チャプター 00:プロローグ
籠田は震えていた。
背中越しに聞こえる銃声と、仲間の絶叫。時折、自分のヘルメットを掠める弾丸。気温
が高く、むせ返る程の熱気と、辺りに漂う埃で咳き込みたい衝動を必死でこらえていた。
震えから、息すら満足にできない。
「なんだ、なんでだ、どうして? そんな筈は」
汗で自分の頬に張り付く前髪を避けながら、早口で念仏のように唱える籠田。
銃声はやむ事なく、乾いた音を撒き散らしていたが、ふと、空気の振動が止まる。
「…………よし!」
意を決し、隠れていた土の壁から上体だけ覗かせ、味方が突撃銃を構える方向を向く。
遠方に見える、背の低い小さな壁には、無数の弾痕が穿たれていた。敵が潜んでいると
察した籠田は、ゆっくりと自分のライフルを向ける。得物をしっかりと肩へ当て、照準器
へ視線を滑り込ませ、何時出てきても撃てるよう人差し指をトリガーへ。
刹那、鋭い風きり音と共に籠田の前に屈んでいた兵士が貫かれた。きりもみしながら転
げ、仰向けに停まったその兵士の胸元には、血の染みが広がってゆく。多くの味方が籠田
の居る方へ振り向いた瞬間、前方の壁の裏から小さな頭が覗いた。そして、銃口らしきも
のが光を発する。目にも留まらぬ速さで飛来した弾丸は前方の二名に突き刺さり、それに
遅れて、強烈な発砲音が響き渡る。
「あ……うああああああああ!」
「おい! 大丈夫か!」
大柄な兵士が素早く前方へ向き、撃たれた味方を遮蔽物の陰へ引きずり込むが、血まみ
れになった負傷兵は大きく痙攣したかと思うと、空気へ溶けるように消えていった。
「ひっ!」
籠田は反射的に引き攣った声を漏らし、今まで隠れていた土壁の裏へ素早く身を隠すと、
自分のチームがどのような状況なのかを確認する。
ヘッドアップディスプレイのボタンに触れ、チームのスコアを表示させた。自軍は十二
の名が並んでおり、そのうち既に六名が死亡している。自分を含め、あと六名。
対する敵は、名前が二つだけだ。
「NANA0032」
「MIZUKI0032」
十二名で、たった二名の敵を倒す簡単な戦いの筈が、未だに前進すら出来ず、試合開始
地点に磔にされていた。それどころか、じわりじわりと自軍の戦力を削り取られている始
末。
三点バーストなのか、三つの銃声がセットで響き渡り、その度に、リストの名前に死亡
を表すドッグタグのマークが増えてゆく。
籠田には、既に顔を出す勇気すら残されていなかった。狙撃を受けた味方の位置から、
敵の狙撃手が潜んでいる場所は崖の上だと推測できる。そこからは自分の位置も丸見えで、
顔を出した瞬間、眉間に穴を空けられるのは自明の理だ。
味方の銃声も、段々と数が少なくなっていった。発砲音が入り混じり、敵が発砲した数
はわからないが、相手にしている前方の敵兵士は、休む事なく殺害人数を増やしていく。
残り自分と、味方二名まで減らされた籠田のチーム。試合が開始されてから五分も経っ
ていない状態で、戦力は四分の一まで削り取られていた。
発信音に続いて、音声チャットが聞こえてくる。
「駄目だ。俺と相棒で前方の敵を何とかする。当たらなくてもいい。お前は崖のスナイパ
ーを撃ちまくってくれ。あとは頼む」
「……………………わかった。頼む」
最後の勇気を振り絞り、土壁から飛び出した籠田は、崖に向かって無心で撃ち続けた。
弾の着弾位置は滅茶苦茶だが、敵のスナイパーが頭を隠す理由としては十分だ。
その間に、前方に煙幕を焚き、接近戦を挑む味方のコンビ。煙の中からはいくつかの銃
声が聞こえてくる。
ライフルが弾切れを起こすと、跳ねるように元の壁へと隠れる。その動作は驚く程素早
く、敵に撃たれず隠れる事に成功した。
「な…………」
味方の特攻が成功したのか確認すべく、もう一度スコアリストを表示させる。しかし、
二人の名前に死亡の印が付けられている事、敵が健在という事実に、籠田は力なくその場
にしりもちをついた。
残りは自分一人。
戦場は静寂に包まれており、先ほどまでの喧騒が嘘のようだった。熱風が横から吹いて
くると、それに揺らされた雑草が、あざ笑うかのようにさらさらと音を立てる。
ぼんやりと前方を眺める籠田の耳に、人間の足音が聞こえてきた。敵の兵士が近づいて
来ている。物音を立てないよう、ゆっくりと尻を持ち上げ、身体の向きを変える。
心臓は鼓動を速めて身体の緊張をアピールした。鬱陶しい程に響いてくる脈の音を聞き
ながら、飛び出すタイミングを計る。
前方数メートルで、足音が止まった。辺りを見回しているのかもしれない。
「…………はっ!」
チャンスとばかりに身を乗り出すが、自分のこめかみに銃口が押し付けられた瞬間、全
身の筋肉が強張った。横目に敵を見ると、そこには狙撃手用のスーツを纏った女が立って
いた。
女の唇が歪む。
「グッバイ」
避けようとする前に、頭が激しい衝撃を受け、その場から吹き飛ばされる。
地面に着地するよりも早く、籠田の意識は消失した。