【競作】土隷
夏の競作・承。
連作ではありません。
それが果たして、神社と呼べる代物かは分からない。
小さな鳥居と、小さな祠があるだけの狭い空間。
周りは木々と雑草が生い茂っている。
その小さな祠には、御神体として土鈴が収められている。その鈴が鳴るとき、何かが起こると地元では言い伝えられている。
俺の通学路は、その祠の前を通る。ほとんど手入れされてない祠は、あまり気味のいい物ではない。
俺の記憶にある限り、この神社で祭りが開かれたり、初詣をしたことはない。そもそもでかい鈴(正しくはなんて言うんだ?俺は知らない)も、賽銭箱さえない。
ここはかつての開拓地だったので、少しでも安全にスムーズに作業が進むよう、みんな神頼みをしたらしい。神主とか宮司とかいう存在はいないのに、この辺りには、そんな神社ばかりがやたらある。今はどんどん寂れてく田舎だから、そのうち神社が民家より多くなるかもしれない。神社が増えるんじゃなく、人がいなくなって。
部活で遅くなった帰り道。田舎道は街灯も少なく暗い。とっぷり日が暮れた暗い道を、チャリで家に向かう。ホントはもっと飛ばしたいが、この暗さではそれは危険だ。舗装もされていない道で、突然動物が飛び出してきたりもする。無意味な怪我を避けるには、注意するに越したことはない。
神社の前にさしかかったとき、カラコロと音が聞こえた。
気にしない、気にしない。
気にしない……気にならないわけないだろ。明らかに、祠から音がしたのだ。土鈴の音。
「御神体の土鈴が鳴るとき、何かが起こる」
古い言い伝えが、頭の中にこだました。
何かって何よ?俺の身に起こるわけ?冗談じゃない。俺はチャリのスピードを上げて、神社の前を通り過ぎた。家に着くまで、何も起こらなかった。帰った俺は青い顔をしていたらしく、珍しく母親に心配された。
何だ、何もないじゃないか。ただ、土鈴が鳴っただけだ。いや、それだけで充分「何か」はあったわけだけど。
学校へ通うには、明日からも神社の前を通らなければならない。めっちゃくちゃ気が重くなった。
それ以来毎日、神社の前を通るそのたびに、カラコロと音が聞こえるようになった。他人にそんな話をしても、きっと信じてもらえないだろう。実際、両親に、神社の土鈴が鳴ったのを聞いた事があるか尋ねたが、答は「そんなわけはないだろう」だった。でも、俺には聞こえるのだ。毎日、そこを通るたびに。
多少の遠回りでも他に道があれば、そちらを選びたかったが、あいにく回り道は「多少」で済む距離ではない。しょうがなく、俺は毎日神社の前でチャリを飛ばした。それでも音は追いかけて来るように毎日聞こえた。カラコロ、カラコロ、カラコロ。
音が聞こえる恐怖に耐える日々。1ヶ月ほどで俺の限界は来た。
朝、いつもと同じに家を出ると、神社の前でチャリを止めた。今日も、カラコロと音は聞こえた。鳥居をくぐり、小さな祠の扉を開く。そこに、土鈴があった。土鈴は、俺が扉を開けたのを喜ぶように、もう一度カラコロと鳴った。
どう見ても、ただの古ぼけた鈴だ。勝手に鳴る以外は。土鈴は、簡単に壊せそうだった。壊せば、もうその音を聞かずに済む。俺は、土鈴に手を伸ばして、つかんだ。
世界が、ぐるりと反転するような感覚。
次の瞬間、俺は、俺を見ていた。え?何それ?
目の前の俺は、詐欺師のようににんまりと笑うと、祠の扉を閉めた。俺のチャリに乗って、学校の方へ向かっていく。
確かに、鈴が鳴るとき、「何か」は起きた。俺は自分の体を乗っ取られ、鈴の中に閉じ込められてしまったのだ。
初めのうちは、俺の前を「俺」が通り過ぎるたび、必死で音を鳴らし続けた。だが「俺」は、つまり俺の体を乗っ取った奴は、こちらを笑いながらチラ見して通り過ぎるだけだった。当然だろう。自由の身になったというのに、わざわざ鈴に戻るバカはいない。つまり俺は、ここを通る他の誰かを餌食にしなければならない。
でも、目の前を通り過ぎるのは、顔も名前もよく知っている、近所──といっても、結構な距離があるが──の人間だけで、その人達を犠牲にする気にはなれなかった。そのうち、俺はある事に気づいた。目の前を通る人間の、人となりや過去が分かるようになったのだ。
これも考えれば、当然かもしれない。誰かの体を乗っ取れば、その先はその人間として生きていくのだ。過去が分からなければ、その人間として生きていくことは出来ない。
そして俺は、うんざりした。
見たくもない、知った人間の裏側が見えるのだ。
山田さんちのおじさんが、広瀬さんの奥さんと出来てるとか。
広瀬さんの旦那の方はそれに気づいてて、気晴らしに飼い犬をいたぶってるとか。
小学生時代に仲の良かった垣見が、俺が算数が苦手なのを内心馬鹿にしてたとか。
淡い恋心を抱いていた二つ上の百合姉が、実は街で援交してるとか。
下らない、どうでもいいことが次々と分かる。
俺は音を鳴らす気にもなれなくなった。そいつらと入れ替わって、いいことがあるとも思えなかった。
なんだかどうでもいいまま時は過ぎ、「俺」は他の街の大学へ行き、この過疎の地を離れた。多分もう、戻ってこないだろう。俺は俺に戻るチャンスを、永遠に失ったわけだ。
あれから何年経ったか。俺を収めた祠はすっかり傷み、雨の日にはずぶ濡れになり、強風の日には否応なしに転がって、誰も聞いていないのに音を立てる羽目になった。カラコロ。
そんなある日、祠の前に人が集まってきた。
なんと、中に一人、神主らしき人間ががいるではないか。俺が人間として物心ついてから、鈴として何年も過ごすことになるまで、一度も来たことはなかったというのに。
祠の前に、なにやら供え物らしきものが用意され、神主が白い紙が付いた棒(名前を知らない。あれ、なんて言うんだ?)を振って、なにやら祈りのことがを唱え始めた。今や御神体の俺にとって、それは悪い気がするものではなかった。
しかし。
集まっている近所の人たち。それと、どう見ても土木作業員の格好をした、知らない男達。その後ろにある、あれは、どう見ても重機だろう。ショベルカー。
ちょっと待て、何をする気だ?
神主の、祈りの言葉が途切れた。おそらくは、唱え終わったのだろう。目の前の供物が下げられる。そして、ショベルカーが、俺のいる祠へ近づいてきた。
おんぼろの、ちっぽけな祠は、瞬く間に屋根から破れていく。
俺は外に放り出され、上から落ちてくる祠の破片に打ち砕かれた。
壊れた祠と俺の破片は、きちんと集められ、処分された。
粉々になったおれは、産廃処理場でガラクタに押しつぶされている。
俺に周りに来る生き物といえば、虫くらいのものだ。ただ、人間と違って、奴らは無心に生きている。出来れば入れ替わりりたい位に清々しく思うのだが、砕けた俺は、もう音を立てることも出来ない。
まあ、音なんか鳴らしたところで、奴らは逃げていくんだろうが。カラコロ。