誰が殺したこまどりを
「すみませんすみませんすみません」
帰りの車の中の三人は、まったくもって異質な状態だった。
サヤは平謝りモードだし、直樹は魂が抜けかかっている。
しょうがなくセルシオを運転している孝輔は、おかしくてたまらなかった。
兄のあんな顔を見たのは、生まれて初めてだ。
デジタルなはずの仕事を、突然アナログに変換されてしまった。
完全に出し抜かれたのである。
呆然とした直樹が、うつろな目でマザーグースの詩を呟いているような気がするが、きっと空耳だろう。
パフォーマンスに命をかけている直樹には、つらい展開だったに違いない。
おいしい部分は、すべてサヤがかっさらったのだから。
「もういいって…向こうも納得したし、金も入る」
もともと削除なんて、概念そのものを開発するのが大変だっただけで、実際の作業と言えば、ボタン一つでスタート、ボタン一つでストップ。
それくらいのものなのだ。
大して面白い仕事ではない。
「すみません…」
それでも、後部座席のサヤは小さくなっていく。
孝輔にしてみれば、今回は珍しいものが見られた。
兄のいまの状態を除いても、だ。
兄は、ヤイバという親友がいたから知っているかもしれないが、孝輔自身はまともな除霊風景はほとんど知らなかった。
しかも、今回のケースでは、霊がそのまま生き残り、なおかつ依頼主を納得させたのである。
孝輔にも直樹にも、出来ない手法だ。
まさか、あんな逆転ホームランが待っているとは。
ルームミラーごしにサヤを捕まえると、すっかりしょぼくれていた。
確かに、仕事を途中でとられたという点では、ひっかからないわけではない。
しかし、削除中にサヤが口を挟んだ時。
彼は、何か起きそうな気配を感じていたのだ。
壷の怒りについて語った時と同じように。
おかげで、孝輔はE値を発見することが出来た。今回、一番の収穫だ。
そしてE値を導入したてのプログラムで、はっきりとその動きを見ることが出来たのである。
依頼人が、壷を抱えた時、だ。
一気に下がっていくそれ。
直樹の手が、たまたま近くにあったからこそ測定できた。
E値をこれからどう活用していくのかは、まだ何も分からない。
ただ。
その道しるべを──サヤが持っているような気がした。
霊の感情を、理解することが出来る彼らにとっては貴重な存在。
算数と国語のどっちがすごいか、というのは未来永劫解かれる答えではないだろう。
孝輔は算数の道を、彼女は国語の道を進んでいる。
算数以外も使えば、よりよい答えが導き出せることもあると。
今回、それを彼女は教えてくれた気がした。
畑が違いすぎて、孝輔にはかなり難しい問題だったが。
それに。
ハンドルを握ったまま、彼の頭にいくつかこびりついたものがあることに気づいた。
前に、うまく形にしようとして失敗したそれ。
E値を完全に見つけることが出来た昨日の夜。
孝輔は、興奮に叫びだしそうになったのだ。
ついにやった、と。
ざまあみろ。
ざまあみろは、もちろん直樹宛てだ。
だが、彼はスパイスの香りで我に返った。
香りの方を見ると、そこではサヤが突っ伏して眠っていて──窓の外は真っ暗、室内はただただ静かだ。
騒ぎ出すことも出来なくなった孝輔だったが、眠る彼女を見ていると、興奮がゆっくりゆっくり収まっていくのを感じた。
ああ。
この一番嬉しい時間を、共有してくれる存在がいることは、ただ純粋に嬉しかった。
『興奮』が、『至福』に姿を変えていく。
いまもそれに近い。
削除の仕事は出来なかったが、納得のいく別の何かを手に入れた。
大した女である。
最初の予想を最後まで裏切りきったサヤは、孝輔の中にはっきりとその存在を残したのだ。
それが、綺麗に煮上がるまでは、もう少し時間が必要かもしれなかったが。
「とりあえず、ハラ減ったな」
仕事をしていると、食事を忘れることが多々ある。
いろいろ終わってほっとしたら、孝輔の腹がぎゅるるとないたのだ。
久しぶりの食欲だった。
「そ、それじゃあ…私がお世話になっているインド料理店なんかどうでしょう。すごくおいしいですよ」
さっきのとんでもない騒ぎを、食事で埋め合わせようとするかのごとく、サヤが大慌てで提案してくる。
インド料理なら。
孝輔は、ちょっと笑った。
インド料理なら、毎日朝と昼に食べられるではないか。
「いや、ラーメンにしようぜ、ラーメン」
マザーグースの詩をBGMに、彼は信号を左に曲がった。
うまいラーメン屋は、すぐ近くだ。
セルシオでラーメン屋に乗り付けたのは、これが始めてだった。




