1話 埃被りの無用者
無能・無用・役立たずのジョブ「翻訳士」。翻訳士カインが、長年の夢である冒険者を目指します。
「カイン、君は今日をもってクビだ! さっさと出て行きたまえ、雇い主に吠える無能な愚か者めが!」
分厚い古書が、カインの足元へと無造作に投げ捨てられた。重く鈍い音が、カビと埃の匂いが立ち込める薄暗い書物庫に響き渡る。
乱雑に切り揃えられた黒髪の隙間から、どこか育ちの良さを感じさせる繊細な顔立ちが覗く。しかし、その瞳に宿っているのは、積み重なった長年の不遇から生まれる静かな諦念だった。
「……エドラムさん、あなたの解釈は間違ってます!この文献に記されているのは、単なる『先人が不作で嘆いている話』なんかじゃない。昔の人々は、文脈の端々に、本心を隠しているんだ。今までの解釈法では、真の歴史は分からずじまいですよ! これは……大地を枯らすほどの『呪い』を表しているんです!言葉の裏に、恐ろしい景色が見えるんです」
カインの必死の訴えに、雇い主である禿頭に眼鏡をかけた歴史学者エドラムは、鼻で笑って腹を揺らした。
「は? 口を開けばいつもそれだな。景色が見えるだと? 馬鹿馬鹿しい。書かれていることが全てだ。それ以上も以下でもない!そんなトンデモ意訳を私の名で出せるわけないだろう! 私の価値を奈落に落とす気か! まったく……、庶民翻訳士が無能なのは知ってるが、特に君は無能の極みだよ!」
それに比べ、自身は貴族の翻訳士だから別格、と言わんばかりに胸を張る。
彼の翻訳能力は、カインと比べると断然劣る。翻訳は遅いうえ、しかもところどころミスが目立つ。カインは心の中で呟いた。
コネで、他の貴族から翻訳の仕事を貰っているだけのくせに……。そうは思っても、その大事なコネが自分にはないわけで、生まれた環境も実力として割り切るしかなかった。
「ほら、何をぼさっとしているんだ。クビだと言っただろうが」
もうこれ以上、彼に何を言おうとも、取り合ってもらえないだろう。
古代の言葉は理解できるのに、現代語で対峙している互いの言葉はこれほどにすれ違うなんて、なんとも笑える。
カインは小さく息を吐き、足元の古書を撫でて棚に戻した。今までのお礼と、永遠の別れを告げるかのように。そして、静かに頭を下げて部屋を出た。
――。
建物の外に出ると、突き刺さるような陽光に思わず目を細めた。
――18歳。本来ならば、夢と希望に満ち溢れ、自身の限界へと挑む年齢だ。だが、カインの現実は路頭に迷う無職の青年。
カインが神から授かった『翻訳士』というジョブは、この世界において圧倒的なまでの「ハズレ」だ 。
なぜなら、およそ三百年前にはすでに世界言語が統一されてしまっているからだ 。 翻訳スキルなどというものは、今や埃を被った図書館の奥底で、先祖たちの他愛もない愚痴や使い古された常識を掘り返すだけのものにすぎない 。
農家スキルもなければ、狩りスキルもない。育った村でも、無能扱いされる始末。生活していくうえで何の恩恵もない「無用ジョブ」なのだから当然だ。
それが、カインの背負わされた運命だった。
そんなカインも、かつては世界一の冒険者になるという壮大な夢をもっていた。今も忘れたわけではない……が、無能無用役立たずなうえ、非戦闘系。冒険者どころか、冒険者ギルドの門すらくぐれないときた。門前払いというやつだ。
そして現在、夢を描く以前に、日銭を稼ぐための古書解読すらクビになる始末。
翻訳士を雇いたいという貴族など、早々に見つかるわけなく、改めてエドラムのところでの仕事を解雇されたのは痛かった。
唐突に貴族の屋敷を訪問したところで、得体の知れない庶民など取り合ってもらえない。だから、翻訳士の仕事を斡旋してくれる者たちを頼る。だが――エドラムは相当はらわたが煮え繰り返っていたのだろう。カインに翻訳士の仕事をさせないよう、あらゆる場所に手を回していた。
頼りにしていた斡旋者は、「すまないね」の一言だけ残し、カインを突き放した。どれだけ頼み込んでも、相手にすらしてもらえない。
翻訳士は、斡旋者の繋がりが最大の要と言える。カインの雇用のアテは、全てなくなった。
村に帰ったところで、自分ができる仕事などない。農家ジョブでもなければ、狩人ジョブでもない。翻訳士など、村では役立たず扱いだ。なら、別の街へ移動すれば……。
いや、旅の資金は工面できても、他の街で仕事に就く前には、無一文になってしまう。それに、カインの悪評は、すぐさま同業者間に浸透するだろう。近隣の街でも仕事に就ける可能性は低い。まさに詰んでいた。
「世渡り下手だよなあ……俺。余計なことをしないで、言われたことだけやっておけばいいものを……はあ……」
なけなしの金貨が入った革袋を揺らしながら、ため息交じりに大通りへと足を踏み入れた。
「……これから、どうするかな」
その時だった。
『ウオォォォォッ!!』
『すげえぞ! 雷光の騎士団の凱旋だ!!』
鼓膜を突き破らんばかりの歓声が、街中を震わせた。大通りの両脇には、身動きが取れないほどの人だかりができている。
人々が熱狂の眼差しを向ける先――そこには、討伐した巨大な魔物の素材を引く馬車がゆっくりと進んでいた。
その馬車の上に立ち、ふんぞり返るようにして群衆を見下ろしている大柄な青年。派手な金髪を完璧なオールバックに固め、鋭い瞳で周囲を見渡し、自身の姿を見せつけている。
彼の名前はジル。カインと同じ18歳にして、重量級の大剣を扱う『重剣士系』のジョブを持つBランク冒険者だ。
彼の周りには、黒魔道士や治癒士など、彼らと共にしているパーティーメンバーがずらり。彼らが、これみよがしと胸を張り、手を振る。その中で特に目立つ者がいた。ジルの隣で、ツンツンと尖ったバサバサの髪を揺らす小柄な青年――バンズである。
「ヒャハハ! 見たか! これが僕ちんたちの親分、ジルさんの力っすよ! そこらのザコ冒険者とは格が違うんすからね!」
バンズは「シーフ」のジョブを持つ冒険者で、ジルの腰巾着だ。強いものに取り入り、他人の威光を借りてふんぞり返るその姿は、昔から何ひとつ変わっていない。
カインは群衆の最後尾から、背伸びをしてその光景を見つめていた。
歓声に包まれるBランク冒険者は、威厳の光を放っている。その光は、無用無職のカインに影を落とした。
おもわず、カインの口から「はは……」と、自嘲気味な笑いが漏れる。ジルとバンズ、彼らはカインの故郷の幼馴染だった。
かつてカインが『神童』と呼ばれていた頃、ジルはいつもカインに勝てず、短髪を泥だらけにして悔しがっていた。バンズに至っては、カインの腰巾着になろうと必死に擦り寄ってきていたのだ。
それが今や、彼らは冒険者として光を浴び、カインは底辺で路頭に迷っている。
「……冗談じゃない」
カインは無意識に、古い羊皮紙の匂いが染み付いた両手を強く握り締めていた。
失うものなど、もう何もない。こんな底辺で終わって堪るものか。
遠ざかる彼らの背中を睨みつけながら、カインの脳裏に、あの日――自身の運命が狂い始めた、遠い過去の記憶が蘇ってきた。
そう、あれはカインたちがまだ幼かった頃。
ティム村の広場で、カインがジルを圧倒し、「神童」として一番の輝きを放っていた、あの夏の日の記憶だ――。
使えねえーとか、役立たずとか、俺のいう事だけ聞いてりゃいいんだとか、散々エドラムにパワハラされてきたんでしょうね。可哀そうなカイン!
かつては、神童って言われ、ちやほやされていたのに……。
でも、大丈夫! そのうち見返すことになるから!
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