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世界一の幸運

 寝苦しい、夏の夜だった。

 部屋の電気も消してもう寝ようとしていたとき、アパートの部屋のドアが控え目にノックされた。

 むくり、と起き上がり、枕元の目覚まし時計で時間を見ると、夜中の十二時を回った頃だった。

 俺の友達にこんな時間に訪ねてくる奴なんていない。きっと誰かが部屋を間違えているんだろう。大体、友達なら携帯に連絡してくるはずだしな。

 頭からタオルケットを被り、今一度寝ようと試みる。いまだにノックされ続けているが、諦めて帰ってくれることを待つことにした。インターホンが目につかないのか、近所迷惑を考えてインターホンを鳴らさないのか。どちらにしろ、非常識な時間には変わりない。

 時間にして五分ほど経ったくらいだろうか。その間、休むことなくノックし続けた見知らぬ訪問者はやっと諦めて帰ってくれた――と、思った。

「こんばんは。返事がないので勝手に上がらせてもらいました」

「うおあっ!?」

 えっ? ええっ!?

 突然かけられた声で飛び起きる。「きゃっ」と小さな悲鳴が上がって何かがベッドから転がり落ちた。

 声からすると女の子……って、ええっ!? 誰? っていうか部屋の鍵かけてたよな?

 俺は慌てて部屋の電気を点け、転がり落ちた何かを確認する。

 ……目が合った。

 やはり女の子だ。ベッドから落ちたときに打ったのか、腰をさすりながら俺を恨めしそうに睨みつけていた。部屋の中なのに、何故かブーツを履いたまま。

 軽く混乱して部屋の中を見回す。間違いなく、俺の部屋だ。六畳一間の安アパート。一人暮らし。寝る前に食べたスナック菓子の袋もテーブルに放置されたまま。

 じゃあ、こいつ、何だ……泥棒?

「まったく、女の子に向かって乱暴するとは。死んで後悔して下さい」

 何故俺は不法侵入を果たした女の子に避難されているんだ。文句を言うのはこっちだろう。いやとにかく、状況を理解しないと。知らない女の子がいきなり部屋に現れた。文字通り、突如現れたのだ。部屋の鍵はきちんとかけてあったはずだし。

 その女の子は一言で言えば、ゴスロリの格好をしていた。

 黒いノースリーブのブラウスに細い赤いリボンを巻いて、赤と黒のチェックのミニフレアスカート。黒のニーハイに黒いブーツ。腕には黒いアームグローブもつけていた。全身黒づくめだった。

 髪も染め直したかのような真っ黒で、長い髪が肩からウェーブかかかり胸の辺りに垂れていた。背丈は小柄で同世代かのように見えるが、どこか大人びて見える真っ黒い瞳が印象的だった。やたら整った目鼻立ちで、透き通るような白い肌のせいもあって、人形のような造形美だった。

「えーっと、あのさ、きみ誰?」

 とりあえず、危険はなさそうだった。泥棒ならわざわざ起こすようなことはしないだろうし、どうにも俺に用事があるような言い草だったしな。

 その女の子は体を起こして、

「ピンポンパンポーン♪ おめでとうございます! あなたは人間で初の被験者に選ばれましたぁ!」

 わざとらしい拍手を添えて、笑顔でそんなことを言ってきた。少しだけ、鼻にかかるような可愛らしい声。どうやら俺の質問に答える気はないらしい。

 わーい、気のない喜びを表現してみた。わけわかんないけど、何か喜ばしいことがあったらしい。ただ現状を理解してみれば、そんなことがあるわけがない。こんな夜中に押し掛けてきて、普通に考えれば怪しい限りだろう。こんな女の子じゃなかったら、即警察に通報してる。だけど、俺は今その女の子を夜道に放りだそうと考えている。気が引けるけど、こんな輩はさっさと追い出すに限る。

「じゃ、玄関はあっちだから気をつけて帰るんだよ。お母さんとお父さんが心配しているだろうから、早く帰らないとね。ほら、立った立った」

 女の子の肩を掴んで、玄関に向かって振り向かせた。そのまま半ば強引に押して行く。女の子らしい、華奢な体だった。それならなおさら早く、家に帰さないとな。理由を正当化だ。

「ちょちょちょ、待って下さい。帰るわけにはいかないのです」

「もう夜中だし、明日も学校だし、もう寝るし、帰りなさい」

 抵抗されて、さらに力を込めて押す。改めてブーツのままで部屋に上がり込んでいることが気になったけれど、追い出してしまえばそれでいい。

「し、仕方ないですね」

 女の子がそう言った瞬間「のわっ!」と俺は前のめりに突っ伏した。何が起こったのかわからない。抵抗されていた力が一瞬でなくなって、まるですり抜けたように玄関先に倒れ込んだ。

 頭の上に「?」がいくつも浮かんで、振り返ると女の子が溜息をついて俺を見下ろしていた。入れ替わったようには思えなくて、見間違いじゃなければ、たしかに、体をすり抜けた。いやいや、そんなことがあるわけない。ゆ、夢?

「な、何を……した……?」

 少しだけ危機感を覚えた。威勢は衰え、情けないことに後ずさりまでやってのけてしまう。

「そんなに怯えなくても、物理的に危害を加えるつもりはありません。まずは私の話しを聞いて下さい」

 淡々と言う女の子に俺は頷きだけで返事をした。

「あなたは被験者に選ばれました」

 被験者? さっきそんなことを言っていたな。被験者ってあれだろ、薬なんかの臨床実験でお小遣いもらえます、みたいな。そんなのに応募した覚えはないし、借りに応募していたとしてもこんな時間に訪ねてくるところなんて願い下げだ。

 女の子は俺が黙って聞いていることを快く思っているようで、そのまま続きを話し出した。

「一週間の死の宣告を受け、あなたが死ぬまでの間でどういう行動をするのか。それの観察、報告するために私がやって来ました」

 ……何を言っている。最近流行りの電波女ってやつか? 死の宣告? いきなり押し掛けて来たと思ったらそんな話しかよ。くだらない。新手の宗教勧誘か?

「あなたは一週間後に死にます」

 ……イライライラ。今まで黙って聞いていたけどだんだん腹が立ってきた。人の眠りを妨げておいて、こんなバカげた話しを聞かせて、何がしたいんだ。

「帰ってくれ」

 ただ一言それだけ。俺も我慢の限界だった。布教活動なら昼間にやれってんだ。

 俺の言葉に冷たい目で見下ろす女の子を睨み返して、玄関のドアを指差し強く「帰れ!」と怒鳴った。

 女の子は動こうとはせず、背中に手を回して分厚いレポート用紙の束を取り出した。バッグは持っていないように見えるけど一体どこにしまってあったんだ?

「あなたの名前は森田渉もりたわたる。現在十七歳。家族構成は両親、妹の核家族。現在は親元を離れ県立中央高校に通っています」

 ドクン、心臓が跳ね上がる音が聞こえた。体の熱が上がったかと思えば、すぐに冷めて、悪寒が走る。

「なっ、なん……で……?」

 俺の動揺を嘲笑うかのように、女の子は続ける。

「あなたは毎朝午前七時起床。必ず先に寝ぐせを直し、テレビで占いをチェックして、牛乳をコップ一杯飲みます。それから歯磨きをして制服に着替え、七時四十分頃に家を出ます。朝食は最寄りのコンビニでパンを一つ。それがあなたのおおよその生活習慣です」

 ……何も、言えなかった。家の中での行動なんて、誰にも知られることのない事柄だ。それを的確に言い当てた。知っていると言った方がいいのか。どうして知っているのかなんてもう考えられらなかった。ただただ混乱して、目の前でくすくす笑う女の子を見つめるだけだった。

 おもむろに、女の子が歩み寄ってくる。俺は体がうまく動かず、声も出ない。女の子はそのまま俺に覆いかぶさるように迫り、端正な顔を近づけてきた。

「そして……」

 妖艶な笑みを浮かべ、さらに顔を近づけて囁いた。俺は「あ……う……」と言葉にならない声を上げるだけで、抵抗もできない。こんな状況でも顔が赤くなるほど、その女の子は綺麗で、可愛かった。

 そしてそのまま俺に口づけ……でもしようかとすると、ふわりと体をすり抜けた。

 ぞわぞわと、全身に悪寒が走る。体同士が重なる奇妙な感覚に襲われ、息がつまりそうになる。

「私は人間ではありません」

 頭の中に声が響いた。体の中に電流が走ったような、一瞬の痺れが襲う。

 女の子は俺から離れて立ち上がり、また冷たい目で俺を見下ろした。俺は詰まった息を吐き出すように「ぜぇーっ! はぁーっ!」と呼吸を荒げた。

「納得していただけましたか?」

「な、何を納得……! 誰だ! お前は誰なんだ!」

「いろいろな呼ばれ方がありますが、わかり易く言うと死神といったところでしょうか」

 し、死神? こいつが人間じゃないってことはなんとなく理解できた。わかりたくなくても、否応なしに思い知らされた。あんな感覚、生まれて初めてだ。しかも、こいつが死神ってことは、俺は、俺は本当に……。

「お、俺はし、死ぬのか?」

「そうです」

 死神は背中をまさぐって、銀色の懐中時計を取り出し俺の目の前に突き出した。その蓋を開けて見せる。針は、今の時刻を指していた。

「私はこれを『死までの道のり(ロード)』と呼んでいます。私がこのボタンを押してちょうど百六十八時間後、あなたは死にます」

 そう言って、死神は龍頭部分に指をかけた。その瞬間、本能が危機を感じたのか、俺は飛び起き、ロードを奪いにかかっていた。

 しかしそれは失敗に終わる。さっきと同じように死神の体をすり抜け、勢いでベッドに飛び込んだ。すぐさま振り返ると、目が合った。冷たさだけを感じさせる、無感情な瞳。

「では、押します」

「ま、待っ……!」

 俺が必死に手を伸ばす先で、あっさりとそれは押されてしまった。

 ぐにゃり、世界が歪んだ。視界がゆらゆらと揺れ、全身があらゆる方向から引っ張られているようにピンと張った。でもそれはすぐに収まり、少しの吐き気と目眩だけが残った。

「うっ、うおえっ……」

「わかりますか?」

 死神はまたロードを俺の目の前に突き出した。

 ロードの針は規則正しく進み、盤面の小さな文字盤が『1』を表示していた。

「これは一日目という意味です。この数字が『7』に変わり、短針が二周したとき、それときがあなたの死するときとなるのです」

「う、うおおおおおおおっ!」

 俺は狂ったように拳を振るった。混乱して、ただただ無我夢中でロードを壊そうとしていた。俺の拳は、死神の体もロードもすり抜け、ただ宙を切るだけだった。

「なっ、何なんだよっ! どうして俺なんだっ!」

「ランダムです。あなたは世界一幸運な方ですよ。我々に干渉を許された、世界で唯一の人間なのですから。これは、世界でただあなただ一人だけの体験なのです」

 な、何が世界一の幸運だ。ランダムで実験対象に選ばれて死ぬなんて、世界一の不運じゃないか!

「ゆ、夢だよな? な、なぁっ! 頼むからそう言ってくれっ!」

「あなたが信じようと信じまいと、私はここにいて、そしてロードは動き始めました。これは揺るぎない事実で、あなたが目にしていることも現実なのです」

 その言葉を聞いて、また目眩が襲ってきた。

 俺はそのままベッドに倒れ込んだ。

 微かに残る意識の中で見たものは、死神の、ほんの少しだけ悲しそうな瞳だった。


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