第21話 正しさが止まる音
最初に気づいたのは、国王ではなかった。
「……今月の断罪治療件数は?」
王宮書記官の問いに、
集計官が一瞬、言葉を詰まらせた。
「……零、でございます」
会議室に、
小さな沈黙が落ちる。
誰も声を荒げない。
だが、全員が同じことを思った。
――あり得ない。
断罪治療は、
制度として完成している。
感情は必ず歪み、
歪みは必ず可視化され、
そして“治される”。
それが、この国の秩序だった。
「……前月は?」
「一件です」
「前々月は」
「二件」
数字が、
確実に減っている。
そして、今月は――零。
会議の末席に座っていた
レオンハルト・ヴァルツは、
その数字を聞きながら、胸の奥が冷えるのを感じていた。
止まった。
理由もなく、
制度が止まるはずがない。
「治療院側の報告は?」
国王が、低く問う。
書記官が、資料をめくる。
「定例報告のみです。
新規候補の確定、なし」
「……候補が“いない”?」
神官長が、眉をひそめた。
「そんなはずはない。
人が生きている限り、
感情は必ず乱れる」
それは、
この制度を支えてきた前提だった。
「……例外は?」
国王の問いに、
書記官が一人の名を読み上げる。
「患者番号三二七号。
治療継続中」
その瞬間、
レオンハルトの指が、ぴくりと動いた。
三二七号。
――アリア。
「継続?」
第一王子が、淡々と口を挟む。
「完了ではないのか」
「はい。
最終段階にありながら、
完了判定が下りておりません」
異常だ。
完了判定が出ない治療など、
前例がない。
「……理由は」
「特記事項は、
“感情残留の疑い”とだけ」
会議室の空気が、
わずかに軋んだ。
感情残留。
それは、
制度にとって最も不都合な言葉だ。
「……王子」
国王が、レオンハルトを見た。
「三二七号は、
お前が関与した案件だったな」
視線が、集まる。
逃げ場はない。
「……はい」
レオンハルトは、はっきりと答えた。
「断罪と治療の判断は、
私が行いました」
正しい判断だった。
そう、信じてきた。
「治療が、
止まる原因になっていると?」
第一王子の声は、
責める調子ではない。
ただ、事実確認。
「……分かりません」
レオンハルトは、正直に言った。
「ですが」
一拍置く。
「彼女は、
制度を拒んではいません」
拒否していない。
だが、従ってもいない。
その中間。
制度が想定していない場所。
「……なるほど」
第一王子は、
ゆっくりと頷いた。
「つまり」
視線を、会議室全体に巡らせる。
「治療院に、
“異物”が残っている」
その言葉に、
神官長が頷く。
「排除すべきです」
即断だった。
「感情を持ったまま残る者は、
秩序を乱します」
その言葉は、
かつてレオンハルト自身が
信じていた理屈だった。
だが今。
胸の奥が、
小さく、強く痛む。
「……一つ、確認を」
レオンハルトは、
慎重に言葉を選んだ。
「もし、その異物を排除した場合」
視線を上げる。
「制度は、
元に戻るのですか」
沈黙。
誰も、即答できなかった。
「……理論上は」
第一王子が、答える。
「だが、
実証はされていない」
レオンハルトは、理解した。
壊れたのは、
一人の患者ではない。
前提そのものだ。
「……では」
国王が、決断を下す。
「三二七号を、
王宮で直接確認する」
それは、
呼び出しだった。
治療院から、
王宮へ。
正式な場へ。
裁きの場へ。
会議が、終わる。
人々が立ち上がる中、
レオンハルトは、席を立てずにいた。
三二七号。
アリア。
感情を持ったまま、
正しさの中に立ち続ける存在。
「……俺は」
呟きが、
喉の奥で止まる。
守るべきは、
制度か。
それとも。
あのとき、
“私として見てほしい”と
願った一人の人間か。
答えは、まだ出ない。
だが、
確実に言えることが一つあった。
――この先、
誰かが壊れる。
それが誰かを、
選ばなければならない地点に、
彼は立っていた。
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