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理の翻訳(ワールド・コンパイル)〜無能職の翻訳士、古代の理を読み取ったら神話レベルの仲間ができたのだが〜  作者: さくらば
2章

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10話 強き竜の願い

 頭頂から尾の先まで、全身を覆う漆黒の鱗。一枚一枚が磨き上げられた鉄のように鈍く輝いて、青白い泉の光を受けるたびに深海の色を帯びる。翼は折りたたまれているが、広げれば洞窟の天井を埋め尽くすだろうと直感でわかった。爪が岩盤を踏むたびに、ひびの走る音がした。

 

 カインの身体は、もう動かなかった。

 

 逃げろ。思うのとは裏腹に、足がそれを受け付けない。生物としての格が、あまりにも違いすぎた。人間と虫ほどの差。いや、それ以上か。

 

 死ぬ。食われる。今すぐここで――。

 ……だが。

 

 竜の目が、カインを見下ろした。

 

 縦に割れた金色の瞳。その奥に渦巻いているものに、カインは気づいた。ただの勘か、それとも翻訳士としての能力か。感情の上っ面を読み取った。

 

 敵意では、なかった。

 憎悪でも、捕食の衝動でも。

 あの瞳の奥にあるのは――焦りだ。何かを求めて、けれど届かなくて、持て余しているような。

 ……なんだ、これ。


 二度目の咆哮が来た。

 

「グォォォ――ッ!!」

 

 今度は覚悟していたぶん、カインは耳を塞ぎながらも意識を手放さなかった。音の洪水の中で、翻訳士の本能が――何かを探し始めた。

 

 これは音じゃない。

 音の形をした、別の何かだ。

 

 言葉を長年扱ってきた翻訳士だけが持つ感覚。文字や声の奥にある、本来の意味を探る本能が、勝手に動き始めていた。咆哮をバラバラに分解して、再構築して、ノイズを削ぎ落として――。

 

 ……た……す……け……。

 

「――え?」

 

 た・す・け・て。

 

 カインの背筋が、ぞくりとした。

 恐怖などではない。もっと純粋なもののように思えた。頭の中で、ノイズが薄れていく。音の層が剥がれていく。そして――。

 

 言葉が、聞こえた。

 竜の思念が、そのままカインの脳内で言語として像を結んだ瞬間、カインは自分の中で能力が拡張されるのを感じた。

 

 生命の発する意志そのものを、翻訳できる。それは、平たくいえば、通訳と呼べるものだった。

 俺には、これができる。

 

 震える膝を叱り飛ばして、カインは立ち上がった。目の前の漆黒の巨体から視線を逸らさず、耳を――いや、脳の全てを、竜の思念へと開く。

 

「……助けを求めているのか?」

 

 咆哮が、止まった。

 竜の金色の瞳が、細くなった。驚いているのだと、今なら読める。

 

 沈黙が数拍続いて、やがて洞窟に声が満ちた。今度は音波ではなく、直接頭の中に流れ込んでくるような声で。

 

「……ヒトの子。なぜ我の言葉がわかる?」

 

「俺が聞きたいくらいです」とカインは言った。声が少し裏返ったが仕方ない。


 「助けを求めてましたよね。何を助けてほしいんですか」

 

 また沈黙。

 竜は低く、うなるような声を漏らした。何かをためらっているのが、思念の揺れから伝わってくる。自信家の何かが、口にするのを渋っている。

 

 やがて。

 

 

「……腹、減ったぁ!! 食べ物をくれー!!」


 

 カインは数秒、固まった。

 

「…………は?」

 

 抜けた声が、小さく溢れた。

 腹が、減った?

 

「ぬ? やはり聞こえなかったか? 腹がぁ! 減ったぁ! ……おい、わかるか?」

「ええ、わかります」

「何も食べておらぬのだ! 千年もじゃぞ!? 結界のせいで外に出られぬし、洞窟には獲物もおらぬし! ああもう! 食べ物! 食べ物! 食べ物ぉ!」

 

 言葉に詰まった。

 

 国家規模の軍勢を相手取れる災厄。王国所有の古書に幾度も「人類の天敵」として記されたとされる漆黒竜が、餓死の危機に瀕して助けを求めていた。自分に。しかも、駄々をこねる子供のように。

 

「……食べ物」

「そうじゃ食べ物じゃ!」

 

 カインは荷物袋に手を突っ込んだ。ふやけた干し肉が二切れと、パン二個。これが全財産だ。

 差し出すと、竜は鼻先でそれを確かめて、沈黙した。

 

「……これは」

「俺の全食糧です」

 

 口の大きさに合わぬ極小の欠片(食べもの)を、チョンと摘んで放り込む。すぐに飲み込むのを躊躇い、一応の噛み砕く仕草をして、何とか味わおうと試みているようだ。

 

「……歯に詰まる」

「わかってます」

「これだけか」

「これだけです」

 

 竜のため息が、洞窟に満ちた。人間のため息とは比べ物にならない風量で、カインの前髪がまとめて吹き飛んだ。

 

「外に出て獲物を捕ってこい」

「無理です」

「なぜじゃ」

「外にはシャドウウルフがいるんです。さっき群れに突っ込んで瀕死になったばかりです」

 

 竜の金色の目が、カインの頭頂から爪先までをゆっくりと眺め下ろした。俯瞰というより、観察する眼差しだ。値踏みするような、それでいてどこか呆れたような。

 

「……お主、ヒト族の中でも最底辺なのか?」

「……ええ、まあ否定はしないですけど」

 

 ここでいう底辺は、冒険者としての位置だ。人としての底辺を問われたわけではない。そう言い聞かせ、カインは質問を受け止めた。

 

「シャドウウルフのう……。そんなヘタレ犬っコロと戦って瀕死になるとは、今までどうやって生きてきたんじゃ」

「翻訳士なんで戦闘は専門外ですし」

「ほんやく、し?」

「文字とか言語を扱う仕事です。戦えません。剣も魔法も人並み以下です」

 

 竜はしばらく黙った。理解しようとしているのか、呆れ果てているのかは、さすがに読み取れなかった。

 

「……それで我の言葉がわかるのか」

「たぶん、そういうことになります」

 

 また沈黙。

 カインも黙って、巨大な漆黒の竜を見上げた。この距離で冷静に観察すると、鱗の黒に微細な模様が走っているのが見えた。まるで夜空の星座のように、見る角度によって光の筋が変わる。恐ろしいほど美しかった。

 

「竜……だよな」

 

 独り言のつもりだったが、竜の耳には届いたらしい。すっと首が持ち上がり、威厳を取り戻した声が洞窟に響いた。

 

「我のなりを見て、それ以外の何に見えるというのだ?」

 

 やはり、そうだった。竜――この大地で最強の魔獣の一種。

 例えば、炎竜ファイアドラゴン氷竜ブリザードラゴン。十数年前にも、王国に炎竜が出現したという記録がある。1匹で小さな町を壊滅寸前に追い込んだのだとか。遅れて到着したAランク冒険者パーティーによって討伐されたが――。

 

「あなたは、炎竜クラスの竜――最強竜の一種と見ました。私なんかに頼る意味がわかりません」

 

 カインの言葉が気に食わなかったのだろう。明らかに不貞腐れている。食べ物の恨みは怖いというが、見ず知らずのヒトに餌とりを頼んで、断られたら機嫌が悪くなるなど、我儘にも程がある。

 

 本来は恐怖の対象であるはずの竜だが、今のカインにはその類の感情は湧いてこなかった。むしろ、会話を介して、竜の性格が少しずつ垣間見えてきた気がしていた。

 

 しかし――竜の答えに、本能の中に眠る恐怖が逆流してきた。そんな気がした。

 

「……炎竜? あんな雑魚と一緒にされては気分が悪い」

 

 雑魚? 今、炎竜のクラスを雑魚扱いしたのか。いや、そのレベルの竜など、この世には……まさか――。

 

「我は――漆黒竜アビスガルドであるぞ」

 

 古書の記述が脳裏に蘇る。


 あらゆる国家戦力を以てしても討伐困難とされるSランク以上の脅威。神話の時代に伝説の勇者と死闘を繰り広げ、どこかの洞窟の奥深くに封印されたとされる、地上最大の「災厄」漆黒竜アビスガルド。

 

「アビスガルド……」

「そう、アビスガルドじゃ」

 

 その存在が今、腹を空かせて、干し肉とパンを、未だ口の中で転がしている。あまりにシュールな光景だ。

 しばし眺めていると、先ほど逆流してきた恐怖という感情は、すっかり腹の中に収まっていた。

 

「……ネロ」

「あ?」

「あ、いえ、アビスガルドって呼びづらいので。古代語で黒を表す『ネロ』って呼んでも良いですか?」

 

 竜は一瞬きょとんとした顔をした。金色の瞳が丸くなると、どこか小動物めいた雰囲気が滲む。

 

「……それで呼ぶつもりか」

「ダメですか」

 

 しばらく待った。ネロが口の中で転がしていた干し肉とパンを、胃の中に収めた。

 

「……まあ、よい」

「ありがとうございます」

「礼などどうでもいい。腹が減ってるんじゃ。さっさととってこい」

 

 ネロは残っていた最後のパンを、器用につまみ取り、今度はあっさりと飲み込んだ。そして再び、ため息をついた。今度の風量は少し控えめだった。

 

「……足りん」

「わかってます」

「本当に最底辺なのじゃな、お主は」

「ええ、まあ」

 

 カインは洞窟の壁に背をもたせかけて、漆黒の巨体を見上げた。翻訳士としての能力が通訳のコツをつかんできたようで、ネロの思念の波は、だいぶ安定してきていた。空腹は変わらないが、焦燥の色が薄れている。

 

 泉の水が、指先に触れていた。青白い光が、ふたつの影を柔らかく包んでいた。

 これがどこへ向かうのか、カインにはまだ何もわからなかった。

 ただ、この洞窟の底に、自分が理解できる言葉を持つ存在がいる。

 それだけが、今は確かだった。

翻訳とは、意図を読み取ること。

それは文字からだけではない。音に意図があるのなら、竜の発する意図も理解できる。

というわけで、通訳という力の発見に至ったわけですけど。

この能力は、今後別のところでも生きてきそうですね!


あー、いろいろ考えていたら腹が…減った……!


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