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チャプター 15:壁

 時刻は、午後九時半。射撃場の中は、ワルサーの発砲音が絶える事無く響き渡っていた。

その中には、空薬莢が射撃台や床へと落ちる落ちる音や、弾切れになったマガジンを差し

替える音も混ざっている。菜々の足元や射撃場の床には、数え切れないほどの薬莢や空の

マガジンが散乱している状態だ。

 むせ返るような硝煙の立ちこめる中、発砲する菜々はため息すら漏らさず、ただ黙々と

射撃訓練を続けていた。しかし、無表情で訓練を続ける彼女の心は、表情と全く逆の状態

だ。鹿野に敗れた悔しさ、無力な己に対する憤り。そして、改めて思い知らされた瑞希の

強さ。それらが混ざり合い、自分ですら、一体何を考えているのかわからない。その中で

も最も悔しかったのが、狙撃手同士の戦いで敗れた事である。鹿野は今まで戦ってきた狙

撃手とは別次元の強さだった。

 菜々はそれまで、自分は優れた狙撃手であると自負していた。同時に、自分が一番でな

い事もよく知っていた。知っていたつもりだった。唯との勝負とは違い、狙撃手として十

分な経験を積んだ者同士の戦いは、言い訳できない。それだけに、鹿野との相対は彼女の

自信を砕くのに十分な経験だった。

 ふと、引き金を引き続ける菜々の指が動きを止めた。スコープから右目を話すと、正面

にアバターの入場許可に関するウインドウが表示されている。黄緑色の許可ボタンを押し、

菜々の目は出入り口であるテレポーターへと向いた。

 システムは瑞希の個人設定を本社のサーバーへ要求し、返された設定情報を元にアバタ

ーを構築する。そして身体が完成した後に、大きな瞳がゆっくりと開いた。

「よう、こんな時間に珍しいな」

「うん……」

 瑞希の性格からして、自分を励ましに来てくれたのではないかと少し期待していた菜々

だが、様子から察するに、どうやらそうではないらしい。

「まあ、何だ。あっちの部屋に行こうか」

「うん」

 いつもの元気が無い瑞希に、菜々は眉を潜めた。しかし考えても仕方が無いので、ひと

まずは事情を聞くために隣の部屋へ移動を始める。歩きながら宙に浮かぶコンソールを操

作し、射撃場に散乱する薬莢とマガジンを削除し、部屋を綺麗な状態へと戻してゆく。そ

して掃除が完了したことを確認すると、瑞希を手招きして隣の部屋へ入っていった。

 中央に置かれた部屋は、音楽鑑賞用のオーディオセットやプロジェクターの置かれたシ

アタールームだった。赤と褐色のクラシカルな家具で統一された室内へ入ると、中央に置

かれた二人掛けのソファへと座り、瑞希の座る場所を手で叩く。

「ほら、来いよ」

「うん」

 先ほどから生返事ばかり返している瑞希は、ふらりと菜々の横へ近づき、ゆっくりと腰

掛けた。

 隣へ座ってからも、瑞希は一言も口を開こうとしなかった。菜々もまた、これほど悩む

瑞希の言葉を、ただ静かに待つ。

「…………今日、ね?」

「うん」

 余程言いにくいのか、二の句を継げずにいる瑞希。小さな手が、そっと菜々の腿へ乗せ

られると、菜々もその上に手を重ねた。

「男の子に、告白されちゃった」

「…………うん。え?」

 ネガティブな方へばかり考えていた菜々だが、その内容に拍子抜けした。これだけ思い

つめた表情では、余程深刻な問題なのだと思っていたからだ。

「何だ、そうか。良かったじゃないかよ。ついにお前を落とす度胸のある奴が出てきたっ

て事だろう?」

 瑞希は、女の菜々から見ても可憐な美少女だったが、その容姿や身振りがあまりにも年

齢とつりあっていない。そのせいか、特殊な趣味を持った男達には極端に好かれていたが、

本人の望むような恋愛経験は一度も無かった。それだけに、友人である菜々も嬉しさを感

じずにはいられない。

 しかし本人は、目を閉じ首を激しく横に振る。

「だ、だって……告白された事なんて始めてなのよ? えっと……その、どうしていいか

わからないの」

 よくよく観察してみれば、瑞希の顔が僅かに赤い。これは満更でも無さそうだと、つい

邪悪な笑みが零れる菜々。

「どうするも何も、瑞希がしたいようにすればいいじゃないか。断るも受けるも自由だが

…………まあ、嫌でもないみたいだからな」

「え? そ、そんな事は」

 俯いて両手をすり合わせていた瑞希が、弾かれたように菜々を見た。そして、菜々の嫌

らしい表情を見るや、あっという間に顔を赤くする。瑞希も自分の顔が赤い事を感じてい

るのか、慌てて両手で顔を隠す。

 サディストの気味がある菜々だが、これ以上からかうのも悪い気がしてきた。侘びの意

味も込めて、優しく笑いかけながら瑞希の髪を撫でる。

「まあでも、本当に良かったな。いい機会だから、受けてみたらどうだ?」

「でも…………」

 顔を赤らめながらも依然として決めかねている瑞希に、菜々はもどかしくなってきた。

そして、何故そこまで悩む必要があるのか疑問を感じ始める。

「それなら、どうして嫌なんだ? もし構わないなら、理由を教えてくれないか?」

 その一言に、赤かった瑞希の顔が、嘘のように元の色へ戻って行く。更には、ただでさ

え小さな身体が縮こまり、視線を落とす。

「鹿野、雄二さん。なの」

「…………鹿野?」

 菜々はその名前に聞き覚えがあった。確か、部長が口にしていた名前だと、前後の言葉

を思い出す。

「鹿野…………まさか!」

「うん」

 菜々は、瑞希の指す相手が、あの金眼の狙撃手だと気がついた。そして、未だに整理さ

れていない頭の中が一気に混乱する。何故瑞希なのか。何か裏があるのではないか。

 菜々ははっとした。邪推する自分に気がつき、気持ちを落ち着ける為に、大きく深呼吸

をする。もしも純粋に好いているのならば、瑞希にとっては願ってもない事だ。もう少し

で、嫌な女になる所だったと自嘲気味に笑む。そして、小さくまるまった瑞希の頭を、も

う一度優しく撫でた。

「もし、お前が嫌じゃないなら受ければいい。あたしの事なんか気にするなよ」

「だ、だってその、えっと……いいの?」

 あまりに自分を気遣ってくれる瑞希に、菜々はだんだんおかしくなってきた。こみ上げ

てきた笑いを堪えきれずに噴き出すと、大きな声を出して笑う。

「ど……どうして笑うの!?」

「クク……いや、いいも何も、瑞希が決める事だろう。どうしてあたしを気にする必要が

あるんだ?」

 瑞希に疑問を投げかけてみるも、唸るばかりで中々答えが返ってこない。

「もし、あたしがあいつに負けたことを気にしているのなら、それこそ関係ない話だ。負

けたのはあたしの力不足。向こうがあたしに敵意を持っていない限り、ギクシャクする事

も無いだろう。それに、絶対やり返してやるつもりだからな。負けっぱなしなんて我慢で

きない」

 瑞希を安心させる為に、大げさに凄んで見せる。

 菜々の意見に効果があったのか、瑞希の顔が赤みを取り戻し始めた。落ちていた視線を

持ち上げ、菜々の瞳を見つめる瑞希。そして、目を閉じて静かに息をすると、もう一度菜

々を見た。

「うん、わかった。明日鹿野さんに返事をしてくるわ。お友達からお願いしますって」

 赤い顔のままで真剣に話す瑞希に、菜々はもう一度大きな声で笑う。その反応に瑞希は

あからさまにショックを受けていた。

「私、なにかおかしなこと言った?」

「ふふ……お前、本当に純粋な人間だよな。今時珍しいタイプだと思ってさ」

「子供だと言いたいの?!」

 怒った表情でふくれる瑞希に、菜々はずるいな、と苦笑した。二十歳も近いハイティー

ンで、この仕草が許されるのは瑞希ぐらいではないかと思ったからだ。

 無事に解決できたと判断し、菜々はソファを立ち上がると瑞希を見下ろした。

「あたしは練習に戻るよ。ほら、もう十時だ。良い子は寝る時間だぞ?」

「な……菜々ちゃんの意地悪!」

 立ち上がり、菜々を見返す瑞希は、ふと、いつもの柔らかな表情へと戻る。

「でも、ありがとうね? 菜々ちゃん。おやすみなさい」

「あ、ああ。おやすみ」

 茶化したのにもかかわらず、素直に返してくる瑞希。その性格をわかっていながらも、

菜々は照れくさくなった。そして、瑞希の笑顔で本当に助けられたのだと安堵する。

「それじゃあ、また明日ね」

「ああ」

 テレポーターに歩み寄り光の中へ立つと、菜々へ一言残し、瑞希のアバターは消えて行

った。

「本当に素直な奴だよな…………普通は黙ってる事なのにさ。いや…………だから瑞希、

なのか、な」

 一人になったシアタールームで、菜々はつぶやきながら大きく息を吐くと、もう一度ソ

ファへ座りなおした。そして、天井を仰ぎながら自分の台詞を思い返す。

 本心では、現状で鹿野という男に勝てると、とても思えなかった。自分を遥かに超える

索敵能力、照準速度。ゲーム開始から数分、自分に発見できなかった事からも、立ち回り

が下手だとも思えない。全てにおいて自分より優れた狙撃手が、鹿野雄二という男だった。

 そして、もう一つの不安がふつふつと湧き上がってくる。もしも、瑞希が鹿野と上手く

付き合えたとしたら、自分は不要になってしまうのではないか。瑞希が鹿野を後衛にすれ

ば、無敵に近いコンビが誕生するのは間違いない。しかしそこには、自分のの居場所は無

い。

 またもや負の思考に陥っている事に気がつき、直ぐに立ち上がると、射撃場へと急ぐ。

今は、何も考えたくなかった。ただひたすら狙撃銃を握り、全てを吐き出したかった。

 もう一度用意したワルサーで、菜々はその後、日付が変わるまで撃ち続けた。

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