決戦の日
「さて、いくとするか」
E値発見の翌日──夕刻。
直樹は、改良し終わったばかりの革手袋を背広のポケットに押し込んだ。
改良したのはもちろん孝輔で。
おかげで、昨日もまともに寝ていない。
そのせいか、頭がぼーっとする。
幸いなのは、今日はもう室内測定器を持っていかないため、運転を兄に任せられるところだろうか。
事務所が入っているビルの地下駐車場につくと、サヤは迷いなく後部座席のドアに向かう。
「サヤちゃんは助手席にどうぞ~」
茶髪メガネが、猫なで声で前を勧めた。
気色悪いにもほどがある。
「いいえ、私はこちらで…」
後部座席のドアを開けようとする彼女を止めて、孝輔は前に押しやった。
「え?」
「後ろ空けてくれ」
あくびをかみ殺しながら、彼はさっさとドアを開けた。
「つくまで寝る」
そのまま乗り込んでドアを閉めるや──ごろん。
自分のアコードワゴンなら座席を片付けてしまって、広いベッドにできただろう。
セルシオではそうはいかないが、寝心地はまあまあだ。
「大丈夫ですか?」
助手席に乗り込んだサヤが、こっちを振り返る。
「だいじょー…」
言いかけたのはそこまで。
自分でも信じられないほど早く、睡魔は孝輔を連れ去った。
※
「おい、起きろ」
いやな匂いが鼻をつく。
はっと目を開けると、すぐ近くに黒い何かが存在していた。
「○×△!!」
それをなぎ倒すように起き上がる。
「てめ!」
振り返りながら罵倒の声を吐きかけた。
孝輔を起こすために、兄は黒い靴下の足を鼻面に突きつけていたのだ。
「うおっ」
足を薙がれて態勢を崩しつつも、直樹はケンケンしながら靴下の足を守った。
そして足元に置いてある革靴に、再びきっちりと収めなおす。
「おはよう愚弟……仕事だ」
文句の大洪水が起きそうな孝輔を抑えるように、兄は先手を取った。
見るとそこはもう、依頼主の屋敷。
日は暮れ、無駄にライトアップされて綺麗なものだ。
サヤもその光景に目を奪われている。
夜にこの屋敷を訪れるのは初めてだった。
昼間でも十分仕事は出来るのだが、『夜のほうがそれっぽく見える』、という理由だけで、除霊は必ず夜に行うと決まっていたのである。
その理由を提案したのが誰かは、言うまでもないだろう。
「了解」
寝た時間は短いが、自然と頭が仕事モードに切り替わっていく。
霞が晴れ、やるべきことを思い出す。
トランクを開けて、仕事道具を取り出す。
ジェラルミンケース2つだけなので、孝輔一人で持っていくことが出来た。
先頭を直樹が。
その少し後を孝輔が。
そして、サヤが続く。
「ようこそ」
使用人によって開かれた玄関には、依頼主が待ち受けていた。
夜だというのに、ガウンは着ていなかった。残念だ。
そのまま共に、問題の部屋へとたどりつく。
着物の少女は、やはりそこにいる。
準備開始だ。
孝輔が機材をセットアップしている間に、直樹は依頼主とコミュニケーションをとり、手順を説明している。
サヤは、古い壷の方を見ていた。
まだ、あれは怒っているのだろうか。
「準備完了」
孝輔が宣言すると、兄は依頼主に軽く断りを入れて、手袋を装着した。
「始めよう」
直樹は、その手を古い壷に近づける。
「『削除』モードスタート、S値、中和始めます」
測定モードはインプット機能だ。
その空間の数値を取り込むための仕様になっている。
しかし、削除モードはアウトプット機能。
それ以外の空間と同じ値に戻すため、S値のマイナスを注入していくのだ。
プラスマイナスが0になった時──霊の削除は完了する。
手袋からマイナス値があふれていく。
値の変動を見て、0ポイントになっていく流れを、全て孝輔が担当する。
兄はああして、パフォーマンスを見せるだけだ。
本来なら、手袋をその壷のところにおいておけば、同じ仕事は完了できる。
これは、一人でも出来ることなのだ。
仕事内容だけなら、地味なものである。
しかし、直樹はパフォーマンスを行うことを譲らなかった。
その方が、より直樹が活躍しているように見せられるからだ。
かなりの不純な動機が含まれているにせよ、確かにそのパフォーマンスは、大きな功績をあげていた。
彼が、『ゴーストバスター・ナオキ』なんて名前を背負っているのも、パフォーマンスのおかげである。
さて。
そろそろ、マイナス値が効き始める頃だ。
パフォーマンスに興味のない孝輔は、ディスプレイと現実の視界を何度も何度も見比べた。
着物の少女が、ゆがむ。
S値をいじられ、R値を維持するのが難しくなってきたのだ。
いつもどおり。
まったく。
問題などなく。
「ま、待ってください!」
そう。
突然、サヤが悲鳴みたいな声をあげるまでは、問題など何もなかった。
室内にいるもの全てが、彼女を見る。
彼女は、自分を抱きしめるように震えていた。
「やめて…お願いです。そんな消し方をしないで」
脅える声。
あ。
孝輔はすっかり忘れていた。
『削除』を見せるのは、今日が初めてだったのだ。