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理の翻訳(ワールド・コンパイル)〜無能職の翻訳士、古代の理を読み取ったら神話レベルの仲間ができたのだが〜  作者: さくらば
2章

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8話前編 亡者の森01

 『亡者の森・東部ルートの異常調査および安全確保。原因を特定し、排除せよ』


 依頼書の文面は、単純なものだった。

 以前は、このルートを商人の馬車が安全に行き来していたという。今は「亡者の森」と呼ばれている。無理に突入した商人たちは、その後森から出てくることはなかった。おそらく、中で亡骸となっているのだろう。理由があるはずだ。理由が分かれば、対処できる。Fランクの依頼なのだから、Fランクの俺にだってできるはず――。

 森の入り口に立ち、カインは一度だけ深呼吸をした。

 

 ――森は、静かすぎた。

 鳥の声がない。虫の音もない。風が梢を揺らす音だけが、遠くから届いてくる。魔物すら、見かけない。おかしい。依頼場所に魔物すらいないなんて。


 葉の重なりが頭上を塞ぎ、昼なのに光があまり届かない。目が慣れるまでは、足元すらおぼつかなかった。腐葉土が歩みの音を吸い込み、自分の足音すら曖昧になっていく。


 嫌な静けさだ、とカインは思った。

 生き物が逃げ出した後の静けさだ。

 それに気づいた時には、もう遅かった。

 影が、動いた。


 視認できなかった。いや、それは正しくない。視認しようとしたが、その瞬間には既に別の場所にいたというのが正しい。黒い何かが木立の間を縫うように走り、カインの周囲を高速で旋回している。一匹……違う。輪郭が掴めないほどの速さで動く影が、複数——。


 頭の片隅に追いやられていた微かな知識が、体の隅々に警鐘を鳴らした。

 双牙影狼。シャドウ・ウルフ。嗅覚と聴覚が人間の数十倍。単体でもDランク冒険者相当の相手だ。それが群れを成している。パーティーを組まなければ太刀打ちできない相手。ソロのFランクではどうにも——。


 「ジョブ補正のない、ただの人間としての限界……か」


 カインは理解した。

 身体能力補正のある戦闘系ジョブ、そのDランク冒険者なら、あの影を目で追えるだろう。だがカインには何もない。魔法もない。ジョブ補正もない。ただ、知識だけはある。その知識が今、はっきりと告げていた——ソロFランクでは、百パーセント死ぬ。


 明らかに、俺のレベルに相応しくない。

 この依頼は、最初から”そういうもの”だったということか?

 もしかして、ジルにだまされた……?

 ジルの顔が、一瞬だけ頭をよぎった。


 だが、そこに思考を使っている余裕などない。今は生き延びることだけを考えろと、強制的に切り替える。


 カインは腰の道具袋から「刺激玉」を取り出し、地面に叩きつけた。

 破裂音と共に、鼻を刺す刺激臭が広がった。嗅覚の鋭い魔物には、これが一時的な混乱を引き起こす。冒険者向けの入門書に載っていた。買っておいて良かった。

 

 カインは、限界の限りに走った。

 方向など関係なかった。ただ、狼の気配から遠ざかる方向へ。腐葉土を踏み、倒木を跨ぎ、枝が顔を叩いても止まらなかった。肺が熱い。足がもつれる。それでも——。

 背後から、何かが風を切る音がした。


 間に合わない……!


 そう思った瞬間、右肩に衝撃が来た。

 骨を貫くような激痛が走り、カインは前のめりに転がった。岩壁に叩きつけられ、沈む。土の冷たさと自分の体温の差を皮膚で感じた。視界が白く点滅する。右肩から温かいものが流れ出している。

 立て、と頭が命じた。だが、体は聞き入れてはくれなかった。

 魔狼の爪音が近づいてくる。カインは歯を食いしばり、左腕だけで体を起こした。右腕が動かない。視界の端に鮮紅が広がっていた。


 右肩の感覚がなくなっていく。代わりに、頭が妙に冷静になっていく。大量出血の時に起きる、死ぬ前の鮮明さだと知識が教えてくれた。役に立たない知識だ、とカインは思った。

 背後は断崖。弧を描くように陣取る魔物。跳躍の体勢に入っている。

 行き場のない身体。なのに、妙に落ち着く思考。


 岩壁に背をつけて、今を見つめる。

 ……ここで死ぬのか。

これ、絶体絶命じゃないですか? 完全死亡ルートですよね?

でも、まあ死なないですよね。死んだら話進まないですし。

後半へ続く。


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