第20話 共犯
治療院は、止まっていた。
正確に言えば、
いつも通り動いているのに、何も進んでいなかった。
新規患者、なし。
番号の更新、なし。
治療完了者、なし。
それは異常だった。
この施設は、
常に誰かを“正しく”してきた。
感情を削り、
順番を回し、
社会を安定させる。
止まるはずがない。
――三二七号が、居座るまでは。
記録官セラフィーナは、
書類の山を前に、ペンを止めていた。
患者番号欄が、空白のまま。
「……次が、来ない」
独り言が、書庫に落ちる。
これまでなら、
感情変調の報告は途切れなかった。
だが今は、
どの候補も“決定打”を欠いている。
理由は、分かっている。
順番が、詰まっている。
三二七号。
治療完了に至らず、
それでいて排除もされない患者。
制度は、
彼女を想定していない。
「……どうして」
セラフィーナの指が、
古い記録に触れる。
マルグリット。
二九五号。
治療完了。
移送済。
感情:消失。
それが、正解だったはずだ。
なのに。
胸の奥が、
小さく、痛んだ。
――もし。
もし、あの人も、
三二七号のように
“止まっていられたら”。
考えかけて、
セラフィーナは首を振る。
不要な思考だ。
……不要なはずだ。
一方、
診察室では。
ユリウスが、
新しい治療計画書を破棄していた。
紙を、
一枚、また一枚。
「……制度は、止められない」
それは、
彼が長年信じてきた前提だ。
だが。
止まっている。
理由は、単純だった。
「患者が、
治ろうとしない」
いや、違う。
「治ったふりを、
し続けている」
そして、
感情を、手放さない。
こんな症例は、存在しない。
存在してはならない。
「……君は」
ユリウスは、
診察室の奥を見やる。
そこに、アリアがいた。
窓辺に立ち、
外を見ている。
表情は、穏やかだ。
だが、その内側にあるものを、
ユリウスは知っている。
「……本当に、
これでいいのか」
医師としてではない問い。
共犯としての、問い。
アリアは、振り返らなかった。
「いいかどうかは、
分かりません」
正直な答え。
「でも」
一拍置く。
「必要です」
それだけだった。
ユリウスは、
それ以上、何も言えなかった。
彼は、
すでに越えている。
患者を救う側ではなく、
制度を壊す側へ。
同じ頃。
王宮では、
レオンハルト・ヴァルツが
違和感を覚えていた。
「……治療院から、
新しい報告が来ていない?」
侍従が、首を振る。
「ここ数日、
定例報告のみでございます」
それは、異常だ。
断罪治療は、
常に“成果”を出す。
誰かが治り、
誰かが消え、
秩序が保たれる。
「……三二七号は」
思わず、口に出る。
侍従が、一瞬ためらい、答えた。
「……継続観察中、と」
継続。
その言葉に、
レオンハルトの胸が、ざわつく。
治療は、
終わるものだ。
終わらなければ、
意味がない。
――それなのに。
彼は、机の引き出しから
一通の古いメモを取り出す。
「私」として見てほしい。
あの文字。
あの問い。
「……まだ、
そこにいるのか」
呟きは、
誰にも届かない。
だが、
確実に、亀裂は走った。
夜。
治療院の中庭で。
アリアは、一人、
空を見上げていた。
星は、変わらず輝いている。
世界は、
何も変わっていないように見える。
けれど。
順番は、止まった。
誰も、
次に呼ばれない。
「……これで」
小さく、息を吐く。
「第一段階、
完了ですね」
背後で、
ユリウスが頷いた。
「……ああ」
それは、
勝利ではない。
だが、
確実な一歩だった。
「先生」
アリアは、振り返る。
「これから、
もっと多くの人が
疑問を持ちます」
「だろうな」
「正しさが、
疑われ始める」
それが、
一番危険だ。
「……覚悟は」
「あります」
即答。
「私は、
悪役令嬢ですから」
役割を知ったまま、
立ち続ける存在。
共犯者として。
制度の中の異物として。
「……次は」
ユリウスが、低く言う。
「世界そのもの、だな」
アリアは、夜空を見上げたまま、
静かに答えた。
「はい」
恋を病と呼ぶ世界。
正しさで人を裁く世界。
「次は、
それを選んだ人たちの番です」
風が、
治療院の庭を抜けていく。
鐘は、鳴らない。
だが、確かに。
世界は、動き始めていた。
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