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六日目

 目覚まし時計を壊してしまった責務を感じているのか、また美月に起こされた。

「朝食、作りましょうか?」

「んあ? ああ、頼もうかな」

 何だろうな、ここ数日で美月がいることが当たり前になって、美月もこの生活に馴染んでしまっている。非日常が日常に変化している。美月は死神で、俺は人間で、改めて考えればとてつもなく非現実的なんだよな。ありえないことを見てきた俺ももう普通ではないのかもな。

 そんなことをしみじみと思いながら寝ぐせを直していた。朝飯を食べるから歯磨きもそのあと。俺の生活習慣も滅茶苦茶になった。

「朝食の御準備が整いました。ご主人様」

 テーブルにはトーストとサラダ。そしてコーヒーが並べられていて、横にはメイド服を着た美月がちょこんと座っていた。短めのスカート、メイドエプロン、メイドカチューシャ。白を基調としていて、髪型と合わせて怖ろしくよく似合う。いろいろと言いたい事もあったが、とりあえずテーブルに着きコーヒーを一口すする。その期待の眼差しは何だ美月?

「あー、美月」

「は、はい!」

 待ってましたと言わんばかりの勢いだ。

「砂糖取って」

「かしこまりました。ご主人様」

 貫き通すつもりか。

 美月から砂糖を受け取り、スプーンで一杯。

「あ、あの、どうですか?」

「うん。ちょうどいい甘さだよ」

「そ、そうではなくて……」

「ああ、パンはもう少し焼いた方がいいな」

「い、いや、あの……」

「サラダはハムを乗せれば最高」

「こ、この服! どどどうですか!?」

 ついに身を乗り出し、鼻息荒く聞いてくる。そんなに期待されたら、いじめたくなるじゃないか。

「実は俺って、秘書萌えなんだ」

「なっ、なななっ……!」

 大袈裟に身をのけぞらせて驚く。いちいちオーバーリアクションなんだよなこいつは。

「ちょ、ちょっと待ってて下さい」

 待っててってまさか……。

 美月は立ち上がり、メイド服を剥ぎ取ったかと思えば一瞬で黒いスーツに着替えてしまった。眼鏡つきだ。お前はどこかの魔法少女か。

「ふふんっ」

 腰に手を当てて得意げに鼻を鳴らす。何がしたいんだこいつは。

 一応断っておくが俺には秘書萌えもメイド萌えもない。だけど、せっかくだ。

「美月、今日の予定は?」

「はい。一時限目から、英語、世界史、数Ⅱ、体育、昼休みを挟みまして現国、物理となっております。放課後の予定はございません」

「ご苦労。下がっていい」

 とここまでやっておいて自分が馬鹿だと思ったね。

「美月よ、いつもの服が似合ってる」

「……そうですか……」

 そんなに残念そうに言われると悪い事をした気になるじゃないか。

「いや、まぁ、たまにはよかったかな」

 美月が照れ笑いを浮かべたところで、食事を再開した。

 今日は……明日美に気持ちを伝えなくてはならない。



 学校へ着くと二日ぶりとなる池田との会話。

 二日ぶりなのに、涙ながらに話しをされた。どうやら、この二日間にとある女子に告白して玉砕したらしい。今日だけは聞きたくなかった話しだったな。慰めるものの、明日には俺が池田の立場になりそうだ。

 朝のホームルームまで池田の話しを聞いていた。何でも、普通に遊びに誘い出し、ここぞと思ったときに告白したらしい。その時によからぬことを口走って逃げられ終了、らしい。何を言ったのかは知らないが、とにかく落ち着いて話すってことだけは教訓になったな。

 でも池田にそういう思い人がいたことには正直驚いた。人のことは茶化すのに、自分は興味ありません、みたいな顔してたから。誰だって人に話すことは恥ずかしいことなんだよな。

 さて、一時限目が英語という美月秘書の話しを信じて確認しなかった俺が悪いのか、一時限目は体育だった。みんなが着替え始めて正直焦った。二時限目は物理。美月は間違えたわけではなく、適当に言っていたに過ぎなかった。その後、時間割を確認。幸い、順番がバラバラなだけだった。

 昼休みには、明日美と放課後の約束を取り付けるために隣のクラスへ出向いた。

 二日ぶりに見る明日美はやっぱり可愛くて、いつぞやの古川さんとお昼を食べていた。

 何も臆することはない。そう思うけど、なかなか足が進まない。

 大丈夫。これまでのように放課後の約束を取り付けるだけなんだ。正当な理由もある。

「何してるんですか? 獲物はもう目の前ですよ?」

 美月、獲物なんて言うんじゃない。

 よし、よし行こう。さぁ行こう。行け渉。獲物は目の前だ!

 俺は意を決して、一歩を踏み出した。

「あっ、わたるー!」

 屋上で会った時もそうだったけど、明日美は俺センサーでも装備しているのか、俺が教室に入ると同時に声をかけてきた。それに気がついて古川さんもこっちを見る。

 俺は周りの視線を気にしながら二人のもとに向かった。

「渉、二日ぶりっ」

「お、おう。二日ぶり」

「こんにちは。森田くん」

 明日美は手を上げて輝かしい笑顔を向けてくれる。古川さんはニヤケつつの挨拶。美月は古川さんの目の前まで行って思いっきり睨みつけていた。まだパフェのことを根に持っているらしい。

「教室まで来るなんて珍しいね。どうしたの?」

「い、いや、あのな……」

「明日美、飲み物買ってくるねー」

 君はいい人だ、古川さん。そんな気を遣ってくれるなんて。心の中で敬礼をしながら古川さんを見送った。

「もう、変な気を遣っちゃって。ねっ」

 古川さんが行ったあと、苦笑混じりでやれやれと嘆息する明日美。

「ま、まったくだ。なっ!」

「…………」

「…………」

 お、おいおいおい。この沈黙は何だ。しっかりしろよ俺!

「渉?」

「は、はいっ!」

「ふふっ。どうしちゃったの? 何か用事があったんじゃないの?」

 そ、そうだそうだ。俺が誘いに来たのに黙ってどうする。このままでは本当に池田の二の舞だ。

「こ、この前は悪かったな。今日の放課後なんてどうだ?」

 明日美は疑問符を浮かべて「この前……」と疑問符を浮かべて首を傾げた。その仕草も最高。

「あ、そうだ。この前は渉にフラレたんだった」

 フラレたなんて言わないで~。

「よ、用事があったんだって。だからその埋め合わせにさ」

「渉から誘って来るなんて珍しい。何か企んでるんじゃないの?」

 はい、その通りです。

「別に嫌ならいいけどな」

「い、嫌じゃないよ。行く。行きます。もちろん渉の奢りでしょ?」

 ぃよっしゃぁっ!

「ちぇっ。まぁ埋め合わせだからな」

 奢りますとも。なんでもお食べ。

「じゃあホームルーム終わったらダッシュね。限定パフェ二つ食べちゃうんだから。覚悟すること」

 うんうん、お食べ。

 明日美はにししと笑ってミートボールを口に放り込む。

 そこでタイミング良く古川さんが戻って来て俺は退散した。

 スキップでもして校内を駆け回りたい衝動を必死に抑えて教室に戻り、自分の席に着いてさっきの余韻に浸っていた。笑いを堪えるのに必死だぜ。

「何とも腑抜けた、いえ、いやらしい顔をしているのですか」

 美月がシラケた顔で溜息をつく。俺は美月の腕を掴んで、

(ぐわーっはっはっはっ! 見てたか美月! 俺はやったぞ! だっはっはっはっ!)

 俺の声に、美月は目眩を起こしたかのように頭をふらふらと振る。

(あ、頭に響きました)

(だっはっはっ! そうか! 響いたか!)

 周りに気付かれないように、机に頭を伏せた。笑っちゃうよなはははっ!

(まったく、何を浮かれているのか……。まだ誘っただけでしょう。それなのにそんなに浮かれていて、きちんと思いを伝えることができるのですか? 簡単なことじゃないのでしょう?)

 ………………そ、そうだ。美月の言う通り。何も返す言葉がない。浮かれてる。俺、相当浮かれてた。

 誘って……誘ってから、俺は……。

(ああ……どうしよう。どうすりゃいい?)

(そんなの知りませんよ。私はパフェが食べられればそれでいいです)

(パフェ……そうだな。食べさせてやるからどうにかしてくれぇ!)

(わ、私にすがるなんて重症ですね)

 ああ……一気に気持ちまで伏せってしまった。ど、どうすりゃいい!

(み、美月ぃ!)

(い、痛いです! 離して下さい!)

(うああああ……!)

(は、離しやがれですぅ!)

 昼休みの終わりの鐘が聞こえて顔を上げると、アームグローブにくっきり手形のついた半泣きの美月が俺を睨んでいた。どうしたんだ、その腕は?

 五時限目、六時限目と放課後のばかり考えていて授業内容なんてまるで頭に入って来なかった。睡魔が訪れることもなく、美月が話しかけてきた声も空しく響いていた。



「わったるー!」

 さー、気合い入れろ俺! 逃げるな俺! 勝負の放課後がやって来た!

 池田が羨ましそうに「いいよなお前は」と呟いているのを横目に半ば強引に明日美に連れ出される。

 手を引かれ、明日美の背中を追いかけ走る。手の温もりと、時折香る栗色の髪の香りで、それだけでも満足してしまいそうだった。そんな思いを頭を振って断ち切り、しっかりと明日美の手を握り締めた。揺れる明日美の髪を見つめて、これから気持ちを伝えることを自分に言い聞かせて走った。

『ルブラン』に着くと、この前明日美と一緒に来た時と同じ席に座った。今日の『ルブラン』はまだそれほど賑わいは見せていない。

 息を切らしながら、エアコンの冷風に身をかざす。明日美はそんな俺を「あはは……」と苦笑いを浮かべながら申し訳なさそうに見る。休みなく走り過ぎだよ。

 明日美のパフェと俺のアイスコーヒーを注文して、一息つく。

 落ち着いて、にこにこと機嫌良く笑う明日美を見ると、俺も自然に笑えた。

 だけど、やっぱり緊張している俺がいる。頭の中ではこの後のシミュレーションが幾度となく繰り返される。空想世界ではカッコいい台詞を吐いている俺だけど、実際はそううまくはいかない。頭の中の明日美と目の前の明日美は違うんだし。

「こ、この前さ、みどりが変なこと言ってなかった?」

 不意に、明日美が誤魔化すように笑って言った。

 みどり……古川さんか。ただの友達とかそういう話しかな……。ちょっといきなり過ぎる。まだ心の準備ができてない。

「え? 何も?」

 まだもう少し待って、それから話そう。いきなりは困る。

「そっか。ならいいんだ。みどりったらあることないこと言っちゃうから」

 注文したパフェとコーヒーが届き、俺はさっそく喉を潤した。走ったのと緊張で喉がカラカラだ。

 明日美は「どこから食べようかなぁ」とパフェをくるくる回し、底のフレークを無理矢理取り出した。「この前フレークだけ残っちゃったから」と舌を出して笑う。ああ、可愛いぜ明日美!

「私のパフェはどこですかー?」

 美月がテーブルから身を生やし、右手をサンバイザー代わりにわざとらしくきょろきょろと周りを見回す。俺は足を伸ばして、テーブルの下で美月に触れた。

 ここまで気にしないようにしてたけど、やはり出張るか美月!

(今日だけは勘弁してくれ! 一生のお願いだ!)

(老い先短い一生なんですけどね)

(そう言わずに頼む!)

 美月は嘆息して席に戻り、背もたれにもたれかかった。わかってくれたらしい。

 だけどそう睨むなよ。俺はいいけど、そんな敵意むき出しで明日美を睨むのはやめてくれ。

 そう伝えようとすると、美月は顔を伏せた。

 まぁ、いいか。食べ物の恨みは怖ろしい、と。

 さて、これからどうするか。このまま何事もなくティータイムを終えてバイバイなんてことにならないようにしないと。

「渉さ、夏休みは実家だよね?」

「あ、ああ。明日美は?」

 明日美にも聞かれるなんて、罪悪感は消えないな。

「私も帰るよ。実は昨日まで帰ってたんだ」

「そうなのか? それなら言ってくれれば……」

「え? どうして?」

「あっ、いや……」

 余計なことは言わない方がいいか。

「小夜ちゃんに会いたいなぁ。かーわいいんだもん!」

 明日美は自分の肩をぎゅーっと抱く。小夜も明日美に懐いてるからなぁ。

「夏休みには可愛がってやってくれよな」

「もちろん! 小夜ちゃんは私の妹でもあるんだから!」

 親指を立てて「にひっ」と歯を見せて笑う。「妹はやらん」とでも言えば意地悪そうにべーっと舌を出して笑う。

「本当、頼むな」

 明日美は「え?」ときょとんとして俺をまじまじと見つめた。

「いや、何でもない。アイス溶けてるぞ、早く食べないと。もう一つ注文するんだろ?」

「うーん、今日はこれだけでいいや。さすがに食べ過ぎだよね」

「この前はケーキも食べてただろ?」

「もうっ。言わないでよ。意地悪」

 こういうのでも、貴重な時間だったりする。明日美とこうやって話すことも最後なんだろうな。

 不思議と、悲しみは感じなかった。いつの間にか、気持ちの整理がついていたのかもしれない。

 だから、自然に話せたんだ。

「なぁ、明日美」

 明日美はパフェを食べながら「ん?」と耳だけを傾けた。

「もう十年以上になるな」

「ふぇ?」

「俺と明日美が出会ってからさ」

「えっ? そうだね、いきなりケンカしてからもう十年」

「ははっ、あれって何でケンカしたんだっけ?」

「もうっ。覚えてないの? 渉があたしの髪の毛引っ張ったんだよ。あの時は髪の毛長くて二つ結びしてたから」

「そうだったっけ?」

「そう。それもまだ顔も合わせたことなかったのに後ろからいきなり。それで尻もちついちゃったの。そして、見上げたら渉がいた」

「ひどい奴だなぁ」

「ホントだよ」

 明日美はシニカルに笑ってみせた。

「最悪な出会いだったのにな、今じゃ一緒にこんなとこに来たりして」

「あたしはそれよりも渉が一緒の学校にいるっていうことの方が不思議。絶対合格できないって思ってたから」

「結構苦労したんだぞ?」

 明日美は訝しげに目を細め、俺を見る。

「なんとなくって理由で受験して苦労したって変な話し」

「ははっ、たしかにな」

「でも渉が一緒でよかったぁ。渉がいなかったらあたし一人ぼっちだったよ」

 困った顔で、てへっと笑った。思わず目を逸らしてしまいそうになるほど、どこか照れ臭かった。

「あ、明日美は誰とでも仲良くなれるだろ」

「ううん、実は推薦で合格した時、嬉しかったけど心細かった。渉が受験するって言った時は馬鹿だなぁって思ったけど、嬉しかったし、本気で応援してたんだよ」

「馬鹿ってなんだよ馬鹿って」

「あははっ、ごめんね」

 明日美はパフェを食べ終えて、水に口をつけた。

 そして、小さく笑って、「うーん……」と少しの間、視線を泳がせた。

「渉って……実はさ……あたしを追いかけてきたんじゃないの?」

「ぶぇふっ! な、なんだよそれ!」

「あー、うん、渉ならそんな馬鹿なこと考えるかもしれないと思って。それとも、一人ぼっちにさせないため?」

 明日美はクスッと小さく笑い、

「どっちもありえないかな」

 と寂しく呟いた。

「そ、そんなこと……」

「ないって?」

「ん、んん……」

 思わず口籠る。明日美は俺を観察するかのようにじーっと見ている。

 急な展開だ。まさか明日美がこんな話しをしてくるなんて露ほども思ってなかったから。

 でも、今なら……いや、今しかないだろ!

「あ、明日美。お、俺……!」

「ねぇ、渉。聞いて?」

 急に弱々しく、泣きそうで、怯えるような瞳で見つめられて、頭の中が真っ白になった。言いかけた言葉も、行き場をなくしてしまった。

 一瞬、時間が止まったかのような錯覚に陥り、周りの騒がしい音も全て消えた。ドクンと一度心臓が大きく脈打ったかと思うと、また時間が動き出した。

「あのね、あの……い、今までずっと渉がそばにいてくれて、あたし、すごく助けられてた。本当に、渉がそばにいてくれたから、実家を離れても、今までやってこれたと思うの。渉はさ、あたしのことなんて、ただの友達としか思ってないんだろうけど、あたしは……あたしはね……」

 お、おいおい……ちょっと、ちょっと待て! これ、これってまさか……。

「あたし……渉のことが、好き」

 何を考えていたのかわからない。咄嗟に出る言葉なんて何もなくて、目元を潤ませていた明日美のことを、ただただ見つめるだけだった。いや、何を見ていたのかもわからない。頭というか、世界が真っ白になった。

「……え?」

 間が空いて、俺の口からやっと出たことがこれだった。

「渉のことが、好きなの」

 もう一度言った言葉は、しっかりと俺の耳に届いた。

「あ、明日美? あの……」

「何も言わなくていいよ。あたしは、ただ気持ちを伝えたかっただけだから。何も、望んでいないから」

 な、何だって? そんなこと……。

「そんなわけあるかよ!」

 思わず立ち上がり、叫んだ。

「えっ、えっ? 渉?」

「俺が……俺が言うつもりだったんだ……」

 大きく息を吸い込む。困惑している明日美を見つめる。

「俺……俺も……いや、俺は明日美が好きだ!」

 明日美にだって譲らない。これは、俺の告白だ。いなくなる前にやらなければいけなかったことなんだ。

「わた……る……?」

 明日美は目を細めて、本当に小さな笑みで俺を見上げる。その口元が震えている。

 俺だって、こうしてるけど、足が震えている。恥ずかしくて、嬉しくて、頭の中はぐしゃぐしゃだ。

「えへっ。でも恥ずかしいよ。ほら……」

 明日美の目線を追いかけると、当然ながら俺は注目の的だった。店員さんすら目を丸くさせて、唖然として俺を見ていた。

「で、出よう」

「賛成」

 顔を下に向けたまま、決して上げることはせずに外に出た。誰かと目が合えば恥ずかしさで叫んでしまいそうだった。

 空は晴れ渡っていて、雲一つない快晴だった。少しだけ夕暮れの雰囲気が漂っていてどこか懐かしい気持ちになる。

 早足で『ルブラン』を離れ、駅前の広場にやって来た。ロータリーを囲むようにヤシの木が植えられていて、その傍らにあるベンチに二人で腰掛けた。

「あー……しばらくはあそこ行けないな」

「ほんと、いい迷惑」

 迷惑ってお前――そう言おうとしていたけれど、明日美の顔を見て押し黙ってしまう。目元を濡らして、細くて優しい目で俺を見つめていた。

「あ、あの、俺さ、ずっと好きだったんだ。今の高校目指したのも、そう、明日美が言ったように、お前を追いかけて。一緒にいたかったから。こんなこと、誰にも言えないだろ?」

「馬鹿なのに無理しちゃってさ。渉らしいけど」

「馬鹿って言うな」

「…………バカ」

 思い描いていた形と全然違ったけれど、俺の想いを伝えることができた。

 明日美が俺のことを好きだったなんて、夢にも思わなかった。でも、こうなると心残りだよな。生きていたらそりゃ楽しい高校生活が待っていたに違いないのに。

 俺が死ぬって知ったら明日美はどんな……。

 明日美は……。

 待て、待てよ俺。俺は、まさかとんでもないことをしてしまったんじゃないのか?

 俺が誘わなければ明日美はここにはいなかった。明日美の気持ちを知ることはなかった。明日美も俺の気持ちを知ることはなかった。

 明日美は今どんな気持ちなんだろう。

 喜びに満ち溢れているのか。安心しているのか。幸せを感じているのか。

 もう、俺は死んでしまうのに?

 今の気持ちが大きければ大きいほど、俺が死んだ時の悲しみも大きくなってしまうんじゃないのか?

 そうだ……そうなんだ。

 明日美の気持ちも考えずに俺は、自分のことしか考えていなかった。

 明日美の気持ちは嬉しかった。心の底から、幸せな気持ちが溢れ出ていた。

 だけど今は、今は、なんて悲しいんだ。

「嬉し泣き、伝染しちゃった?」

 言われて目元に手をやると、生温かい水滴が指についた。

 嬉しいのに悲しいなんて、複雑だ。

 もう、笑っていられない。

 微笑んでいる明日美の顔もぼやける。何度拭っても、涙が止まらない。

「もうっ、泣き過ぎ。ふふっ」

「わ、わりぃ。今日は帰るよ。明日また学校でな」

 俺は立ち上がり、明日美に背を向けた。

 こんな顔、これ以上見せられない。

「えっ、渉、ちょっとどうしたの?」

 肩に明日美の手がかかる。

「何でもないんだ!」

 それを振り払うように、声を荒げてしまう。

 何やってんだろうな、俺は。怒鳴ったりして。

「ごめん……。でも、俺、明日美のこと好きだからさ。だけど、今日は、ごめん……」

「……うん。わかった」

 そっと、明日美の手が離れた。

 名残惜しくて、その手を取りそうになる。

 でも、そんなことはしない。しない方がいいんだ。

「明日、学校でね」

「サンキュ……」

 別れ際、明日美がどんな顔をしていたかわからない。

 俺は振り返ることなく、逃げるように走り去った。



 アパートに着くと、そのままベッドに倒れ込んだ。

 明日学校でなんて、どんな顔して明日美に会えばいいんだよ。

 笑いかけられたら笑って返せる自信がない。

 頭の中には明日美の泣き叫ぶ姿が何度も浮かんできた。それはもう俺がいない世界で、真っ黒い服を着た明日美の姿。俺の遺影の前から動かない明日美の姿。

 自意識過剰、とは思わない。逆の立場なら、俺だってそうなると思うし、あの時の、ベンチで話した時の明日美の顔は忘れない。

「シャワーでも浴びたらどうですか?」

「ほっといてくれ」

「よかったじゃないですか。思いが通じ合っていたのでしょう?」

「いいわけない。いいわけないんだよ。もっと、考えるべきだったんだ」

 うつ伏せのまま、美月の方を見ることなく話していた。今はほっといてほしい。

「夕食は?」

「……いらない」

「いえいえ、私の」

「冗談は通じないからな。いいからほっといてくれ。話しかけるな」

 美月はそれ以降話しかけてくることはなかった。

 たまにテレビをつけたり消したり、溜息が聞こえてきた。

 少し動くと、目元の布団が冷たかった。

 俺の人生、最後に犯した一番大きな罪だ。

 好きな人を傷つけて、後悔に蝕まれながら、俺は死んでいく。



 残り一日。

 ようやくこのくだらない実験も終わりを迎える。

 現時点においてイレギュラーは発生していない。

 だが、これまでの観察状況によれば、あまりにも不安定。

 最悪の状況も考慮せねばならない。

 全てを知った時の抑止力は、私だけなのだ。



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