練習試合
彼――城島龍児くんにちゃんとした謝罪をもらったのは、靴を履き替え、中庭にあるベンチに向かったときだった。
「へえ、アキっていうんだ。良い名前だな。……ああ、俺の名前は――」
「城島龍児くんでしょ。知っているよ。もうこの学校の一年生で、知らない者がいないくらいに
ね。……ていうかこのやりとりもうやったよね?」
ナチュラルに自己紹介をする僕たち。彼はそのことには触れず、目を輝かせた。
「え、マジで? 俺ってもうそんなに有名人なの!?」
龍児くんは嬉しそうに笑った。あまりに満足感に満ちた顔だったので、僕は笑って受け流した。
僕と龍児くんは学園から出て少し行った場所にある中庭のベンチに腰を落とした。今のこの時間帯はもう新入生は帰路へと向かっているらしく、中庭には僕ら以外は誰もいなかった。
「でさ、お前さっき俺に何か言いかけたけど、何だったの?」
龍児くんは僕にそう訊いてきた。僕ははっとなって、公園での一件を彼に話した。
「……あー、それは……悪かった……な」
ひと通り、僕の話を聞き終えた彼は、目線を逸らし、どもりながらも謝った。
「謝罪してくれたならもういいよ。今さら窓ガラス代を請求しろともいわないから安心していいよ」
「え、いいのか? わりい、本当にありがとな!」
ガシッと僕の手を握る龍児くん。思ったより、悪いやつじゃないのかもしれない。
「そういえば話は変わるけど、今日はなんでまたあんな登場の仕方をしたの?」
僕は体育館に現れたときの、パフォーマンスについてを訊いてみた。
「ああ、あれな? いやさ、俺の育ったところじゃさ、遅刻とかしたときには、ああいうことやればみんなハハハって笑って流してくれたんだよ。だけど都会はやっぱ違ったぜ……。まさかあんな冷たい視線を送られるなんてよ……」
「いや都会云々じゃなくて、ああいう席では、普通は静かに入ってくるものだと思うけど……」
いったいどんな場所で育ったんだろう。僕は少しばかり彼に興味を持った。彼は頭をおさえ、後悔したような面持ちになった。
「さっき話していた女の人は……お姉さん?」
「ああ……。あの後どやされてさ。小遣い三ヶ月無しって言われちまったんだよ……」
「それは……お気の毒に」
可哀想だが、自業自得な部分もある。自分のみならず、親類にまで恥をかかせたのだから。
「くっそー! 小遣いなかったら俺はいったいどうやって過ごしていけばいいんだ……!」
頭をかかえ悩む龍児くん。何と言葉をかけていいのかわからず、僕は別のことに耳を傾けていた。
グラウンドの方から、かけ声がした。そのかけ声とともにボールが蹴られたような音がした。ああ、もう運動部が練習をしているんだ。やっぱり名門校は違うんだな……。そんなことを僕が思っていると、彼はいきなり立ち上がった。
「お? まさかこの音は……!」
獲物を発見したときのような鋭い顔で、龍児くんはグラウンドのある方へと足を運んだ。僕はなんだろうと思って、龍児くんのあとをついていった。
十段ばかりのアーチ状となった石段の下には、グラウンドが広がっている。僕も体育などでおそらく使うであろうグラウンドだ。
そのグラウンドの真ん中あたりに、二十人ほどばかりの女子の集団がいた。スポーツに適した服を着て、白線で囲まれた中で、両端にある二つのゴールを挟んでボールを蹴り合っていた。
それぞれのゴール前に立つ、ユニフォームの色から、僕はこれが練習試合であるとわかった。目を凝らし、よく見てみると赤色の方には「YUIKA」とロゴがあった。赤色のユニフォームは、唯花学園の女子サッカー部なのだろう。
「こっちに回せ!」
ペナルティエリア付近までやってきた、唯花の選手が右サイドからする声に気づく。その選手の前には相手チームのディフェンダーが二人ばかりで、ボールを取りに来ようとしていた。
唯花の女子は、ノールックのままにアウトサイドキックで右にパスをした。
そこに走りこんできたのは、同じく唯花の選手であった。唯花の六番は、フリーとなった右サイドから、ドリブルでゴール前へと切り込んでいった。
当然、ディフェンダーがチェックにくる。ペナルティエリア内において、下手なタックルはPKの原因になってしまうので、相手ディフェンダーは「取る」よりもシュートコースを遮るようなポジショニングを取った。シュートしようとした六番は、ギリギリのところで足を止めた。
ドリブルで突破しようにも、そのすぐ後ろにはキーパーが控えていたので、無理だった。走行している内に、相手チームの選手が陣形を取り戻そうとしていた。
これは無理かな……経験論からいっても、あとは闇雲にシュートしてゴールラインを割るか、キーパーに取られるしかないと、無意識の内に考えていた。
だが、唯花の六番はそれをしなかった。
「後ろだ!」
六番選手の後ろから、とてつもない速さで誰かが上がってきた。唯花の選手で、背番号は八番だった。
グラウンド全体に響き渡るような声に、六番は慌ててヒールで後ろにパスを出した。ボールはペナルティエリアを出ていき、ゴールへの角度は開いたが、距離も開いた。そのとき、信じられないものを見た。
「うおっ………りゃ!」
そこに、先ほどの八番が転がってきたボールに合わせるように、飛び込んできていた。唯花の八番は、勢いを止めずに、右足を振り抜いた。
――公園で、龍児くんが蹴ったボールを思い出す。あれよりは威力はなかったが、代わりに正確な軌道であった。
相手ディフェンスを通り過ぎ、ゴール右斜上に吸い込まれるように入っていったボール。キーパーが必死に手を伸ばしても、届かない、絶妙なコースだった。
ネットが揺れる音がする。その後主審のホイッスルの音が鳴り響いた。唯花学園が、一点奪ったのだ。
「きゃあすごい!」
女子の甲高い声が聞こえてきた。ここで僕は、石段には僕と龍児くんだけじゃなく、他にも人がいることに気づいた。女子だった。
僕らのいる段より数段下において、数人のグループになって、ゲームを観戦していた。その顔からは、アイドルを見るような憧れのようなものがあった。どこかで見た顔だった。
ボールは真ん中に置かれ、相手ボールから試合は再開されていた。
……そういえば、さっきの八番って――と、再び試合に目を行かせようとして、僕は顔を逸らした。
――ダメだ。これ以上ここにいたら、僕の中で眠らせていた感情が再び起き上がってしまう……。僕はすぐにこの場を離れようと、校門へ向かおうとした。
「――うっわ、すげえ面白そう!」
声高らかに、僕の隣から大声がした。その新鮮な驚き方に、動かし始めた僕の足は、ピタリと止まった。
「なあなあ! やっぱりみんなで蹴った方が面白いな!」
僕の肩をブンブンと揺らし、興味津々に訊いてくる龍児くん。
「……まあ、ね」
その言葉に、僕は少し違和感を持ちながらも、ゆっくりとうなずいた。龍児くんは「そっかー!」と再び試合に注目した。
ここで僕は、数段下で観戦していた女子たちが、僕らの方に顔を向けていた。その顔からは、怪しい者を見るような表情が垣間見えた。
「あの、龍児くん……そろそろ僕は……」
別にやましいことをしているというわけじゃないが、これ以上彼といると、無駄に目立ってしまいそうだった。僕は彼から一歩後ずさる。
「――俺も、あんな風にやりてえな……」
龍児くんは僕の言葉など耳に入っていないかのように、無邪気に試合を見ていた。
――僕はチャンスとばかりに、逃げるようにこの場を離れることにした。
その後、彼や試合結果がどうなったかを知ることになったのは、土日の休みを挟んだ月曜日……ではなく、その前日の夜中の公園であった――。