表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

兄弟の食卓

 吉祥寺サヤは、紙袋を提げて出勤する。


 職場につくと、まず朝食から始まるのだ。


 料理はいつも、知り合いのインド料理店の厨房を使わせてもらうので、どうしても内容がそっち方面のものばかりになってしまう。


 サヤ自身も、5年もインドにいたせいで、日本料理よりも得意になってしまったのだが。


「おはようございます」


 事務所のドアを開けて、ぺこりと頭を下げる。


 自分以外には、二人の男の人がいた。


「おはよーさん~」


 新聞を、顔の前から取り払って笑顔を向けてくれるのが、塚原直樹。


 この事務所の所長で、兄の親友だ。


 帰国したてのサヤを雇ってくれた、優しい人である。


 茶色い髪とメガネと背広。中肉中背、背筋のきっちり伸びたインテリタイプだ。


「はよ」


 眠そうな顔で出てきたのが、塚原孝輔。


 所長の弟で、技術担当をしている。


 ちょっとハネぎみの短い髪(毎朝セットして、わざとハネつかせているらしい)と、ラフなシャツとジーンズ姿。


 背は直樹より高いくらいだが、少し猫背なので逆に低く感じてしまう。


「今日は薄手の小さいナンを焼いてきましたので、具を巻いていただきましょう」


 接客用の大きめのテーブルに、紙袋の中身を取り出す。


 直樹はいそいそと。

 孝輔はのそのそと。


 兄弟でも、行動パターンが全然違う。


 サヤと兄のヤイバも全然違うが、それは男女だからしょうがないと思っていた。


「野菜もありますし、ほぐしたチキンもありますよ」


 猛烈な勢いで食べ始める直樹。


 あーとかうーとか唸りながら、ゆっくりと動き始める孝輔。


「ところで、孝輔」


 弟の方が、チキンに手を伸ばしかけた時、直樹がそれをさえぎった。


「なんだよ」


 結構太い関節の指が、空中で止まる。


「E値は発見できたかね?」


 直樹の言葉に、その指がぴくっと震える。


「きょ、今日中には見つけるさ」


 ぷるぷる。


 空中の指が、何かを抑えきれないような揺れを見せる。


「そーかそーか、そのセリフは昨日も聞いた気がするが…ほー、今日中に、ね。明日がゴーストバスター・ディだから、それまでには頼むよ」


 ニヤニヤ。


 心底、からかう笑み。


「このクサレアニキ! そう思うんならてめーでやりやがれ!」


 そして、突然始まる兄弟ゲンカ。


 だが、サヤは見てしまった。

 孝輔が取ろうとしていたチキンのフレークは、この瞬間、直樹に大量に掠め取られていたのだ。


「私は、営業・接客・請求処理までやっているからそんな暇はない。何なら仕事を入れ替えてみるか?」


 お前に営業が出来るならな~~。


 カッカッカ。


 昔見た、時代劇の偉いお爺さんのような笑い方で、直樹は勝ち誇った。


 性格上、弟にそれが出来ないと分かっているのだ。


 ぐぐぐぐぐ。


 空中の孝輔の指は、拳になって震えた後、ようやく引かれていった。


 おそらく彼はもう、チキンの行方のことは忘れているだろう。


 クスッ。


 おかしくて、サヤは笑みをこぼしてしまう。


 完全に、直樹が主導権を握っている。


 弟の扱い方を全て熟知しているのが分かった。


 だが、チキンを取るためだけにそんな話を持ち出したというのなら──直樹は、何とも人が悪い。


 孝輔は、ここ数日事務所にこもって持ち帰ったデータを解析し続けているというのに。



 昨日着ていた服と同じだから、多分彼はここに泊まったのだろう。


 E値とかS値とかR値とか、この事務所に入って初めて聞いた言葉だった。


 ヤイバから、直樹は変わった除霊をするとは聞いていたが、サヤの予想がまったく追いつかないほど遠い世界だ。


 コンピュータを使い、霊を数値として扱う。


 それには、まだサヤは慣れていない。


 見知らぬ世界を、はたから見ているだけの気分だった。



 ※



 本来、霊との関わりは、神聖かつ慎重に行わなければならない。


 自分の力の及ばぬ霊には、決して手を出してはならない。


 力ずくではなく、自然の流れに逆らわず、霊を還してやるのが自分たちの仕事だ、と。


 自分の能力に気づいた時、サヤは兄からそう教わった。


 しかし、直樹も孝輔も霊能力はなく、神聖も慎重もそこにはない気がした。


 あまつさえ、霊の感情を数字で探そうとしているのだ。


 ヤイバの教えから、全て背いている気がする。


 だが直樹は、兄の親友だ。


 この事務所が、どういう主旨のものかを知って自分を預けたというのなら、何らかの意味があるのだろう。


 それならば、サヤは彼らをもっと知るべきだった。


 この、機械的で数値的に処理される世界を。


「えーっと…さ」


 食事が終わった後。


 給湯室で朝食の後片付けをしていたサヤは、背後に孝輔がいるのに気づいた。


 何ともはや、微妙に複雑な表情をして。


「この後、ちょっと付き合ってくんねー?」


「はい?」


 弟くんの言ってる内容というよりは、その表情に「?」がついてしまった。


 そんなに言いにくい話なのだろうか、と。


 だが。


「もう一回、壷を調べたい」


 そう言った孝輔の顔ときたら。


 さっきの、朝食の直樹でも思い出したのだろうか。


 忌々しさと怒りと苦さが大激突だった。


「あ、はい、私でお役に立てるなら」


 頑張ります。


 役に立つといっても、感じるものをそのまま伝えるだけしかサヤには出来ない。


 孝輔は彼女の言葉からヒントを得ようとするかのように、いろいろ質問してくるが、それにうまく答えられないのだ。


 何しろ、そう『感じる』だけなのだから、それに理由などなかった。


 そのせいで、仕事が難航しているようで。


 サヤは自分の出来る限り、彼に協力したかった。


「そっか、助かる」


 少しほっとしたように、孝輔の表情のこわばりがほぐれた。


 こうして見ると、彼は自分より年下のように感じる。


 難しい顔をしてパソコンに向かっている時は、そうは感じないのだが。


「じゃあ、片付け終わったらすぐ用意しますね」


 そんな表情を見ると、サヤもつられて顔がほころぶ。


 うまくなじめるか不安だったが、E値の件で関わることが増えてきて、少しずつ彼を理解できるようになってきた気がする。


 いまの孝輔の表情は、よい方向の証だ。


「オーケ……ぐえ!」


 そのまま向きを変えようとした彼は、突然カエルを踏み潰したような声をあげた。


「昼飯までには、サヤちゃんは返せよ」


 ひょっこりと。


 給湯室の入り口から、メガネの男が覗いていたのだ。


「立ち聞きしてんじゃねーよ!」


 またも勃発した兄弟ゲンカに、サヤはおかしくて笑ってしまった。


 一緒に、洗い物の水も笑った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ