第15話 治った人の行き先
記録官セラフィーナは、感情を表に出さない人だった。
それは、治療院では褒め言葉にあたる。
淡々とした口調。
過不足のない言葉選び。
誰に対しても一定の距離。
彼女は「成功例」だ。
アリアは、そう聞かされていた。
「こちらへどうぞ」
セラフィーナに案内され、
アリアは治療院の奥へと進んでいた。
封鎖病室とは別の、
だが同じくらい人の気配が薄い区域。
窓が少ない。
音が、吸われる。
「ここは……?」
「治療完了者の記録管理区画です」
管理。
その言葉が、妙に重い。
扉が開くと、
中は書庫のようだった。
整然と並ぶ棚。
番号だけが記された背表紙。
名前は、ない。
「これが……」
アリアは、息を整えた。
「治った人たちの記録、ですか」
「はい」
セラフィーナは、即答する。
「感情の不安定化が解消され、
社会的に問題のない状態となった方々です」
問題のない。
その言い方が、
あまりにも“正しい”。
「……その方々は」
アリアは、棚を見渡しながら尋ねた。
「今、どこに?」
セラフィーナは、一瞬だけ瞬きをした。
ほんの、わずかな遅れ。
「王都外の施設で、
適切な役割を与えられています」
役割。
まただ。
「家族には?」
「必要な通知は行われます」
必要な、通知。
アリアは、一冊の記録を手に取った。
患者番号二九八号。
中を開く。
《治療完了》
《情動安定》
《社会復帰:可》
それだけ。
人生の要約としては、
あまりにも短い。
「……この方は」
アリアは、ページをめくる。
「何が好きだったのですか」
セラフィーナは、首を傾げた。
「……趣味、ということでしょうか」
「はい」
彼女は、少し考え、答えた。
「記録には、ありません」
当然のように。
「恋は?」
その問いに、
セラフィーナの指が、わずかに止まった。
「……治療対象だったかどうかは、
記録されています」
「では、治療後は?」
沈黙。
「……不要です」
その答えで、
すべてが明確になった。
治った人には、
好きも、嫌いも、
恋も、要らない。
「……セラフィーナさん」
アリアは、静かに呼びかけた。
「あなたは」
一拍置いて。
「幸せですか?」
空気が、凍った。
その質問は、
治療院では想定されていない。
セラフィーナは、しばらく黙っていた。
やがて、整った声で答える。
「私は、職務を適切に遂行しています」
それは、質問への答えではない。
「……では」
アリアは、重ねた。
「眠る前に、
誰かのことを思い出しますか?」
セラフィーナの瞳が、
ほんの一瞬だけ、揺れた。
それを、アリアは見逃さない。
「……いいえ」
否定は、早すぎた。
「思い出す必要が、ありません」
必要がない。
その言葉は、
何度も聞いた。
「……セラフィーナさん」
アリアは、低い声で言った。
「あなたは、
治る前、誰かを愛していましたね」
書庫の空気が、
一段、重くなる。
セラフィーナは、視線を逸らした。
「……それは」
「答えなくていいです」
アリアは、遮った。
「でも、これだけ教えてください」
一歩、近づく。
「治療を受けて、
楽になりましたか?」
沈黙。
長い、長い沈黙。
やがて、セラフィーナは口を開いた。
「……苦しくは、ありません」
その声は、震えていない。
「毎日が、静かです」
静か。
それは、
幸福と同義ではない。
「……それで、十分です」
セラフィーナは、そう付け足した。
自分に言い聞かせるように。
アリアは、ゆっくりと頷いた。
「そうですね」
肯定する。
否定すれば、
彼女の足場を奪ってしまう。
「ありがとうございます」
アリアは、深く頭を下げた。
「大切な話を、
聞かせてくださって」
セラフィーナは、困惑したように瞬きをした。
「……私は」
何かを言いかけて、
やめる。
その代わり、
棚の一番奥を指差した。
「あちらに……
古い記録があります」
声は、ひどく小さい。
「……廃棄予定のものです」
アリアは、理解した。
それが、
精一杯の抵抗なのだと。
「……ありがとうございます」
再び、礼をする。
その背中を、
セラフィーナは黙って見送った。
書庫を出たあと、
アリアは一人、回廊に立ち尽くした。
胸の奥が、
重く、冷たい。
治った人たちは、
苦しんでいない。
だが。
生きてもいない。
「……次は」
アリアは、唇を噛みしめた。
「絶対に、
あそこへ行かせない」
それが、
誰のための誓いかは、
もう、はっきりしていた。
エリナのため。
そして、
かつて名前を奪われた
すべての悪役令嬢のため。
そのとき。
遠くの回廊で、
鐘の音が鳴った。
新しい診察の合図。
アリアは、静かに歩き出す。
もう、
見ているだけの存在ではいられない。
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