彼女の肩書
「はぁぁ?」
孝輔は、うっかり小型端末から、手を離してしまいそうだった。
そこで何故、サヤの名前が出てくるのか。
「はい?」
呼ばれた当の本人は、きょとんとしている。
彼女は、さっきからあらぬ方を見ているだけで、非常に静かなものだった。
着物少女には、さして関心もないようだ。
「サヤちゃん、あの子のことをどう思うかな~?」
20も半ばほどの女性に向かって言う言葉ではない。
まるで小学生相手だ。
我が兄ながら、孝輔は唖然とした。
「かわいらしい子ですね」
にこっ。
感想は、至ってシンプル──かつ、霊相手とは思えないもの。
「じゃあ、その他にかわいい子はいる?」
直樹は。
何を言っているのか。
うさんくさい営業スマイルで、サヤから何を引き出そうとしているだろう。
彼女は、首を傾げた。
兄の言った言葉が、何者か理解しきれなかったように。
少しして、その唇が「ああ」と動いた。
「怒っている子なら、一人いますね」
彼女の衣装が、しゅっと音を立てた。
ゆっくりと、サヤが足を踏み出したのだ。
向かうのは壷の方。
しかし。
その壷は──着物少女の乗っていない、別の壷だった。
「孝輔!」
直樹は、即座にもう一度手袋をはめた。
その強い声に、はっと我に返る。
何だ?
無線リンクの確認をしながら、彼はまだ混乱していた。
兄は、サヤのいる別の壷へと近づいて、その手を伸ばすのだ。
そこに、一体何があるというのか。
「どうだ?」
兄は、壷に触れていた。
孝輔は。
目を伏せた。
「ビンゴ……」
R値はない。
そこにあるのは、S値だけだった。
※
室内測定器を準備する。
この空間全体の値のチェックを、一応しておくことになったのだ。
「ここの主人の話によると……」
準備中に、直樹はようやく依頼の経緯を話し始めた。
ただ待っているのが暇なのだろう。
「前に雇った霊能力者は、あの着物の子を消すことに成功したらしい」
ガチャガチャ。
「あの、何かお手伝いしましょうか?」
孝輔が忙しそうなのを見て、サヤが声をかけてくる。
「いや、いい」
目をそらしながら、作業を続けた。
彼の内心は、混乱と複雑をきわめていて、素直にサヤに接することは出来なかったのだ。
「だが、またもあの着物の子は現れた。すぐに、だ…なぜか分かるか?」
コンセントを探していた孝輔は、使用人に案内されてそれを見つけた。
「あー? さっきのが、からくりだろ?」
兄の質問に対しての返事が遅れながらも、とりあえず電源を確保する。
S値がないR値だけの着物少女。
R値はないが、S値だけは持っている別の壷。
「あの子は、単なるはりぼてで…本体がこっちってわけだ…よっ、と」
前に来た霊能力者とやらは、目に見える少女だけを追い払おうとした。
しかし、本体は別にいるのだから、すぐにまた姿を現したのだろう。
よっぽどヘボイ霊能力者でも雇ったのか。
360度、回転しながらサーチするセンサーをとりつけ、ようやく準備完了だ。
「んじゃ、サーチするぜ」
スイッチを入れ、孝輔は本格的な端末を操作し始める。
サヤが、その様子を不思議そうに覗き込んできたが、彼は無視して仕事を続けた。
S値が感知されていく。
しかし、それは意外と数が多かった。
あの壷だけではない。
この部屋中に、いくつものS値が存在した。
「なんだこりゃ?」
簡単に言えば、この部屋にはたくさんの霊がいる、ということになるのだ。
壷以外の陶磁器もたくさん飾ってある。
それらのほとんどにS値があるといってもいいだろう。
「九十九神たちですよ」
サヤは、何だか楽しそうだった。
「つくもがみ?」
神なんていう無視しがたい言葉が出てきたことに、孝輔は驚いていた。
「はい。生まれて100年以上を経た物には、精霊が宿るのです」
ここは、本当に古いものが多いですから。
サヤは、ざっと部屋中を見回すような仕草をしてみせる。
「『神』という名前はついてるが、サヤちゃんのいうとおり『精霊』というほうが近いな」
直樹は、陶磁器コレクションの中に、面白そうに手を突っ込んでいく。
小型端末の方は見ていないが、おそらく手袋の能力によって、S値が記録されているだろう。
まてよ。
そこで、孝輔はひっかかった。
「それじゃ、どれがあの着物の子の親玉かわかんねーんじゃ?」
S値反応を出しているものがいっぱいあるというのなら、あの別の壷だけが特別というわけではないだろう。
犯人の可能性は、部屋中にあるではないか。
「でも…」
孝輔の言葉に、恐縮そうにサヤが口を挟む。
「でも…この部屋で怒っているのは、あの壷だけです」
指の先は、S値の壷。
そういえば、最初に彼女がそう言ったではないか。
『怒っている』、と。
「九十九神は、みんな姿を現していたずらをするわけではありません。ただ、自分の置かれている立場を不満に思った時に、持ち主に何らかの働きかけをしてきます」
流れる川のような、サヤの声。
孝輔は、思い違いをしていた。
霊能力者である、兄のヤイバにくっついてまわっていただけの妹ではなかったのだ。
彼女自身もまた、その能力を持つ者で、それを直樹は知っていたのだろう。
直樹・孝輔兄弟にはない、アナログの古典的な力。
それは、直樹にとっては恰好の利用材料だったのか。
「というわけだ、孝輔くん」
突然軌道修正を余儀なくされた弟の頭の中も知らず、わざとらしく『くん』までつけた兄に、肩をぽんと叩かれる。
「そろそろ、ソフトをバージョンアップしようじゃないか」
は?
九十九神から、どうしてソフトバージョンアップが出てくるのか。
「R値、S値とは別の……そうだな、強い感情を表すエモーションという英語をもじって、E値という名前はどうだろう?」
うっとりしながら、ネーミングしはじめる直樹。
「いや、名前なんてどうでもいいし…つーか、何だよ、E値って!」
いったん暴走し始めると、兄弟の話がこじれるのはいつものことで。
直樹がトリップしてしまうその前に、要点をほじくりかえしておかなければならなかった。
「何ってお前…そこに、怒れるS値がある」
サヤの指定した壷を指す手袋。
「それ以外に、平静なS値がある」
部屋中の陶磁器を、手を広げるようにして強調する。
「その二つの間に違う値を見つけることが出来たなら、それが霊の持つ『感情』の数値だ。それがE値だ」
兄の弁舌のさなか、孝輔はあの日のことを思い出していた。
初めて、S値なるものを見つけさせられた日のことだ。
あの時の兄は、突然霊能力者を連れてきた。まだ孝輔は、ただのコンピュータ好きな高校生だった。
そんな彼は、突然廃墟に拉致され──
『ここは何もない空間だ! そして、こっちが地縛霊のいる空間だ! さあ、数値の違いを見つけろ!』
兄の高らかなる宣言と共に、彼の地獄が始まったのだった。
青春真っ盛りの時期を、孝輔は地縛霊と共に過ごさせられたのである。
そこでS値を見つけ、さらにS値を二つに分けた。分けた片割れがR値となったのだ。
そして更にここにきて、直樹はE値を見つけろという。
霊の感情を表す数値。
「サヤちゃんがいるからな~今のうちにバージョンアップするぞ~」
心の友の妹でさえ、ソフトバージョンアップの材料にするとは。
人情、経済、倫理、色恋。
頭の中で組みあがりかけたその塔は、すべて粉々に打ち砕かれ崩れ落ちた。
やはり──人にバベルの塔は作れない。