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断罪された悪役令嬢ですが、恋を病気として治療される世界が間違っていると思います 〜愛するほど壊されるなら、私は悪役のままでいい〜  作者: はねださら


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第3話 消えたはずの感情

 目を覚ましてから、どれくらい時間が経ったのだろう。


 天井の白が、やけに眩しかった。

 同時に、胸の奥がひどく静かだ。


 ――静かすぎる。


 アリアはゆっくりと身体を起こした。

 めまいはない。痛みもない。


 ただ、心だけが、どこか遠い。


「……起きていますか」


 控えめな声に振り向くと、ユリウスが立っていた。

 白衣の袖を、無意識に握りしめている。


「はい」


 声は、驚くほど落ち着いていた。


 自分の声なのに、少し他人事のように聞こえる。


「気分はどうですか」


 定型文のような問い。


 アリアは、少し考えた。


「……穏やかです」


 嘘ではなかった。


 昨夜まで胸を満たしていたざわめきは、嘘のように消えている。

 怒りも、不安も、恐怖も。


 あまりにも、きれいに。


 ユリウスはほっとしたように息をついた。

 だが、その表情の奥に、微かな翳りが残っている。


「それは良い兆候です。

 感情の過剰反応が抑えられています」


「……過剰、ですか」


 その言葉に、なぜか引っかかりを覚えた。


 過剰だったのだろうか。

 自分が感じていたものは。


「ええ。

 特に、強い執着や……」


 ユリウスは言葉を選び、視線を伏せる。


「特定の人物への感情は、治療の妨げになります」


 ――ああ。


 その瞬間、アリアの脳裏に、一つの顔が浮かんだ。


 金色の髪。

 蒼い瞳。

 穏やかに微笑む横顔。


 ……誰?


 胸が、少しだけ、ちくりと痛んだ。


「……先生」


 アリアは、慎重に口を開いた。


「私には……好きだった人が、いた気がします」


 ユリウスの手が、ぴたりと止まる。


 ほんの一瞬。

 それでも、見逃せないほどの沈黙。


「“いた気がする”……?」


「はい」


 不思議だ。

 確信はないのに、言葉にすると、胸がざわつく。


「名前も、顔も、はっきり思い出せません。

 でも……」


 言葉を探す。


「その人の前では、ちゃんと笑っていた気がするんです」


 ユリウスは、ゆっくりと瞬きをした。


「それは……治療の影響です」


 即答だった。


「初期段階では、感情の記憶だけが先に薄れることがあります。

 珍しいことではありません」


 そう、説明する声は落ち着いている。


 けれど。


 彼の視線は、アリアの顔をまっすぐ見ていなかった。


「……そうですか」


 納得しようとする自分と、

 納得してはいけない気がする自分が、静かにせめぎ合う。


 ――思い出せないのに、忘れたくない。


 そんな矛盾した感覚。


「今日は、軽い行動制限テストを行います」


 ユリウスは話題を切り替えた。


「院内を少し歩いてみましょう」


 廊下に出ると、相変わらず白一色の世界が広がっていた。

 すれ違う患者たちは、皆、穏やかな表情をしている。


 微笑み。

 丁寧な所作。

 波風の立たない振る舞い。


 ――理想的だわ。


 そう思った瞬間、胸の奥が冷えた。


 理想、とは何だろう。


「こんにちは」


 通りすがりの令嬢が、丁寧に頭を下げる。


「こんにちは」


 アリアも、自然に返す。


 以前なら、少しだけ距離を測っていただろう。

 けれど今は、何も感じない。


 それが、正しいのだと、頭では分かる。


「……違和感はありませんか」


 ユリウスが、慎重に尋ねた。


「いいえ」


 答えながら、アリアは自分の胸に手を当てた。


 心臓は、規則正しく動いている。

 けれど、鼓動に感情が乗ってこない。


「むしろ……楽です」


 ぽつりと、そう漏らしてしまった。


 ユリウスが、はっと息を詰める。


「それは……」


 言いかけて、言葉を飲み込む。


 彼は医師だ。

 この反応を、成功と呼ぶべき立場だ。


「……良い傾向です」


 そう言った彼の声は、どこか硬かった。


 部屋に戻る途中、アリアはふと、廊下の奥に視線を向けた。


 封鎖された扉。

 他よりも古く、傷のついた扉。


「……あそこは?」


 ユリウスの足が止まる。


「使用されていない病室です」


 短い答え。


 それ以上、近づかせないように、さりげなく進路を変える。


 ――本当に?


 胸の奥で、何かが小さく波打った。


 部屋に戻ると、机の上に一通の書類が置かれていた。


「これは?」


「経過記録です。

 今日の治療内容が記されています」


 紙に目を落とす。


 整った文字で、淡々と書かれた内容。


 《感情反応:安定》

 《対象人物への執着:低下》


 対象人物。


 名前は、書かれていない。


 アリアは、しばらくその文字を見つめていた。


 低下しているはずなのに。

 消えているはずなのに。


 なぜだろう。


 その“対象人物”を、

 もう一度だけ、見てみたいと思ってしまった。


「……先生」


 小さく呼ぶ。


「はい」


「もし……治療が進めば」


 言葉を選ぶ。


「私は、何も感じなくなりますか?」


 ユリウスは、すぐに答えなかった。


 長い沈黙のあと、ようやく口を開く。


「……必要な感情だけが残ります」


 必要な感情。


 それは、誰が決めるのだろう。


「安心してください」


 彼は、無理に微笑んだ。


「あなたは、正しくなります」


 その言葉を聞いた瞬間。


 アリアの胸の奥で、

 小さく、確かに、何かが拒絶した。


 理由は分からない。

 感情の名前も分からない。


 それでも。


 ――正しくならなくても、よかった気がする。


 そんな考えが浮かんだことに、

 アリア自身が、一番驚いていた。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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