第18話 次は、あの子
その診断は、静かに下された。
「――情動変調、進行確認」
記録官セラフィーナの声は、
いつも通り抑揚がない。
診察台の上で、
エリナ・リュミエールは、両手を膝の上に置いたまま座っていた。
「重度ではありません」
それは、安心させるための前置きだ。
「ですが、
特定対象への感情集中が見られます」
エリナは、視線を落とした。
分かっている。
否定できない。
「……それは」
声が、少し震える。
「治療が、必要なほどでしょうか」
セラフィーナは、即答しなかった。
一瞬だけ、
アリアの姿が脳裏をよぎったからだ。
あの穏やかな視線。
あの質問。
――幸せですか?
「……段階的観察を、
推奨します」
その言葉は、
公式文書では、こう記される。
《候補》
エリナは、ほっと息をついた。
まだ、断罪ではない。
まだ、治療ではない。
「ありがとうございます」
そう言って、立ち上がる。
その背中を見送りながら、
セラフィーナは、記録用紙に番号を書き入れた。
三二八号
小さな文字。
だが、それは確実な一線だった。
一方、その廊下の先で。
アリアは、柱の陰に立っていた。
立ち聞きではない。
聞こえてしまう距離だっただけだ。
診察室の扉が開き、
エリナが出てくる。
「……アリア様?」
目が合う。
一瞬、
エリナの顔に安堵が浮かんだ。
「お会いできて、よかった……」
その声に、
もう“前兆”ははっきりと混じっている。
求める声。
縋る視線。
「……大丈夫ですか」
アリアは、静かに尋ねた。
「はい」
エリナは、すぐに頷く。
「少し、疲れただけです」
それは、
かつてのアリア自身の言葉だった。
「……エリナ様」
アリアは、ほんの一瞬だけ間を置いて言った。
「もし」
声は、柔らかい。
「ここに来る前の自分に、
戻れたら」
エリナは、きょとんとした。
「……戻りたい、ですか?」
「はい」
アリアは、目を逸らさずに続ける。
「誰かを特別に想って、
それが苦しくて」
「……」
「それでも、
その感情を失いたくないと思う自分」
エリナの胸が、どくりと鳴る。
「……それは」
答えが、喉に詰まる。
「悪いことでしょうか」
アリアは、問いを重ねた。
エリナは、しばらく黙っていた。
祈りの言葉。
教え。
聖女としての心得。
すべてが、頭をよぎる。
けれど。
「……分かりません」
正直な答えが、零れた。
その瞬間。
アリアは、確信した。
――選ばれた。
「……そうですよね」
アリアは、微笑んだ。
だが、その微笑みは、
優しさだけではなかった。
「分からなくなった時点で」
一拍置く。
「この世界では、
“問題”になるんです」
エリナの顔が、青ざめる。
「……アリア様?」
「でも」
アリアは、続けた。
「まだ、間に合います」
その言葉に、
エリナは、必死に縋るような視線を向けた。
「……どうすれば」
その問いは、
すでに“次の順番”に立った人間のものだった。
「何もしないでください」
アリアは、はっきりと言った。
「祈らなくていい。
正しくあろうとしなくていい」
エリナは、息を呑む。
「……そんなこと」
「いいえ」
アリアは、静かに遮る。
「あなたが“良い子”でいるほど、
ここは、あなたを選びます」
それが、
この制度の核心だった。
エリナの瞳に、涙が滲む。
「……怖いです」
その言葉を、
アリアは否定しなかった。
「ええ」
小さく頷く。
「私も、怖かった」
そして、一歩近づく。
「だから」
声を、低く。
「私が、
あなたの前に立ちます」
エリナは、理解できない。
だが、その背後で。
廊下の影に、
ユリウスが立っていた。
すべてを、聞いていた。
「……やはり、君は」
呟きが、喉に落ちる。
アリアは、ゆっくりと背筋を伸ばした。
三二七号。
三二八号。
一つ違いの番号。
「……次は、あの子」
制度は、そう告げている。
だからこそ。
アリアは、
最後になると決めた。
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