ゾウが67頭
屋敷を訪れる名目は、『明日の本除霊のための、最終確認』
依頼人は不在なので、勝手に調べていいというありがたい状態だった。
孝輔の車に積み込まれているのは、大仰な室内測定器というもの。
広い範囲を調べることができる装置だと、運転している彼に教えてもらった。
サヤは、先に車から降ろされた。
車を端に寄せて止め、孝輔が荷物を降ろし始める。
サヤが動くより先に、この屋敷の使用人たちが台車を押してかけよってきた。
その手際のよさに関心する。
今日は、サヤも一緒に裏にあるエレベータに乗った。
再び、あの部屋に案内されると──着物の少女の幻影は、やっぱりまだそこにいた。
意思を何も感じない幻影。
人形のようだ。
この部屋に入ると、他の存在のざわめきのほうが、はっきりと聞こえる。
歌うようなもの、呟くようなもの。
音を持たないものでも、存在そのものの気配が漂っていた。
その中で。
唯一、怒れるものがあった。
古い壷だ。
人形のいるほうの壷は、比較的新しいのが分かる。
九十九神がいないのだ。だから、骨董というほどのものではないのだろう。
九十九神がいないからこそ、古い壷は誰にも邪魔されず、ああして人形をあらわすことができたのだろうが。
何故に怒っているのか。
サヤは、まだその答えにたどり着いていなかった。
古い壷が、新しい壷に人形を出す意味も──
「おし、セット完了」
気合の入った孝輔の声に振り返ると、彼は室内測定器にスイッチを入れるところだった。
てっぺんのアンテナみたいなものが、ゆっくりと回っていく。
「まだ、怒ってる?」
「はい」
「そっか」
言葉に、素直にそう答えた後、なんとなく笑ってしまうやりとりだと思った。
まるでサヤと孝輔がケンカしているかのような言葉だったのだ。
そこに立っている使用人は、どう感じているのだろう。
「霊の形、分かる?」
あっちのほう。
孝輔は、古い壷を指す。
サヤは首を横に振った。
そこにいるのが、見えるわけではないのだ。いることは分かるし、気持ちも伝わってくるのだが、形を知ることは重要なことではなかった。
「温度パターン変化なし。酸素、二酸化炭素類の含有率も変わらず…ほんとにあんのかよ、E値って」
むむむ、と孝輔は唸りをあげる。
「見つからないのなら、そう直樹さんに言ったらどうでしょう?」
この世の全てが、科学で証明されているわけではない。
直樹のいうE値というものが、本当にあるのかないのかすら分かっていないのだ。
「ぜっ、て、え、イ、ヤ、だ、ね」
サヤの言葉は、発音もくっきりと蹴り飛ばされた。
「あの男に、そんなこと言ってみろ」
一瞬にして、怒りに打ち震える孝輔。
「『無能』だの『役立たず』だの言われるに決まってる! それで、もしヤツにE値を先に発見されたら、絶対一生チクチク言われるんだぞ!」
ないんだったら、でっちあげてでも作ったる!
最後の言葉は本気ではないだろうが、兄を凌駕することへの執着がとても大きいことが伝わってきた。
それはもう、熱風となってサヤに押し寄せてくる。
直樹も弟には人が悪いところがあるようで、これまで彼のコンプレックスをうまく刺激してきたのだろう。
おかげで、負けず嫌いであきらめの悪い性格になったようだ。
それ自体は、サヤも悪いことではないと思う。
どういう過程で出来上がった性格かは、除外するとして。
そんな彼のE値発見に、何とか協力してあげたいのだが。
ん~。
怒りは、発作的に起きるものと、じっくり持続するものとある。
古い壷は、後者に当たるだろう。
もし、直樹たちが言うように、怒りを数値に変えられるというのなら、後者の方は、きっと数値の変化がほとんどないに違いない。
と、いうことは。
あの九十九神をもっと怒らせることができたら、見えるのかしら。
理論上は妙案に見えるが、具体性と倫理性がなかった。
どうしたらあの九十九神が怒るのかも分からないし、もしも怒らせたらとんでもない惨事を引き起こしてしまうかもしれない。
悩ましい選択だった。
霊をわざと怒らせようなんて、サヤにとってはとんでもないことなのだから。
こんな、不埒なことを考えたとバレたら、兄に叱られそうだ。
でも。
「うー」
孝輔は、唸りながら頭をかきむしっている。すっかり手詰まりになってしまったのだろう。
「……」
サヤも、唸りこそしなかったが、同じような気分だった。
でも。
私は、ここの社員になったのだし。
兄さんの親友の弟さんが大変なんだし。
要するに。
彼女は、言い訳を考えていたのだ。
ヤイバにこの事実が知られても、怒られないための理由。
ひっくり返せば。
心のどこかで、孝輔を手伝いたい気持ちがあったのである。
彼を突き動かしている衝動は、決して清らかなものではないと分かっているというのに。
ええと。
考え中。
頭の中では、インド象が悠然と歩いていく。
ゾウが1頭、ゾウが2頭。
ゾウが67頭(うち3頭は水浴びのため行進をリタイヤ)まで来た時──ようやく、サヤの心は決まったのだった。