午後12時のシンデレラ
「孝輔さんは、どういう時に怒ります?」
八方手詰まりで唸り疲れた頃、サヤがぽつりとそう切り出してきた。
本日のテーマは『怒り』。
いや、ここ数日のテーマがずっとそれだった。
怒りの数値を探すこと──いまのところ、作業は暗礁に乗り上げていたのだが。
どういう時に怒るって。
改めて聞かれると、意外に即答できない。
孝輔が怒るとき。
そうだな。
「『理不尽』な時…」
何しろ、すぐ側にいつも理不尽の塊がいるのだ。
怒らず心穏やかでいられた試しが少ない。
「あの古い壷が、理不尽に感じていることは何なのでしょう」
サヤなりに、協力してくれているのだろうか。すっかり考え込んでいる。
しかし、それがいまのところ、孝輔の仕事の足しになるとは思えなかった。
霊の心情や背景の話だったからだ。
彼らは、そういうものを意識して仕事をしていない。
怒りそのものは得意分野であっても、霊の気持ちなど分かるはずもなかった。
「さあね、新しい壷が来たから、お局様みてぇに新人いじめでもしてんじゃねえの?」
だから、適当に答えた。
縁眼鏡で髪をひっつめた典型的なオールドミスの姿が、孝輔の脳裏をよぎる。
姑みたいにうるさい、ネチネチしたアレだ。
貧相な想像力だったが、つい自分でも笑ってしまった。
が。
「え?」
サヤが、驚いて動きを止める。
彼の答えが、意外でしょうがないみたいに。
「新人いじめ?」
サヤに復唱されるその部分に、孝輔はどきっとした。
現実の話でいけば、サヤ自身が新人にあたる。そして古株は孝輔だ。
もしや彼女は、孝輔がいじめるとでも思っているのだろうか。
「あ、いや、別に新人だからって…オレは…」
だから、何とも間抜けな言い訳を始めてしまった。
第一、いじめているつもりはない。
確かに、最初は疑いを持ちはしたが、フタを開けてみたら彼女はれっきとした霊能力者だったのだ。
「そう、なのね」
孝輔の言い訳など、彼女の耳には届いてなかった。
呆然としたサヤの黒い瞳が、壷の方を向く。
「へ?」
意味が把握できないまま、孝輔は彼女が壷に近づいていくのを見た。
S値のない、新人の壷。
「……試してみますね」
一度彼の方を振り返って、にこりと笑う。
何を試すというのか。
孝輔は、まったく空気が読めていなかった。
そして。
彼女は。
壷を撫でながら。
こう言った。
「お前が 一番 美しいね」
──部屋のどこかで、S値が大きく乱れた。
着物の少女の存在が、ブレる。
一瞬かき消えそうになったが、再び現れる。
そしてまたかき消えそうになる。
古い壷のS値が、跳ね上がった。
部屋の中の空気が、唸りさえしたように思える。
「そう、なのね」
端末の数値の動きに釘付けになっている孝輔をよそに、サヤは古い壷の方を振り向いた。
サヤは、その荒れる空間に近づいて。
壷をかき抱くように腕を回した。
「大丈夫 本当は お前が 一番 美しい」
刹那、部屋の唸りも、S値の変動も、全て何もなかったかのように元に戻った。
一体。
一体、サヤは何をやらかしたのか。
壷に回した腕を解き、同情深げにそれに視線を送る彼女。
そして、ゆっくりと孝輔の方へと戻ってくる。
「孝輔さんのおっしゃるとおりでした」
にこり、はなかった。
どちらかというと、悲しげだ。
壷の気持ちとやらに同調でもしたのだろうか。
「あの古い壷は、新しい壷に…『嫉妬』しているのでしょう」
ああ。
何となく理解した。
あの古い壷が、どれほど依頼主に愛されていたのかは知らない。
しかし、そこへ新しい壷がやってきた。九十九神もいないような、新人の壷。
だが、その新しい壷は主人に愛され、古い壷には見向きもされなくなった。
だから──妬んだ。
あの着物の少女は、妬みの象徴。
それを新人の壷の方に映し出すことで、依頼主はいやがってその壷に近づかなくなる。
もしも追い払うことができなければ、売ってしまう可能性もあるだろう。
そうすれば。
そうすれば、再びあの壷は寵愛を得ることができるのだ。
サヤは、少女の幻影が出ているにも関わらず、新しい壷をかわいがってしまった。
そのおかげで、ずっと静かに継続してた怒りが、突然嵐のように荒れ狂ったに違いない。
「大丈夫か?」
戻ってくるサヤの表情が緩まないことが、孝輔にはひっかかった。
S値の変動に、何か悪影響でも受けたのだろうか。
彼女は自分よりもはるかに影響を受けるだろうし。
「はい、大丈夫…ちょっとアテられたみたいです」
ふぅ、と小さな深呼吸。
「何かお役に立てました?」
気を取り直すように、サヤは孝輔を見た。
「あ、ああ…おかげで」
この数値の変動を解析できれば、E値なるものの見つけ出せるかもしれない。
大きな収穫だ。
「よかった」
やっと、安堵による素直な嬉しさの笑顔が浮かんだ。
白い歯が、こぼれる。
あ。
いま。
孝輔の胸に何かがよぎった。
それを、うまく言葉としてまとめようとした時。
ピピピピピピ。
孝輔のかばんの中から、突然巨大な音が響き渡った。
聞き覚えのあるそれ。
慌ててバッグを開けると。
会社にあるはずの置時計が出てくるではないか。そのアラーム音だったのだ。
針を見ると──ちょうど12時。
昼飯の時間。
「あんの……」
彼の脳裏では、茶髪メガネがVサインをしていた。