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二日目

「起きて下さい」

 人の適応能力には全くもって驚かされる。俺は美月の声を聞いて驚くことはなかった。しかしこれは――状況がよく飲み込めない。

「何を……してる?」

 美月は寝ている俺に馬乗りの状態で乗っかっていた。不思議と重さは感じない。

「わかりますか?」

 そしてロードを突き出してきた。盤面の数字は『2』に変化している。

「なんだそりゃ。時計ならある」

 ただの強がりだってことはわかってる。

「こんなものはどうでもいいのです!」

「いいのかよ!」

 思わず突っ込んでしまったけど、えっと、何か怒ってる?

「な、何だ、どうした?」

 美月はロードをしまい、ぐいっと顔を近づけてきた。

「いぃっ!?」

 美月もそれなりに可愛いんだ。健全な男子高校生としてはこういうシチュエーションは困る。しかし、美月を跳ねのけようにも俺の体は首から下がぴくりとも動かない。

「お店、開いていませんでした」

 は? お店? 

 しばし頭を悩ませ昨日の記憶を探ろうとしたがその必要はなく、俺の疑問の答えはすぐに美月の口から飛び出した。

「あなたが眠ったあと、すぐにあの店に行きましたが、『閉店』という札が掲げられてあり、中には誰もいませんでした」

 ほんとに行ったんだ。様子からするに勝手に食ってきたって感じじゃなさそうだけど。

「そりゃあそうだろうな」

「……やはり知っていたのですね」

 美月はゆらありと起き上がって不気味な笑みを浮かべた。何か、恐ろしい笑い方だぞ。

「ふふ……これがバカにされるということなのですね。す、すごく腹立たしい気持ちです」

 あ、あの……美月さん?

「あまり手荒な真似はしたくなかったのですが。パフェのためです、仕方ありませんよね」

 仕方なくないだろ正当化するな、って、な、何をするつもりだ。とりあえず逃げ……か、体、動かない……。

「ふふふ、無駄です」

「ま、待て! たかがパフェのために人間相手に何をするつもりだ!」

「たかがパフェ? 私がどれだけ楽しみにあなたが眠るのを待っていたと思っているのですか。それに、あなたは私に人間らしくしろと言ったじゃないですか。物事を自分の都合に合わせようとするのは人間の悪い癖です。私は、パフェが食べたい。どうです、実に人間らしいでしょう?」

 こ、こんな超能力まがいの特殊能力、全然人間らしくない!

「覚悟はいいですね?」

「やめてくれ! 手を出すな!」

 や、やめて、そんな、そんなところに手を……手を脇腹に?

「こちょこちょこちょ」

「うっ、うわーっはっはっはっ! ちょ、やめっ! ひゃははははははははは!」

「どうーです! 地獄の苦しみでしょう! 地獄では有名な拷問です」

 こ、こんな、俺の弱点を知り尽くしているかのようなピンポイントくすぐり攻撃!

「はーーっはっはっ! …………ははっ……はぁ……はぁ……」

 息もできないくらい笑わされてようやく美月の手が止まった。

「パフェが食べたいです」

 そして憮然とした態度でサラッとこの一言。その、どう? みたいなどや顔は何だ。

「こ、こんなことくらいで負けるかよ!」

「どうやら、私も本気にならざるを得ないようですね」

 美月は背中に手を回し、何かを取り出した。それは辞書くらいの大きさの箱で、その箱から孫の手のようなものが二本突き出ている。それをどう使うのか、何となく予想できるから怖い。

 どうでもいいけど、美月の太股が柔らかい。だって俺も男だもん。

「ど、どこからそんなもん出したんだよ」

「私の髪の裏は異次元と繋がっているのです」

 そうか、そこに牛乳ならデータやらをしまっていたのか。

「お前はあれか、実は未来からやってきた猫型――」

「わけのわからないことを。いきますよ」

 美月は孫の手箱を俺の足元に置いた。

「ぎゃーーーーーーーーーっははははははははっ! ぎゃーーーーーーーーーーーーっ!」

「効くでしょう! 脇と足の裏の同時攻撃は!」

 マジやばい! このまま続けられれば精神崩壊も免れん!

「うりうりうり……」

「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっはははははははははははぎゃーーーーーっ!」

 美月の奴、笑ってる! こいつ楽しんでやがる! ってもうダメだ!

「ぎゃはっ! まい、まいった! くはっ! やめろっ! ~~~~~~ふぅ……」

 ピタッと、美月の地獄拷問は止んだ。

「さぁ、わかったのならパフェを食べに行きますよ」

「はぁ? 冗談だろ。今日も学校なんだから。放課後だ、それでいいだろ?」

「あなたは私のパフェよりも学校が大事だと? 優先順位を正しくお願いします」

「順位をつけたら下から数えた方が早いわ! ったく、放課後まで我慢しろ。楽しみは後に取っておくといった素晴らしい言葉もある」

 美月はむぅっと頬を膨らませていたが納得したのか俺を解放した。ついでに介抱して欲しい。主に精神面で。朝っぱらから何て体力を使っちまったんだ。ああ、汗だくで気持ち悪い。

「ありがとうございます。拷問した甲斐がありました」

 満面の笑みを浮かべ「えへへ」とパフェのことでも思い浮かべているようだった。そういうところはこいつも女の子で、人間らしいんだろうなぁ。

「ああ、そういえば」

 何かに気がついたように、美月は俺の方を向いて手を叩いた。

「何だよ」

「遅刻しますよ?」

「そういうことはもっと早く言ってくれ!」



 朝から散々笑わされたあげく学校まで全力疾走とは先が思いやられる一日だった。汗だくで走り、コンビニに寄る時間すらなく、教室に着くなり机に突っ伏した。

「汗くらい拭いたらどうなんよ」

 少し派手目なスポーツタオルを差し出してくる池田。ありがたく使わせてもらう。汗を拭いて返そうとすると当然のように「洗って返しんしゃい」と一蹴された。

「昨日といい今日といい、渉が遅く来るなんて珍しいねぇ」

 池田に美月のことを話しても保健室にどうぞってことになるしな。「いろいろあって」と曖昧に返した。美月がやってきてたった一日で俺がどれほど振り回されているのか、俺の苦労をわかってもらいたいぜ。

「ついに藤村と一線越えたんか。その……気持ちよかったのかにゃ?」

 どうも俺の周りには自分の解釈で物を言う奴が多いみたいだな。

「昨日はすぐに帰ったよ。これでもかというほどあっさり」

「ふむ、ならば喧嘩とな。相談相手なら買って出ようじゃん」

「違う違う。明日美とは何もないから」

「なっ! じゃあ誰とっ!?」

「まずは誰とどうなったかっていうところから切り離してくれ」

「……なんぞ、つまらん話しか」

 勝手に喰らいついてがっかりすんなよ。

 一時限目は体育。最悪だ。しかも百メートル走の繰り返し。もう十分走ってきたよ。体育教師が俺に恨みを抱いているとしか思えない被害妄想。美月は美月で俺の横を涼しそうな顔で走ってたし。いや、滑ってたし。その能力を分けて欲しい。

 休み時間には明日美が俺の様子を気にして教室にやってきた。ただ疲れ果てて机に突っ伏していただけの俺を見て、「まだ渉具合悪いんじゃない!」やれ早退だの保健室だのの大騒ぎ。それは大いに結構なんだけど、明日美は次の授業の教師が入って来たことにも気がつかず、それに俺も絡んでいるもんだから始末が悪い。明日美は早々に退散。みんなは白々と静観。俺は深々と深謝。もうどうにでもしれくれ。疲れてるんだ。



 十全な休息。

 昼休み、立ち入り禁止の屋上に俺はいた。屋上へのドアには鍵がかかっているんだけど、その横の小窓から出れるもんだから鍵の意味がない。胸の高さにあるから出にくいけどな。

 小窓を抜けるとフェンスに囲まれた二十五メートルプールほどの広さの屋上。入口の上には貯水タンクがあり、静かな屋上はその陰に入りさえすれば風通しもよくて涼しい。普段は人目があるからなかなか来ないけど、ゆっくりするならやっぱりここなんだよな。

 カリカリピザトーストを二つ平らげ、出入り口の横の壁に背中を預けていた。

 落ち着く。

「パフェの時間が近付いてますね」

 美月が隣にいようと関係ない、落ち着く。

「あっ、やっぱりここにいたんだ」

 不意に明日美が現れようと関係ない、落ち着……かないよな、これ。

 小窓からきゅーちくるな顔を覗かせていた明日美は軽やかに身を翻して屋上に降り立った。その姿は純白の翼を持つ天使のよう、なんて思う俺はもはや病気じゃなかろうか。可愛いよ明日美。

「何してたの?」

 スカートを押さえながら俺の隣に座り込む。美月とは反対側右隣。柑橘系のコロンの匂いが鼻に届いて心がハッピー。最近の明日美のお気に入りだ。もちろん俺もお気に入りだ。

 頬が緩みっぱなしの俺とは対照的に、美月は身を乗り出して明日美を睨みつけていた。どうしたってんだ。

「ちょっと休憩」

「ふーん、じゃ、あたしも休憩しよっかな」

 と明日美は俺と同じように壁に背を預け、気持ち良さそうな溜息をついて目を閉じた。俺も真似して目を閉じてみた。誰もいない屋上ではセミの泣き声と風の音だけが聞こえてくる。

 なんか……いいなぁこういうの。

「パーフェー♪ パフェパフェー♪」

 雰囲気ぶち壊しだこのやろう♪

 俺は首だけを傾けて美月の方を見る。なんとも気持ち良さそうに歌ってやがる。俺はどんな顔をしているのか。怒りか、可哀想な奴を見る目か。

(美月。おい、美月)

 左手で、そっと美月に触れた。

「何ですか? 邪魔しないでください」

(それはこっちの台詞だ。何もかも台無しだよ。うるさい。空気を読め。静かにしてろ)

「私の声はあなたにしか聞こえていませんし。それにほら、空はこんなに青いのに~♪」

 美月は屋上の中央まで駆けて行き、くるくるくる~っと踊る。何をしたいのかさっぱりだけど、とにかく開いた口が塞がらない。ぽかーん。

「ん、渉?」

 明日美は違和感を感じたのか俺を確かめるように俺を呼んだ。俺は作り笑いだけで返事をした。

「ふわぁ……やばいここ。眠くなっちゃう」

 欠伸+背伸びという滅多にお目にかかれない明日美の仕草に自然と顔がほころぶ。ついでに背伸びで張られた胸がなんとも。夏服だし、その、透けてね。いや、夏だしね!

「寝ててもいいぞ」

「やーよ、渉に襲われちゃうもん」

「し、しねぇよそんなこと!」

「冗談に決まってるでしょ。すーぐ顔赤くして。やっぱり可愛いなぁ、渉は」

 それは、相手がお前だからなんだよ。

 小学生で初めて明日美と会った時、喧嘩した。原因が何だったのか覚えてはいないけれど。それからことあるごとに明日美は俺に突っかかって来て、それで何故かいつの間にか自然に話すようになって、いつも一緒に遊ぶようになって、気がつけばいつも明日美と一緒だった。何がきっかけで好きになったのかはわからない。ずっと好きだったのかもしれない。もしかしたら好きと呼べる気持ちじゃないのかもしれない。だけど、だけどたしかに、俺は明日美が好きなんだ。

「あたし、先に教室に戻るね。次の授業って移動教室だから」

 ……このままでいいのか? 死ぬとわかってて、このまま、何も変わらないまま全てが終わってしまったとして、俺はそれでいいのか?

「あ、明日美!」

 立ち上がり、背を向けていた明日美に向かって叫んだ。何を考えていたわけじゃないけれど。

「あ……こ、今度ちゃんと奢るよ。ぱ、パフェ」

「……うん。期待しないで待ってるよ。いつものように、ね」

 明日美は意地悪く笑って戻って行った。

 今度って……急がないとな。

 明日美がいなくなった屋上は、ひどく寂しかった。

 やらなきゃいけないことが見つかった。どうせ死ぬなら、なんでもできるさ。

「美月」

「何ですか? 今日は私とパフェを食べに行くんですからね」

 俺が明日美を誘うと思ったのか、じろりと俺を睨む。

「ちゃんと連れて行くよ。その……俺の命はあとどれくらいなんだ?」

 美月は少し驚いた表情を見せたが、すぐに真剣な面持ちでロードを取り出した。

「正確には、あと五日と十一時間四十二分……三十秒です」

「そっか、改めて聞くと短いもんだな」

 今までの俺からすると攻略最難関の高難易度ミッションだ。だけど、俺は決めた。

「訂正する。変わるつもりはないと言ったこと。死ぬ前にやりたいことができた」

「好きにすればいいじゃないですか。わざわざそんなこと……」

「ははっ。そりゃそうだな」

 美月はむぅっと唸って人差し指を唇に当てた。どうやら困らせてしまったようだ。俺だって、わざわざ言う必要なんてないことだって思うよ。だけど聞いてもらいたかったのかもしれない。俺が死ぬことを知っている唯一の存在の美月に。

「それで、やりたいこととは?」

「明日美に、気持ちを伝えるんだ」

 たったこれだけのことだけど、妙に清々しい気分だった。ただ伝えられればいい。死ぬ間際に後悔なんてしたくない。伝えなきゃって、思うんだ。

「それが、あなたのやりたいこと。もっとも大事なことなのですか?」

「ああ、そうだよ」

 俺は、笑っていたんだと思う。美月と出会わなければ、もしかしたら一生こんなことは思わなかったのかもしれない。自分の死を見て思ったことだから。だから訂正。いつも通りじゃないのだから。

 そんな新しい自分に酔っていたのか、よほど浮かれていたのか、気が大きくなっていたのか。

 五時限目をさぼってしまった。

 少しだけ日が傾いたおかげで伸びた貯水タンクの影に合わせて、よっこらせと横になる。ベルトが当たって腰骨が痛い。制服が汚れるのも構わず、仰向けになり空を見上げた。

「あなたは死を受け入れたのですか?」

 隣にちょこんと座り空を見上げていた美月がそんなことを口にした。美月を見るとちょうど目が合った。しかめっ面で、少し睨むような目をしていた。

「受け入れた、とは違う。死にたくないさ。どうにかなるんならどうにかしてくれ」

「……なりません」

「ははっ。それなら、しゃーないだろ」

「……何故、私にはわかりません。もっと、死は人間にとって恐ろしいものであるはずなのです。どうして笑っていられるのですか?」

 納得のいかないような声だった。眉は丸みを増して三日月が二つ。俺が笑っているのが気に入らないのか。いや、そうじゃない。美月には単純にわからないだけなんだろう。俺だってわからないさ。

「言わないで後悔するより、言ってスッキリした方がいいよなって思っただけだ」

「答えになっていません」

 美月はきっと全てを理解しないと気が済まないタチなんだろうな。

「そのうちわかるんじゃないか?」

 我ながら無責任な言葉だった。誰かを好きになることなんてない美月には、今の俺の気持ちなんて永遠にわからないのだろう。美月が誰かに思いを伝えることなんて、訪れることはないのだから。



 放課後、俺は美月に無理矢理約束させられた『ルブラン』に来ていた。

 座った席は一番奥のもっとも人目につきにくい場所だ。

 俺は甘いものがあまり好きじゃなく、いや、たまには食べたいと思うこともあるんだけど、そんな俺の前に『ルブラン』のオリジナルパフェが置かれている。よくよく考えてみればこんなオシャレなケーキ屋に男一人というのはなかなか恥ずかしい、どころじゃない。お客の大半を占める女性客が俺のことを珍獣でも見る目をで見ていた。いっそ檻で囲まれた方が諦めがつきそうだ。

 美月は目の前のパフェにまだ手をつけておらず、パフェとずっとにらめっこをしていた。人目があるから食べにくいのかもしれない。今だー、とでも合図が必要かな? 何気に目立ってるもんな、俺が。

「あの、いいのでしょうか?」

「いまどき、スプーンが宙に浮くくらいの超常現象なんでもないさ」

 いや、あるか。一人でケーキ屋で手品っていうのも痛々しい。

「そうではなくて……」

 ん、違うのか。ならさっさと食べて欲しい。一刻も早くここからおさらばしたいのに。

「明日美さんに伝えなくてもいいのですか?」

 ……こいつは驚いた。美月の奴、俺のこと気遣ってたのか。偽物じゃあるまいな。

「何だ、そんなこと気にしてたのかよ」

「そんなことって、あなたのもっとも大事なことなのでしょう?」

「気持ちを伝えるのには少しばかり心構えが必要なんだよ。俺もそんなに度胸があるわけじゃないしな。だから遠慮せず食ってくれ。できれば急いで食ってくれ」

 その言葉を聞いて、美月は途端に喜々をしてパフェに手をつけ始める。まずは一番上に乗っかっていた生クリームつきのバナナを小さな口をあーん、精一杯頬張って食べる。うん、実に微笑ましい。

「パフェ、おいしいです」

 お前が食べたのはパフェだろうけどただのバナナだ、そう言いたかったけど美月の嬉しそうな顔を見て言葉を飲み込んだ。無粋なことはするまい。なんだか頭を撫でたくなる。

 俺はそのまま周囲に気を配りながら、美月が食べ終わるのを待つことにした。

 でもな、やっぱりこんなところに一人で来たのが間違いだったのか。

「あれー、森田くん?」

 聞いたことのある声が背中から俺を呼んだ。ギギギ、ブリキのおもちゃのように振り返ると、そこに立っていたのはうちの制服を着ていた女子二人。一人は見たことがある。

「えーっと、たしか明日美とよく一緒にいる……」

「古川みどりっす。以後よろしくっすぅ!」

 昨日、帰り際に明日美に話しかけてきた女子だった。ショートカットで活発そうな女子。ピースをしながら自己紹介を果たした。もう一人は春日さんというらしい。似たような髪型で、こちらはおとなしそうな子だった。

「明日美は一緒じゃないんすか?」

 当然のように、古川さんは聞いてくる。君の昨日の一言が俺をちょっぴり傷つけたんだよ。

「今日はこいつ……じゃなくて一人」あぶねーあぶねー。

「ふーん。じゃ、ご一緒しちゃうっす」

「えっ!? なん――」

 俺が何を言う間もなく、二人は俺の向かいの席に座った。せめて俺に確認するなりしてくれ。この状況が俺をどれだけ困らせるか君らはわかっちゃいない。

「また邪魔者が……」

 美月は見えないことをいいことに思い切り身を乗り出して二人を睨みつけた。またって、昼間に明日美を睨んでいたのはそういうことか。

(美月、今は我慢してくれ)

(わかっています)

 美月は歯を食いしばって歯ぎしりに貧乏ゆすりまでし始めた。ほっといたら二人の命を奪ってしまうんじゃないか? 早く帰った方がいいぞ、二人とも。

 そんな俺の心配をよそに二人は各々ケーキを注文した。俺はその慣れた様子に口を挟むこともできずにただ呆然としているだけだった。このままではいつまで持つかわかったもんじゃない。

「気にしないで食べてくれて構わないっすよ」

 俺がパフェにまったく手をつけないのを気にしてか古川さんが有難迷惑な発言と共にどうぞ、と手を返した。

「あ、ああ、二人のが来るまで待つよ」

 言って後悔。これじゃ二人の品が届いたら食べねばならんじゃないか。

「へー、優しいっすね。同席するのも断らなかったし」

 どこに断る暇があったのか教えてくれ。そしてやり直させてくれ。教えられた通りに断るから。そうしたらほら、美月の怒りの地団太で俺の足が傷つくことなんてないわけですよ。八つ当たりはやめろ美月。

 そのまま二人の注文が届くまで、俺は何をするでもなく、二人が楽しそうに話す友達やら芸能人の会話に耳を傾けていた。別に話しに加わりたいわけじゃないんだけど、わざわざこの席に座ることなんてなかったんじゃないか?

 そして注文が届き、「わぁおいしそう」と常套句を述べた二人はさっそくケーキに下鼓を打ち始めた。

 さーてどうしよう。このままおとなしく二人が食べるのを待つ、

「森田くん、食べないんすか?」

 わけにもいかないようだ。

「い、いやー、いただくよ」

「がるるるる……!」

 俺の隣、飢えた獣がそこにはいた。

 美月はスプーンを取ろうとした俺の腕を掴んで離さない。痛いって痛い。

(美月、わかってくれ)

(なんとかどうにかして下さい!)

 そう言われてもなぁ。帰ってくれというわけにもいかないだろうし。

「どうしたんすか?」

「いやぁ、僕、どうもお腹の調子が悪くなってきたみたいで……はは」

 意地でも誤魔化す! こちとらだってなぁ、朝の拷問を受けて来た『ルブラン』なんだ。このまま引き下がれるかってんだ。

「じゃあ、あっしがいただくっす」

 古川さんは、有無も言わさずパフェを取り一口パクリ。

「あーーーーーーーーーーっ!!」

 ああ、耳鳴りが……。うるせぇよ美月。まぁ大声叫が頭の中に響かなかっただけマシか。

「わ、私のパフェを……」

 美月は両手をテーブルについて驚愕の表情で古川さんを睨む。俺は知らん顔するので精一杯。

「あ、おいしい。パフェって食べたことなかったけど、今度来たらこれ頼もう」

 そして、連れの春日さんも便乗して一口食べた。

「わっ、私のパフェーーーーーー!」

 美月が見えてないんだから仕方ないんだろうけど……。

 古川さんたちに悪気はないんだ。だから落ち着いてくれ美月。拳を握り締めているが一体どうするつもりなんだ。お前が危害を加えれば間違いなく俺がやったとみなされて下手すりゃ明日美ともサヨナラバイバイになってしまうだろうが。

(よーし美月。まずは深呼吸だー。そして落ち着いたら着席ー)

(はっ!?)睨むな睨むな。

「ところで森田くんってさー」

 今は話しかけないでくれ。俺は君らを守っていると言っても過言じゃないんだ。

「明日美のなんなんすか?」

「……え?」

 い、いきなり突拍子もないな。こっちは必死なのに。でも無視もできない問いかけだ。

「何と言われてもな……」

(パフェー!)

(美月ー!)

「本当にただの友達っすか?」

(パフェー!)

「あ、明日美がそう言ってただろ?」

(ぱーふぇー!)

(あ、あとでもう一つ注文するから!)

「明日美はそう言うけどさぁ(本当ですか!?)」

「ほ、ホントホント」

「ふーん(ありがとうございます)」

 よく頑張った俺。で、全然納得してくれていない古川さんと無邪気な笑顔を浮かべる美月。子供と大人をいっぺんに相手しているようだ。

「明日美のこと、どう思ってるんすか?」

 な、なんだこれは。ニタニタ笑うな! 俺の心を見透かさないでくれ!

「ど、どうって、付き合いの長いただの友達だよ」

 くぅ……。自分の口からこんなことを言うハメになるとは。悔しいけれど間違いじゃないんだよなぁ。でも少しだけ、特別だと思ってもいいかな。付き合い長いし。それだけだけど。

 春日さんは俺が尋問されている様を楽しそうに見ていた。女子ってこういう話し好きだよなぁ。

「実は、あっしはそう思ってないんすよねえ」

 身を乗り出し、探偵気取りで組んだ両手に顎を乗せて古川さんは言う。口元にはうすら笑い。

「俺と明日美は互いにそう思ってるからさ」

「お互いに友達だと思っているから一歩を踏み出せない、なんて事もあるんすよねぇ」

 俺の心情はまさにそれだったよ古川さん。

「あっしのカンって、良く当たるんすよね」

 うん、そだね。

「へ、へぇ。でも今回はハズレみたいだね」

 古川さんはつまらなさそうに、だけど少しだけやれやれといった溜息をついた。

「ま、いいんすけどね。お似合いだと思うよ、あっしは」

 その言葉、ありがたく頂戴しておこう。だけど俺は決めたんだ。ただの友達だと思われていたっていい。たった一言、伝えられればいいんだ。

 結局、美月のパフェは古川さんと春日さんによってきれいに食べられてしまった。美月は早く次が食べたいようで「早く食べろ~」と念仏のようにぼやいていた。

 女子二人が先に帰り、一緒に店を出ればよかったと若干後悔しつつ、美月のパフェを注文するべく店員のおねーさんを呼んだ。

「申し訳ありません。本日のオリジナルは全て出てしまいまして……」

 せっかく二人が帰って安心して油断したあとに告げられた驚愕の事実。そういえば明日美が数量限定と言っていたな。早く行かないと売り切れるっぽいことも。メニューにもきちんと書いてある。おねーさんが黙って注文を待っていたので「またあとで」ととりあえず引いてもらった。

「あの……これは一体どういうことなのでしょうか?」

 わ、わかってるんだよな、わかってるんだよな美月。き、気持ちはわかるぞ。楽しみにしてたもんなぁ。怒ってるのか? 顔がよく見えないけれど、怒ってるのかなぁ?

「食べられない、ということなのですね」

「う、うん。まあほら、パフェなら他にも色々あるしさ、今日のところは……あ、あれ?」

 どうにも美月の様子がおかしい。これは、怒っているんじゃなくて……。

「うっ……うぇっ……た、たの、楽しみに……して、たのに……」

 泣いて……る?

 美月は子供のように拗ねた様子でそっぽを向いて大粒の涙をぽろぽろ溢していた。唇はぎゅっと結ばれて嗚咽を漏らしている。スカートを握り締める手も震えていた。

 あー、こういう時はどうすればいいんだ? 誰かマニュアル、マニュアルをくれ。

「お、おい、泣くなって。一応食べられたんだし、今度は違うもんでもどうだ?」

「パフェ……、ひ、ひっく……あ、あのパフェがいいのです…」

 そ、そんなにこだわるもんなのか? パフェなんてどれも大差ないだろう。

「仕方ないだろ? ないもんはないんだから」

「うぅ~~~~~~……」

 な、泣くのか? 大泣きでもしようってのか? 睨まないでくれ、俺にはどうにもできないんだ。

「うわあぁぁあああああああぁぁああぁああぁあぁあああああん!」

 マジ泣きしやがった。子供が大口開けて泣くそれである。

 あれこれ慰めてみたり、頭をよしよし撫でてみたり、変な顔をしたりしてみたが一向に泣き止む様子は見せなかった。美月が人間だったなら美月を連れてそそくさと店を出ているところなんだけどな。

「美月、いい加減に泣き止んでくれよ。仕方ないんだからさあ」

「うわあぁぁあああああああぁぁああぁああぁあぁあああああん!」

 はあ……もういい。元々俺の金なんだし、何でこいつのわがままを聞いてやらなきゃならないんだ。無理矢理奢らせられてるっていうのに。

「そんなに食べたきゃ明日誰かが注文するまで待ってろ! 目を盗んで食べるんだな!」

 俺はさっさと支払いを済ませて店を出た。

 俺について来るしかない美月は外に出ても号泣。歩きながらも号泣。走っても号泣。信号待ちでも号泣。何なんだよお前。

「うわあぁぁあああああああぁぁああぁああぁあぁあああああん!」

 あー……鬱陶しい。

 このままでは夜も眠れないかもしれない危機を感じた俺は、途中でコンビニに寄った。そこでプリンを一つ買い、大口開けて泣いていた美月の口に一口分ぽとっと落とした。

「うわあぁぁあああああああぁぁああぁああぁあっんん!?」

 美月は濡れたままの瞳を大きく見開きつつも、放り込まれたプリンを小さな口をもごもご動かして味わう。小動物のようだ。

「どうだ?」

 そう聞くと、美月はあーん、とまた口を開けた。ピシッという音とともに俺は固まる。だけどちょんちょん背伸びをしながらまだかまだかと待っている様が可愛らしく、ついついもう一口放り込んだ。

「お、おいしいです!」

 両手を頬に当てて目をきらきら輝かせるゴスロリ少女。あとは自分で食べるようにとプリンを持たせ、コンビニの隅で死角を作ってやりそこで食べさせた。満足した美月はプリンの歌を歌いながら俺に足並みを合わせる。

 良く言えば可愛いし、悪く言えば世話のかかるわがままお嬢様だ。でも、笑いながらプリンを頬張る美月を見ると、悪い気はしなかった。



 アパートに帰りつき、さっさと夕食を済ませ、シャワーを浴びることにした。

 今日は朝から笑わされ、走らされ、古川さんに尋問され、肉体的にも精神的にも疲れる一日だった。

 ちょっと熱めのシャワーが気持ち良い。部屋にはエアコンも効かせてあるから、風呂上がりのドリンクは格別なんだろうなっひゃあっ!?

 背中に何かが当たった。後ろに何かいる。何かって、美月しかいない。昨日も風呂についてきたじゃないか。疲れていたせいか思いっきり油断していた。

 振り返ると、確かに美月がいた。そして俺は全速力で前を向き直す。裸だった……。

 小振りだけどふっくらした胸に、白くて線の細い体。お、女の子だ。

「な、何してんだお前!」

「プリンのお礼です。背中、洗ってあげますね」

「いいっ! そんなのいいから部屋に戻ってろ!」

「遠慮なんていいんですよぉ」

 思わず前屈みになった。頭一つ分背の高い俺の首を洗おうと背伸びをしているのか、「うんしょ」と声が聞こえて背中にふにっとした感触が伝わる。そのさきにちっちゃいてんがふたつうぅぅわわっ!

「うわああああっ!」

 美月を見ないようにして振り返り、「きゃっ」無理矢理外に追い出した。

 ダメだダメだダメだ! 俺には明日美がいるんだから。付き合ってはいないけど。うん、死神とはいえ美月も女の子だし、こういうことはいけないのです!

「お礼なんですよー?」

 外から話しかけてきたがシャワーの音で聞こえないことにした。頭を冷やすために冷水シャワー。身震いして温水。お湯を止め、深呼吸を二回繰り返して部屋に戻る。

 もんもんとした夜で、美月を意識しないようにするのがこのあと大変だった。

 その美月はまったく気にした様子など見せず、ガシャンと、

「やりやがったな、美月……」



 泣いた。

 悲しみという感情を感じることで涙が流れるらしい。

 まったく、厄介な感情だ。特に危険な感情であることを推測する。

 自制心も効かず、何を考えているのかわからなかった。

 少し、こちらの世界に馴染んだようだ。

 同時に、少しずつ人間に感化されていく。

 その他、特に大きな変化は見られない。





  



 



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