このような容姿では野犬扱いされ、こってり絞られてしまった……」
「それは酷い話だね……」
「まぁ、コロシガミになった訳も出来の悪い倅が私より先に逝き孫を残していったのだ。
しかし、無残な話よ。
結局変えることは出来ず、私も戻ることが出来なくなってしまった。
せめて……孫だけには、幸せに生きていて欲しいのだ……」
切なる願い。
コロシガミの大半は現世修正に失敗して終わる。
成功するのはごく一握り。
ホムンクルスのメンバーに成功者はいない。
カザマの失敗に深く同情だけはできる。
だけど、どうする事も出来ない。
だからこそ、人間の武内はホムンクルスのトップにいる。
その意外性が買われているのだから。
「なら、僕らがそのお孫さんにカザマさんの言葉を繋ぐよ」
「本当か?」
「ちょっと待て、鷹!
そうやって野良を助け続けるお前の優しさは寛大やし立派やが、ときには仲間の姿を見てから答えろ」
「それじゃあ、僕がカザマさんと同じ状況だったら、助けない?
僕はこの縁が神様が仕組んだものだったなら凄いと思えるし、乗り気で誰でも助けているんだ。
それとも……本当に助けて欲しい人に手を差し伸べるのはいけないことかい?」
「俺もそこまで冷たくは言っとらんわ……。
だけど、士狼には何て言うんや?」
「もちろんお願いするよ。
でも、もう確認はいらないみたいだけどね、王様」
ニッコリと微笑む武内の視線の前では扉にもたれかかり、タバコを吸う王が立っていた。
「士狼、おったんかい!」
「一通りの話は聞いていたが……お前は厄介ごとを持ち込みすぎだ」
それでも呑気に笑っている武内の頭をぐしゃぐしゃと掻いてやりつつも、覚悟を決めていた。
「……俺とこいつで行く。
それで文句ないだろ?」
王の独断。
本来であれば、見逃せるようなことではないが生憎とここに君臨している王は左腕である支柱ともいえる存在に付きまわされる悲しい定め。
だが、一度だって誰かを不幸にはしなかった。
「はぁ……好きにしぃ」
それを知り得ている右腕は頭を抱えつつも許可する。
すぐさま神谷と武内、カザマの三人だけで向かった。
最弱の左腕には本当、苦労を掛けられる。
「だ、誰だ?!!」
「侵入者だ!!!」
「A班、急げ!!!」
カザマ家は御屋敷だった。
門を強引に潜り抜ければ監視に引っかかり、あらゆる場所から警備隊がぞろぞろ出揃うも、神谷の前では何の意味もなさない。
打撃も、斬撃も、銃撃も素手だけで蹴散らす。
その背中にいる者たちを守るために。
「す、すごいのぅ……」
「少し手荒な気もするけど、目的を忘れないでね」
「……分かってる」
ある程度先に進むと警備隊が撤退していくのが分かった。
残りの全てを主に費やしたのだろう。
しかし、神谷たちが着いたのは既に第二防衛ライン。
そこで出迎えたのは燕尾服を身にまとった老人。
「あの部隊をここまで……。
噂で小耳にしたことがありましたが……ホムンクルスの王と左腕が直々にお邪魔するとは何事かな?」
「あの、もしかしてあなたがここのセバスチャンさん?」
「いかにも。
ここ数十年セバスチャンの座を渡すことなく現役のままでおります。
土方 敏幸と申します。
申し訳ございませんが、主人はご不在です。
お引き取り願います。
それ以外の件なら武力介入となりますが……」
殺気立たせる眼つき。
それに反応する神谷だが、何の怯みもなく武内は前に進む。
「この方があなたに話があって来ました」
武内の横で歩くカザマ。
一匹となった彼が辿り着けなかったこの場に対して、神谷と武内に感謝の意を込め一礼した。
「犬……?
何を馬鹿げた茶番を行おうとしているのですか?」
戦火の場で思わず失笑する土方であったが、カザマは大きく息を吸う。
「静まれ、敏幸ーーー!!!」
怒りの咆哮。
その聞き慣れた声に反応したのか、戦闘態勢だった土方はすぐさま跪く。
「は、ははっ!……は?
か、カザマ様……どこに?!!」
「馬鹿げた茶番とは何か?!!
この者共の目を見てそんなことを申しているのなら、貴様の目は節穴かぁっーーー!!!」
「も、申し訳ありませんでした、カザマ様!!!」
先ほどの戦闘態勢とはうって変わって、ペコペコと犬の姿をした主人に頭をさげる姿は、なんともシュールで。
思わず、その場にいたメンバーは笑い堪えていた。
「……大体の事情は分かりました。
しかし、カザマ様……姫様はどうなさるのですか?
あの方が一人置いてくにはまだ幼すぎます」
「そなたがおろう、私の心配はもうない。
私の可愛い孫を頼んだ。
いつの日か戻って来るときまでは、しばらくは文通となろうぞ」
「かしこまりました……我がご主人様」
この御屋敷の主であるカザマは帰ってきたが、戻りにきたわけではなかった。
今の姿のまま、過ごせないと分かっていたにも関わらず、それでも一人残される孫のため心配は掛けられない。
その後、カザマは何も言葉にせず歩いた道のりを再び歩く。
後ろでは執事である土方が見守り
無駄足を運んだと言わんばかりの不機嫌な神谷と、微笑ましい光景にニコニコ笑っている武内に対して一礼した。
「しばらく世話になる、カザマだ。
上のものには礼儀を惜しむことを忘れるでないぞ」
こうして、カザマがホムンクルスの一員として諜報を主に活動している。
引っ張りだこだった神谷たちは何も異論無くカザマの入会を認めた。
その一件から一ヶ月が経つ。
「わーおじいちゃんからだー!」
「良かったですね」
不器用ながらも小さな少女は封を開ける。
その姿を見続けるのは傍にお仕えする土方と、庭からこっそり眺めるカザマ。
やぁ、元気かな?
私は元気にやっています。
少し寂しくなってしまいましたが大丈夫。
私には心強い仲間がいます。
あなたにもきっと大切な仲間が出来ることを願っています。
どんなに離れていても私は側にいるよ。
「おじいちゃん、元気みたい!
また会いたいな……」
「またいつか会えますよ、姫様」
その言葉に嘘偽りなし。
元気を取り戻し始まった新たな生活。
大切な一人が欠けてしまっても、いつまでも幸せな時間が流れる場所。
庭に視線を移せば、一匹の犬は既に立ち去っていた。
いつか、また……会おうね。
武内 鷹人の行方不明まで。
残り、十一ヶ月。
無響戦慄、第二部。
今回はホムンクルスにとって深い人物になるカザマさんのお話です。
彼はコロシガミの力を酷使してしまったがために人間に戻れなくなってしまった。
姿は犬ですが、中身は人です。
この方はこんな偏狭な組織に留まってもいいのかどうか、日本が不安になるほどの裕福で大物です。
また、本編との人物とも関わりがあり、紹介されます。
まぁ犬ですけどね、どこかの白い北海道犬のようですけどね。
ですが、彼はコロシガミ。
姿形がどうであれ、力量はなかなかなものだと思われます。
来週は本編の更新です。
外伝の次回予告をするなら……犬猿の二人組です。
次の本編を見れば、ピンときます。
モロにそのまま言ってますからねー。