9話 生還に灯る静かな怒火
最初に届いたのは、音だった。
地の底から這い上がってくるような、低くくぐもった振動。それが鼓膜ではなく、骨の芯から伝わってくる感覚に、カインは泥の底から引き上げられるように意識を取り戻した。
……ここは?
目を開けると、視界に飛び込んできたのは淡く青白い光だった。天井から、壁から、水面から――光の出所がどこなのか判断できないほど、その輝きは空間全体に溶け込んでいる。息を吸えば、土と水と、鉱物が長い年月をかけて熟成させたような冷たく澄んだ香りが、肺の奥まで満ちていく。
カインはゆっくりと身体を起こし――そこで動きが止まった。
右肩が……動く?
シャドウウルフの爪に抉られ、骨まで達していたはずの傷。右肩を、おそるおそる触れてみる。服の破れた箇所に指が触れる。その下の肌は、滑らかだった。傷の痕さえない。
「……俺、死んだのか?」
思わず漏れた声が、洞窟の壁に吸い込まれて消えた。こんなに穏やかなら天国もわるくないと一瞬本気で思ったが、ひんやりとした岩盤の感触と、全身に染み込む筋肉痛がそれを否定する。生きている。確かに、生きていた。
傍らの地下泉に手を浸すと、水が指の間を通り抜けた。温かくも冷たくもない、体温と境界のないような不思議な水温。触れた瞬間、身体の奥底まで何かが満たされていくような感覚があって、カインは懐かしい気持ちになった。まるで、ずっと渇いていたものが初めて潤うような――。
この泉が、俺を助けた?
根拠はない。だが、確信だけがあった。
水面に浮かんでいる紙切れを拾い上げる。ぐしょぐしょに濡れた依頼書。滲んだインクの向こうに、かすかに読み取れる文字列。カインはそれを指でなぞり、唇の端を歪めた。
やはり、そうだったのか……。
本来の難易度を示す刻印――Cランク。「彼ら」にとっては日常の風景。だが、カインにとっては、遥か高みにあって拝むことすら叶わない。どう足掻いても、Fランクソロ冒険者が達成できる依頼ではない。それは明白だ。
依頼は、ひとつ下のランクのものまで受けられる。彼らはBランクだが、Cランクの依頼までは受理できるルールなのだ。そして、彼らは受理した依頼書を偽造し、自分を焚きつけて送り込んだ。最悪、死なせる意図をもって。そうとしか考えられない。
ジル。バンズ。いつから、そんな人間になってしまったのか。そしてパーティの連中も、それに従う……。
怒りは熱くない。静かに、腹の底に沈殿していく類のものだった。生き延びたら、必ず清算する。その感情だけをきちんと折り畳んで、カインは立ち上がろうとした。
その瞬間、洞窟全体が揺れた。
「グォォォォォォォォ――ッ!!!」
鼓膜が死ぬかと思った。
音というより衝撃波だ。圧縮された空気が壁として迫ってくる。カインは咄嗟に耳を塞いだが焼け石に水で、視界が揺らぎ、膝が笑い、そのまま岩盤に尻もちをついた。
暗闇の奥に、それはいた。
闇が生物と化したような、輪郭のない黒がうねる。だが一歩、また一歩と近づくにつれて、輪郭が生まれた。鱗が光を孕み、全貌が視野に収まりきらなくなっていく。
それは、巨大な竜だった。
ジル・バンズ。彼らは幼馴染だ。
彼らの本心は、いったいどこにあるのか。
自分たちの策略により、カインが死んだとしても、そこに後悔はないのだろうか……。
評価・ブクマ、よろしくお願いします!




