チャプター 03:ツーマンセル
ヒューマン・トゥ・マシン・インターフェース。
頭文字のアルファベットを取ってHTMIと呼ばれるこの通信規格は、人と機械の距離
を更に縮める事に成功した。外科手術によってインプラントされた電脳により、人体へ送
られる信号と脳に返される信号を横取りし、後頭部付近に内蔵された通信用プレートを通
して、外部の送受信機と通信を行う。電脳そのものは単独で機能せず、非接触での駆動が
可能だが、通信と同時に給電されている為、基本的には専用のシェル内でしか使用できな
い。当然の事ながら、生命維持等を司る信号に干渉しないよう設計されている。
「さて。対戦ルールはワンライフデスマッチでいいか? マップは好きに決めるといい。
どこだって同じだからな」
既にプログラムが起動している端末はシェルと繋がっており、そこへ片足を入れかけ、
振り向いた菜々が香織を挑発する。香織は顔を傾け、ショートカットの赤髪から覗く瞳が
細められた。
「マップはランダムでいい。精々ケツに気をつけるんだな」
無言で笑みを返す菜々。そして、白いカプセル内へと身体を横たえる三人。困惑した様
子で事態を見守っていた瑞希も、菜々の横に設置されたカプセルへと身体を収めた。
横目に、瑞希の準備が済んだ事を確認した菜々は、身体の力を抜き、大きく深呼吸をす
ると、ゆっくりと目を閉じた。
目と、耳と、鼻と。そして感触と。まるで、馴染むように感覚が鮮明になる。
仮想世界で行動する為に用意された仮の身体、『アバター』。電脳を用いて仮想世界に
入る者は、例外なく自分のアバターを持っている。生身の身体に代わって仮想世界に触れ、
また、感覚を脳へと伝える存在だ。HTMIは仮想の身体であるアバターと、生身の脳を
繋ぐ技術と言えるだろう。
ほぼ完全に乗り移った感覚を確かめた菜々は、辺りをぐるりと見回した。そこは、無機
質な白い壁と、マップ移動用のテレポーター、小さな机と、正面に浮かび上がる操作用の
仮想パネルが置かれた小さな部屋。不自然な程明るい室内は、菜々にとって見慣れた光景
だった。
横には瑞希が立っており、身につけているのは褐色を基調とした迷彩服。腰に両手をあ
て、真剣な眼差しでモニターを見る彼女は普段と少し違った雰囲気を纏っている。
空中に浮かぶ画面に用意された、会話ボタンに触れる菜々。
「おい、聞こえるか? 本当にランダムでいいんだな」
『構わない。まあ……お前の得意なマップにしても良いんだぞ。その方が――』
香織の声を途中で切った菜々は、鼻を一つ鳴らし、マップのシャッフルボタンを押す。
数秒で決定された戦場は、中央に窪地のある山岳地帯だった。中規模のマップで、最大
射程は四百メートル程。狙撃専門の人間でも戦える広さだ。
「ああ……ここになっちゃったのね」
気が引ける、とでも言いたげな瑞希。対する菜々は、心底嬉しそうだった。それもその
筈で、決定したマップは菜々が得意とする戦場の一つだったからだ。
「こいつは……お仕置きしてやれとのお告げなのかな、瑞希?」
目を見開いて同意を求める戦友に、瑞希は苦笑いしか返す事ができない様子だ。
マップの詳細図を表示するディスプレイにタイマーが表示された。試合開始まで、装備
を整える時間、百八十秒が与えられる。しかし持って行く火器の種類や、細かなチューニ
ングまで含めてしまうととても時間が足りない。その為、細かくカスタマイズされた装備
品を五セットまで登録する機能が用意されている。
菜々が選択したのは、狙撃手用の迷彩スーツとセミオートの狙撃銃、近接戦闘に備えた
拳銃と、センサー代わりに使用する対人地雷のセットだ。自分のアバターの目の前に表示
されたパネルから、ボタンを押して装備品を選択する。決定と同時に身体に装備品が現れ、
戦闘準備が完了する菜々。
隣の瑞希は既に準備が終わってた。相棒を薄目で眺めていた菜々は、噴き出しながら目
を閉じた。
「フフッ……本当にさ」
「え?」
菜々の呟きに、疑問符を浮かべる瑞希。
「突撃銃、似合わないな」
「そんな事……ない、もん」
反論しつつ本人も感じているのか、頬を赤らめ、苦笑しながらテレポーターへ向かって
行く瑞希。
そして、そんな瑞希を誰よりも信頼していた菜々は、小さな背中についてテレポーター
の中へ入っていった。
青白い光の先は砂地で、菜々のブーツが大きく沈む。
マップに降り立った菜々の前には、試合の情報を表示するウインドウが並んでいた。視
覚情報に割り込んで表示されているこれらは、手で掴んで任意の場所に移動させる事がで
きる。死角を作らないよう、好みの場所へ移動させつつ、開始の合図であるカウントダウ
ンを見れば、未だ六十秒以上の時間を残しており、何か意味があるのか、右手に立つ瑞希
を見る菜々。視線に気が付いた瑞希が、菜々を見上げた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。奴らをどう料理しようか考えてた所だ」
勝つ事を前提に話している菜々に、瑞希は困った様子で応えた。
「いつも通りにしよう? 特別な事なんてする必要はないわ」
「そうか…………そうだな。真正面から踏み潰してやるか」
菜々の意見に数度頷いた瑞希も、M16の右手に取り付けられたボルトを引き、初弾をチ
ャンバーへと送り込む。そして直ぐにマガジンを抜き取ると、弾を一発だけ装填しもう一
度突撃銃へセットした。カウントが一桁になると、アイコンタクトでお互いの進路を確認
し、頷き合う二人。
そして、0が表示された瞬間、足元の光が消える。
「瑞希」
「うん!」
二人が駆け出した。
菜々が真っ先に向かったのは、崖に設けられた歩道だった。敵が時計回りに進入して来
る可能性が高いルートで、敵側から見て死角になる位置へ移動すると、敵の侵入路へモー
ションセンサーを向け、地雷を設置した。
次に、マップの中で最も高い崖から慎重に辺りを見下ろす菜々。背負う狙撃銃をゆっく
りと構え、銃身に取り付けられた二脚を立てると、褐色の山肌へ半身を隠しながら瑞希へ
と連絡を取る。
「こちらの準備は完了だ。そっちは?」
『こちらも位置についたわ。菜々ちゃんから誰か見える?』
隠密用のスーツを身につけているとは言っても、崖は狙撃手が現れやすい場所でもある。
警戒されていれば、敵の狙撃手に発見される心配も高い為、慎重に、ゆっくりと、スコー
プを使って辺りを見回す。
「…………こちらからは確認できない。恐らくは正面のトーチカか、そちらから見える土
嚢辺りだろう。洞窟の線も捨てきれないが、足跡はないな。今のところ、そちらの正面に
も敵は見えない。確認してみてくれ」
『了解』
瑞希からの連絡を待っている間、菜々も索敵を続けた。スコープだけではなく、裸眼で
の確認によって広範囲の確認も怠らない。
『菜々ちゃん』
「見つけたか」
敵を発見したであろう、相棒からの連絡に応答する菜々。
『私の正面に見える、土嚢の横に一人。トタンでできたバラック小屋の裏に一人。砂地に
足跡が二つあったから』
「ふふふ、流石だ。揺さぶれるか? 少しでも露出させられれば、こちらから狙える」
『やってみるわ』
菜々から見て左手下方、レンガの壁に身を隠していた瑞希が、上半身を乗り出し突撃銃
を構える。三発セットの発砲音が数度鳴り響き、弾丸が敵の潜む辺りを掠めた。アクショ
ンを起こすかもしれない敵に、菜々の集中力が高まる。
「…………居た! 隠れろ瑞希」
『了解!』
瑞希からは死角だったが、菜々はトタンの影から覗く銃口を見逃さなかった。おおよそ
三百メートル。敵の身体はトタンで完全に隠れていたが、菜々にとっては十分すぎる情報
だ。地面に近い位置から、敵が匍匐姿勢である事を予測し、致命傷を与えられる部位へと
照準器の十字を合わせる。
「ふう…………」
菜々は静かに息を吐き、トリガーをゆっくりと引き絞った。
ロックを外れた撃鉄がカートリッジの雷管を叩き、封入された強装薬は一瞬で高圧ガス
へと変換される。僅か十グラム程度の弾丸も、二十六インチの銃身を飛び出す頃にはマッ
ハ2.5まで加速し、必殺の威力を身に纏う。
弾頭初速が高い為風切り音までは隠せないが、消音器付きの狙撃銃だけあり、敵にも発
砲音はほぼ捉えられない。
音速を遥かに超えた弾丸は、トタンの壁を突き破り瞬く間に標的へと着弾した。参加者
全員のジャーナルに表示される、死亡のログ。
命中したのは、アバターネーム"MISUZU_AMR"だ。
狙撃を成功させた菜々だが、さも当たり前のように鼻で笑う。
「さて、もう一人は土嚢の裏で間違いないか?」
『だと、思うわ。少し動いてみる?』
瑞希からの問いを保留し、横一列に並べられた土嚢の壁を観察していた菜々は、ちらり
と見えた迷彩服の裾から、敵の位置を把握した。
「見つけた。南から三つ目の土嚢の裏だ。こちらからは狙えないな……やれるか?」
『ええ。仕掛けてみるわ』
菜々は、瑞希からの返事に戦いの決着を予感した。
瑞希は、菜々からもたらされた情報を元に、待ち伏せをしている相手の攻略法を、頭の
中でもう一度整理した。
二度頷き、もたれかかる壁から背中をゆっくりと離すと、腰に提げた発煙手榴弾を一つ
手にする。遮蔽物に隠れながら、それを前方の岩の裂け目へ投擲する瑞希。それは火花を
上げながら辺りへ煙が撒き散らし、敵と瑞希の間に白い煙の壁を形成する。
十分に視界を塞いだと判断した瑞希が次に取り出したのは、小さな爆弾と、予備のマガ
ジン。左手に握るうち、煙の中へテープの巻かれた爆弾を投げ入れると、銃を構えて煙の
中へ発砲する彼女。超能力者でもない彼女の銃弾が敵に命中する可能性はきわめて低いの
だが、それでも移動しながら発砲を続ける瑞希。六度の射撃で、マガジンの中身はゼロに
なっており、壁に隠れていた瑞希も崖の下から、褐色の岩肌にそって反時計回りに標的の
斜め後方まで回り込む。
しかし、瑞希が握る得物は既に弾切れ寸前だった。三十連装のマガジンが空になってお
り、残弾はチャンバーに残された一発のみ。足早に、静かに動きながら、左手で空のマガ
ジンを抜き取り、音を立てないよう新しい弾丸を装填する。
空のマガジンをポーチへ戻すと同時に、予定していた攻撃位置に到着する瑞希。
「菜々ちゃん、敵に動きは?」
『ない。余程狙撃が怖いんだろうよ。あれからビクリとも動きやしない』
「了解。行くわ」
遂に瑞希が、攻撃へ動く。右手と肩でしっかりと銃を持ち、空いた左手で爆弾のリモコ
ンを手に取る。それを、腰に二度、勢い良く打ちつけた。
煙の中から発せられた大きな爆発の音。土嚢に隠れる香織も、敵の襲撃に備えて上体を
僅かに露出させていた。そして瑞希は、彼女が見ても居ない方向から、ゆっくりと銃口を
向ける。
爆発の轟きもなくなった戦場で、数秒の静寂。確実に香織の身体を捉えた瑞希が、引き
金を素早く引いた。
三連発、二度の発砲音の後に、香織の名前が死亡ログに現れる。
あまりにあっけない、菜々達の静かな勝利だった。




