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チャプター 11:始動

「うう…………ああ!」

 精霊学の講義を聞き終えた菜々が、大きく背伸びをした。眠気と戦っていたわけではな

く、彼女は単純にじっとしているのが苦手な性分だった。

 余談ではあるが、精霊学とは大陸に棲む生物や妖精、精霊の超自然的な存在とコミュニ

ケーションを取る為の手段や言語を学ぶ学問である。今でこそ精霊語と呼ばれるそれらの

言葉は、かつて日本があった世界では英語と呼ばれていたものだ。

「菜々ちゃん、どう?」

 長椅子の隣に座り、うかがうように菜々を見上げる瑞希。昨日から菜々の様子が気にな

っている素振りを見せ、事ある毎に具合を確かめてくる。心配してくれていること自体は

嬉しく思うが、流石の菜々も瑞希の心配性にはうんざりして来ていた。

「あー……瑞希。お前昨日からそればっかりだぞ? あたしは大丈夫だから心配するな」

「本当かしら。菜々ちゃん、いつもと違うもの」

 瑞希の勘はお袋並だな、と菜々は思った。同時に、周りが敏感なのではなく、自分がわ

かり易すぎるだけなのかもしれない、とも。

「畝火部長をどう撃墜してやろうか、ずっと考えてるからかな」

「そう? そうだと良いのだけれど…………」

 部長を理由にするも、瑞希は安心しきれていない様子だ。部長の攻略を考えている、と

言う事に偽りはない。しかしそれよりも、先日に見た金眼の男が菜々の思考にべったりと

貼りついていた。いつ相対するかも定かではない相手の事を考えても、仕方がないと自分

に言い聞かせるも、やはり頭から離れない。

 不安げな表情のままこちらの様子を伺う瑞希の肩を叩き、立ち上がる菜々。

「それよりさ。今日から部活動だぞ、瑞希」

「そ、そうね」

 自分の肩掛け鞄に手早く筆記具を納めると、瑞希に目で合図し、早足で教室を出てゆく

菜々。瑞希も直ぐに菜々の横に並び、教室を後にする。

 部室棟へと続く長い渡り廊下を抜け、銀色に光る女子FPS部の扉を開ける。室内には

既に人影があった。

 赤髪の新入生、紅条香織。そして黒い長髪の大女、萌抜魅鈴の二名。部長と副部長の姿

は見えない。

「部長はまだ居ない、か」

 菜々の何気ない一言に反応したのか、香織は菜々から顔を背ける。その事にさして関心

を示さず、部屋の隅に置かれた椅子に腰掛けた菜々は、机に頬杖をついて再度思案に耽る。

その間も、対面に座った瑞希は菜々の様子を伺っていた。

 しんと静まる室内で、菜々はひたすら対部長攻略のシミュレーションを続けていた。高

原、密林、雪原、市街地など、あらゆるシーンを想定し、最も勝利する可能性の高い作戦

を組み立てる。長距離や中距離、短距離に至るまで、各射程での対応も同時にシミュレー

トする菜々。しかし、戦闘スタイルを詳しく知っているわけでもなく、一度しか戦ってい

ない部長との戦いはイメージが難しかった。そのお陰で、時折金色の瞳が頭をよぎる。異

なる情報が邪魔をしているせいか、菜々は思うように考えることができなくなっていた。

 突破口を見出せず、焦りから思考パターンが徐々に短絡的になり、焦る自分に気がつく

も、脳の手綱を取り戻すことができない。

「あら、もう皆来ていたのね。最後でごめんなさい」

 普段ならば音には非常に敏感な菜々だが、突然横から発せられた声に身を強張らせた。

弾かれたように顔を向けたそこには、気づかぬ内に部長と副部長が立っていた。

「お出ましか、サド部長」

「あら、ご挨拶ね」

 菜々の、礼を欠いた物言いにも、優雅に折り返す部長。唯の後ろに隠れた京花は、せわ

しなく新入生をうかがう。人見知りが激しいのか、菜々が目を向ける度に唯のワンピース

を掴み、影に隠れる。何をしたわけでもない菜々だが、京花の異様な怯えぶりに、不可思

議な罪悪感を感じた。

「全員揃ったようね」

 唯は室内の人間を確認しながら腕を組む。部長の台詞に驚いた菜々は、音を立てて立ち

上がった。

「おい、オイオイオイ。たった六人? 冗談だろ部長さん」

「いいえ?」

 唯は流れるように菜々へと目を向ける。

「以前はもっと沢山居たのよ。だけど、FPSの競技人口は男性の方が圧倒的に多いから。

女性のプレイヤーはそれだけで貴重なのよ」

 口をへの字にしながら腕組みをする菜々は、それだけの理由ではとても納得できなかっ

た。

「だとしても、だ。四年制の大学で新入生以外の部員が二人なのはどういう事だ? ここ

のFPS部は全国レベルだと聞いている」

 菜々の意見に目を閉じて頷いた部長は、胸の前で組んだ腕を解き、下腹部の前で手を組

み直す。

「それは、男子FPS部の話ね。一羽創を輩出したのは男子FPS部。女子FPS部は無

名よ」

 唯の返事に、菜々は腕を組んだまま俯いた。そこで、初日によぎった疑問を思い出し、

口にする。

「それだ。そもそも何故男子と女子が分かれている? 競技に男も女もないだろう」

「それは――」

 次の台詞を遮るように、部室の扉が開かれた。音のした方向へ一瞬で目が向けられる辺

り、彼女達が特殊な人種だと判る。

「ハアイ。唯、元気かー」

 扉から顔を覗かせた男が、調子の良いトーンで唯へ話しかける。声はしゃがれており、

左右に分けられた金髪に全身黒のスーツ、首元には、銀色のネックレスが無数にぶら下が

っていた。商店街で菜々に声を掛けてきた男だ。

「何? これから新入生とミーティングなの。手短にして頂戴」

 対する唯は、眉を潜め男を睨んだ。物言いも辛辣だ。

「まあ、そう言うなよ。うちの部とも仲良くやろうぜ?」

 男から唯へ視線を移した菜々は、能面のように無表情になった部長を見つけた。不快感

を感じているらしいそぶりすら見せず、あまりに無機質な唯の身振りが、室内の温度を下

げて行く。

「よく言うわね。事ある毎に練習試合を吹っかけてきては、新入生を痛めつけてる癖に。

自分達より弱いプレイヤーをいたぶってそんなに楽しいのかしら。(りょう)ちゃん?」

 唯の言葉には、鋭い針が幾千も練りこまれていた。対して、亮と呼ばれた男は左右へ手

を広げ、首を傾げる。

「おいおい、とんだ言いがかりだぜ。試合を通してお互いを高め合う事が目的だろ? そ

っちにもメリットがある話だと思うんだけどな」

 右手で金髪をかき上げ、左手を腰に当てる亮。

「またそっちと模擬戦するつもりだったんだが。どうだ?」

「お断りよ」

 間髪入れずに返された答えに、亮は驚いた表情を見せた。しかし、直ぐに嫌らしい笑み

を浮かべ唯を見る。

「クカカ……そうかそうか。〝残忍美人〟も臆病になっちまったわけだな。まあ、これだ

け何度も俺達にやられてちゃ嫌になるよな。そうか、悪かった」

 何がそこまで愉快なのか、亮はにやけたまま満足げに何度も頷いて見せる。そして、唯

の表情も相変わらず凍りついたままだった。

「仕方がない。再来週のイベントの調整になるかなと思ったんだが。まあ、ここの部員に

はちょっと荷が重いのかもしれないな。カスの相手ばかりしてちゃ、こっちの腕まで落ち

かねないしな。それじゃあ俺は戻るぜ。じゃあな……クカカ」

「待てよ」

 あからさまな挑発に、もう一人、楽しげな笑みを零す人間が居た。掛けられた声の方へ

顔を向けた亮は、相手の顔を見るや、目を見開き口を大きく開ける。

「お、お前なんで……」

「昨日ぶりだな。ナンパ男」

 腕を組んだままニヤけ、ゆっくりと近づいてゆく菜々に、のけぞる亮。女性の平均身長

よりも遥かに高い菜々は、男性の平均より背の小さい亮を、直近で見下ろした。

「面白い事言ってたな部長さんよ? あたし達に荷が重いって?」

 菜々の瞳孔が縮み、鼻先は亮の鼻に触れんばかりの距離だ。吊り上がった口角から、菜

々の鋭い八重歯が覗いていた。本人は愉快でたまらないのだが、亮には激怒しているよう

に映ったのかもしれない。それでも、尻餅をつかずに踏みとどまるのは男としてのプライ

ドなのだろうか。

「上等だ。いつでもかかってこい。少なくともあたしは――」

 自分のジャケットが誰かに掴まれた事に気がつき、後ろへ振り返ると、真剣な眼差しで

菜々を見つめる瑞希の姿があった。普段は温厚な瑞希も、勝負事と道理に反する事には、

菜々に負けず劣らずの頑固者だ。そして何より、自分が親しく思う人間へ敵意を向ける存

在を絶対に許さなかった。それは瑞希の優しさの裏返しであり、菜々は、そんな相棒が好

きだった。

 さらに後方に目をやれば、無言で笑む香織に、目で訴える魅鈴。

 前方へ向き直った菜々が、改めて亮を睨む。

「――あたし達はいつでもいい。決まったら連絡しろ」

 遂に一歩後ずさった亮の視線は唯に向けられた。場の流れから、諦めたかのように深い

ため息を吐き出し、胸の前で腕を組む唯。

「仕方がないわ。いえ、新入生にやる気があるのは嬉しい事、なのかもしれないわね。そ

れなら……明日の午後五時開始としましょう。亮ちゃんも連絡が必要でしょうから」

 狼狽する亮を見下しながら、菜々は唯の決定に満足していた。更に歯を剥き、目を大き

く見開く。

「あ、明日だな?! いいか見てろ! お前ら全員! 徹底的に! 痛めつけてやるから

な!」

 目にも留まらぬ早業で後退した亮が、背後に目でもついているかの如くノブを捻り、捨

て台詞と共に部室から去っていった。

 亮の挙動に、菜々は肩透かしをくらったような表情を浮かべる。彼がどのような経緯で

部長になったのか、菜々は知らない。しかし彼女の目には、日本最高クラスのチームを率

いる将としてはあまりに情けなく映っていた。実力のある相手を倒す事に快感を感じる菜

々だが、相手があまりに弱いとなれば、達成感も感じられない。

「意外ね」

 唯が呟きながら瑞希を見る。部長と視線を交わす瑞希は、普段の気弱な雰囲気を微塵も

感じさせない、堂々とした態度だった。

「貴方が好戦的な性格だとは思わなかったわ、瑞希さん?」

 驚くとも、たしなめるともつかない唯の言い回しに、瑞希は眉一つ動かさず見返した。

「私は何を言われても構いません。でも、菜々ちゃんや畝火部長、紅条さんや萌抜さん。

雰囲気でしかわからないけれど、百野副部長も。皆とても優秀なプレイヤーだと思ってい

ます。皆を馬鹿にされて黙っていられる程、私は大人ではありません」

 瑞希を知らない香織や魅鈴は、彼女の意外な態度に驚いていた。室内の空気が、しん、

と静まり返っても、瑞希は凛とした立ち姿勢から微動だにしない。

 動かない瑞希の肩を叩いた菜々が、改めて唯を見る。

「まあ、こいつはこんなナリだが、自分の拘りに関してはそこいらの頑固ジジイより性質

が悪い。何より、瑞希の強さはあたしが保障する」

 唯は、大きなため息をついた。

「決定してしまった以上、全力を尽くしましょう。私も負け続けるのは好きじゃないわ」

 あれだけの戦闘能力を誇る部長が妙に気弱な態度を取る事に、菜々は眉をひそめる。亮

の纏う気配から、二流か、それ以下の力しか感じ取れなかったからだ。

「負ける負けるって、そんなに強い相手なのか? あいつが?」

「強いわ。誇張なしにね」

 問いかけに即答する唯。静寂が、続きを促していた。

「厳密に言えば、強いのは彼じゃないの。亮ちゃんは、精々中堅かそれ以下の実力しか持

っていない。けれど、一羽創を育てた男子FPS部は伊達じゃない。セミプロか、それに

準ずる能力を持つプレイヤーが多く所属しているの」

 負け続けている理由を察した菜々が、鼻で笑い唯を睨む。

「何だよ。それじゃあ、あいつが強い訳じゃないじゃないか。何で部長なんかに――」

「いいえ」

 菜々の台詞を遮り、閉じていた目を見開く唯。

「私達が連敗を始めたのは、亮ちゃんが部長になってからよ」

 唯の返答を聞きながら、菜々は半ば混乱状態に陥っていた。疑問の解決をする為、話の

続きへ耳を傾ける。

「さっきも言ったように、亮ちゃん自身は強くない。だけど、彼の指揮能力と発案能力は

一人分の穴を埋めて余りある程。そして、セオリーが通用しない奇抜な戦法から、戦場の

多くをカバーできる綿密な作戦まで、あらゆる状況に対応してくる柔軟性を兼ね備えてい

る。亮ちゃんは、指揮官になる為に生まれてきたような人間ね」

 ようやく納得した菜々は、腕を組んで考えを巡らせる。短絡的に喧嘩を売ったことに後

悔はしていない。しかし同時に、連携の取れた優秀なプレイヤー程恐ろしいものはないと、

よく知っていた。何にしても、相手の情報が僅かでも欲しい。

「……さっき、セオリーが通用しないと言っていたが?」

「ええ。以前、中規模……最長射程三百メートル程度の戦場で、亮ちゃん以外全員狙撃手

だった事があったわ」

 狙撃手は接近戦が極端に苦手であり、バックアタックや迂回接近される事に非常に弱い。

まして、射程が短い戦場ではメリットが少なく、連携の取れたチームであるならば、全員

が同じ兵種である事は先ずない。

「その時の戦績は?」

「私達の負けよ。六対六での戦いだったけれど、相手のプレイヤーは一人も落とせなかっ

た」

 菜々の喉が、音を立てて唾液を飲み込んだ。自分が手も足も出なかった部長を、ここま

で言わせる相手。その恐怖に打ち勝つ為に、拳を力いっぱい握り、己を奮い立たせる。

「いい、いいね。そう来て貰わなきゃな。明日が……楽しみだ!」

 菜々が視線を落とすと、目の合った瑞希が大きく頷く。そして、拍を合わせたかのよう

に、同時に唯を見ると、二人に視線を向けられた唯は静かに目を閉じた。

「いろいろ考える時間はあるけれど、あえて、作戦はなしで行きましょう。集まったばか

りですり合わせている程時間もない。各々の地力を生かす方が良い結果になると思うわ」

「あたしはそれでいいよ」

 菜々が京花、香織、魅鈴、瑞希を順に見渡し、全員が何度も頷いて見せた。

「それでは明日の十七時より、男子FPS部との模擬戦を行います。遅れないように集合

してください」

 息の合った返礼にて、初日のミーティングは終了した。

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