兄の肩書 弟の肩書
「仲がいいのですね」
孝輔の額に絆創膏を張りながら、サヤはクスクスと笑う。
奥のデスクでは、兄の直樹が新聞を広げてふんぞりかえっていた。しかし、直樹の顔にもいくつかの絆創膏が張られている。
「どこが!」
山猫みたいにがーっと牙をむくと、サヤは救急箱を抱えたまま、びくっととびのいてしまった。
兄を相手にしていた影響が残っていたことに気づいて、不承不承、孝輔は眉間のシワを解くことにしたのだ。
「……あんたに怒ってるわけじゃない」
ぼそぼそぼそ。
すぐそこにいる、兄に聞かれないくらいのかすかな声で、サヤの警戒を解こうとした。
少し間があいた後、ゆーっくり足の先から彼女が近づいてきた。
「んで、なんでこんなとこで働くことになったんだ?」
兄とは、途中でケンカに発展してしまったせいで、結論まで手に入れることはできなかった。
多分、もう一回話を蒸し返しても似たような状況になりそうだったため、直接本人に聞くことにしたのだ。
「『こんなとこ』って何だ!」
しかし。
孝輔の表現が気に入らなかった兄から、突然鋭いツッコミが入る。
新聞をクシャクシャにしてまで、言わなければならないことなのか。
「うっせえよ、ボケ! 仕事しろ! うさんくさい仕事を、よ!」
いちいち口はさんでくるな!
話がややこしくなるだろと、兄の介入を止めようとした。
「うさんくさいだ!? お前がメシを食えるのは、その仕事さまのおかげだろうが!」
だが、既にすっかり、話はややこしくなっている。
「幽霊退治の仕事の、どこがうさんくさくないってんだ!」
「バカ野郎! いつも言ってるだろうが! 『ゴーストバスター』と呼べ!」
またも、論点はズレ続けていくのだ。
※
塚原直樹という名前は、この世界ではさして知られていない。
しかし、ゴーストバスター・ナオキと言えば、関係者は耳をピクリとさせるだろう。
唯一、『01(ゼロワン)理論』というもので、幽霊を『削除』できる男だからだ。
そもそも幽霊というものは、成仏できずにいる人や動物の魂だ。
それが、何らかの形で現世に影響を与えると突然、『怪奇』とか『恐怖』とかいう、うさんくさい頭文字を使われるハメになる。
その悪影響を取り除く仕事をしている人間は、意外に多いのだ。
神仏の仕事に携わるもの、霊能力の高いもの。
だが、孝輔の兄はそのどちらでもなかった。
霊能力なんか、はっきりいってゼロ以下のマイナスだろう。神や仏を信じているとも、到底思えない。
しかし、そんなゼロ以下のマイナス男にさえ感じられるような、強い霊の退治には、めっぽう強かった。
だから、直樹には普通の専門家では、手におえないような大きな仕事が転がりこんでくる。
何故か。
霊能力の高い人間は、強い霊にはかなり強い影響を受ける。
それを破るためにも、更に強いエネルギーが必要だ。
しかし、直樹の霊能力はゼロ以下。
たとえ霊の力が強くても、本人が至って鈍いため、大きな影響を受けないのである。
だから、著名な霊能力者たちが脂汗をかき、うまく動けずにいる場所であったとしても、直樹だけは平気でスタスタと歩きまわることができる。
弱い霊相手の仕事をしないのは、どこにそれがあるのかさえ分かりづらいために、非常に仕事がしづらいせいだ。
理由は、ただそれだけ。
修行した霊能力者たちが、この真実を聞けば、そのいい加減さに呆れ怒ることだろう。
本人曰く。
『私は、自分を霊能力者と名乗ったことはない。私は、ただのゴーストバスターだ』
だから、詐欺でもなんでもない。
そう言うのである。
だーれーが、あの理論のプログラミングをしたと思ってんだ。自分ひとりの手柄みたいにしやがって。
ゴーストバスター・ナオキの弟は、違う方向に才能の花を咲かせていた。
01理論を実践で使えるように作られたソフト──それを開発したのが、孝輔だったのだ。
営業力&パフォーマンス力を持つ直樹と、技術力を持つ孝輔が組み合わさって初めて、この事務所は成り立っているのである。
「何を見てるのですか?」
突然後ろから声をかけられて、更に絆創膏の増えた孝輔はびっくりした。
「あ、ああ、この前の仕事の解析報告書…」
ノートパソコンのディスプレイの中で、複雑な色の点がうごめいている。
「まるで万華鏡みたいですね…これは何ですか?」
点滅する画面を指す。
その褐色の指。
兄の仕事の都合で、長い間インドで生活をしていたらしい。帰国したのは、つい先日ということだ。
その指先でうごめく色。
「それが、この件のユーレイさ」
さすがは、身内に同業者がいるだけのことはある。
霊の存在に、驚いたり怖がったりする様子はなかった。
ただ。
「これが……そうなのですか?」
信じられない顔はしていたが。
「そ。もっとそれっぽいフィルターをかけることは出来るけど、これが一番分かりやすいんでね」
あんまり具体的なフィルターをかけると、依頼者が気持ち悪がるのだ。
サーモグラフィみたいな数学的な画面のほうが、感情抜きで処理できる。
「そう、ですか」
その指は。
引かれるどころか、そのままディスプレイに押し当てられた。
霊の輪郭をなぞるように、褐色の指先が動く。
「これはもう……霊ではないのですね」
何故、その声には物寂しいものが含まれているのか。
「霊と言えば霊……ただのデータと言えばそう」
孝輔は、まるで悪いことをしているかのような気分になった。
野生動物を、檻の中に無理やり閉じ込めているかのように。
そういえば、彼女の兄は直樹とはまったく違う方式を取っている。
ついさっき孝輔は、ネットでヤイバの存在を、その筋のルートで検索していた。
吉祥寺ヤイバ。
万物に宿る精霊の力を借りて、霊を鎮めさせる者。
霊能力のランクは資料によると、かなり上位に位置していた。
削除するなんて乱暴なやり方をする直樹とは違い、ヤイバは万物を自然な流れに戻すやり方で、魂を浄化し──云々。
後は、孝輔もよく分からない小難しい文章が続いていた。
長い間、インドで修行していたのも、おそらくその能力を高めるためなのだろう。
何故かインドで修行と言われると、海よりも深く納得してしまう彼だった。
とにかくまあ、ヤイバは直樹とは方向も考え方も、何もかも違うのだ。
「データ…」
指が。
ゆっくりとディスプレイから離れていく。
「お仕事の邪魔してごめんなさい」
にこ。
その笑顔には。
雲がかかっていた。
※
「いや~、サヤちゃんのご飯はうまいな~」
バカ口開けて、直樹はカレーを頬張っている。
昼。
彼女の出すタッパからカレーが出てきても、もう孝輔は驚かなかった。
兄弟二人暮しであることを、直樹が彼女に話したというのだ。
それで、あの朝食劇となったらしい。
社員にメシまで作らせんなよ。
そう思いながらも、ガツガツと食べ物を口に押し込んでいく孝輔だった。
ここまでのところを総合すると。
サヤはヤイバの妹で、インドから帰国したばかり。
直樹とヤイバは親友で、仕事上預かることになったらしい。
でも、何でだ?
「あんたのアニキって、いま何してんの?」
普通に就職していてもおかしくない年齢の妹を、インドまで連れていったのだ。
一緒に帰国したのなら、また手元に置いておいてもいいのではないか。
「孝輔、根掘り葉掘り人様の事情をセンサクするな! お前は探偵か!」
カレーを飛ばしながら、兄が突っ込んでくる。
この男の存在よりも、探偵の方が余程まともな商売だ。
「兄は……」
しかし、サヤは別に気にしていないのか、直樹の言葉にさえぎられることなく、笑顔を浮かべた。
「兄のヤイバは…いまも外国で修行中です。ただ、今度の修行場は、タイで…困ったことに女人禁制なのです。修行も1年近くかかるらしくて、見知らぬ土地で一人暮らしをするより、日本に帰った方が安全だろう、と。それで、直樹さんのお世話になることになったのです」
ぺこりと兄に軽く頭を下げると、茶髪メガネはえっへんと胸をそりかえらせた。
つくづく偉そうな男である。
「ただ、そのヤイバの手紙がついたのは、昨日だったがな。サヤ嬢が日本に到着したのも、昨日だ」
いや~あっちの方は、場所によって郵便物の到着に時間がかかるもんだ。あ、コレうまいね。
メガネを光らせながらも直樹は、食事もしゃべりも淀みない。
「え? じゃあいま、どこに住んでんだ?」
日本で、何も準備されてない状態で帰国したのは分かった。
「はい、インドで知り合った方のご親戚が、近くでインド料理店を出してらっしゃるので、2階の部屋をお借りしてます」
なるほど。
それで、あの朝食と、この昼食になった、というわけか。
帰国ホヤホヤで、どうやってあのナンを焼いたのかと思えば、そういうカラクリだったのだ。
「というわけだ、探偵クン。納得したかね」
説明したのは、すべてサヤだというのに、どうしてこの男は自分の手柄のように言うのか。
非常にムカつく男だった。