第13話 封鎖病室
夜の治療院は、昼よりも静かだった。
規則正しい生活音が消え、
残るのは魔導灯の低い唸りだけ。
アリアは、白い廊下を一人で歩いていた。
無断外出。
規則違反。
けれど、止める者はいない。
正確には――
止められない。
治療が順調な患者に、
誰も疑いの目を向けない。
それが、この場所の“正しさ”だった。
廊下の奥。
人の通らない区域。
空気が、はっきりと変わる。
冷たい。
湿ったような、重さ。
――ここ。
アリアは、足を止めた。
分厚い鉄扉。
壁と同じ白に塗られているが、
塗り重ねられた跡がはっきり分かる。
まるで、
「何度も無かったことにしようとした」ように。
「……開けられるはず」
独り言のように呟き、
指先を鍵穴に触れさせる。
ユリウスが、意図的に残した“抜け”がある。
完全な封鎖ではない。
魔力を流すと、
低い音を立てて、封印が緩んだ。
ギ、と扉が開く。
中の空気が、流れ出てくる。
古い。
人の感情が、澱のように溜まった匂い。
照明は、ついていない。
アリアは、ゆっくりと中へ入った。
足元で、何かがかすかに音を立てる。
――紙。
床に、散らばっていた。
拾い上げる。
治療記録。
だが、正式なものではない。
手書き。
走り書き。
震えた文字。
《今日は、名前を呼ばれなかった》
《番号で呼ばれるのは、慣れた》
《でも、忘れられるのは、怖い》
喉が、ひくりと鳴る。
さらに奥へ進む。
壁に、引っかいた跡。
爪痕。
いくつも、重なっている。
その上から、白い塗料で塗り潰した跡。
けれど、完全には消えていない。
アリアは、指でなぞった。
浮かび上がる文字。
――私は、悪い人でしたか?
胸が、きゅっと締まる。
次の壁。
――誰かを愛しただけなのに。
次。
――正しくなりたいだけだった。
アリアは、息を止めた。
ここは、
治療の場所ではない。
供養もされない墓場だ。
「……やっぱり、来てしまいましたか」
背後から、声がした。
振り向くと、
ユリウスが立っていた。
白衣姿ではない。
夜着のまま。
表情は、疲弊しきっている。
「止めなかったのですね」
アリアは、静かに言った。
「……止められませんでした」
ユリウスは、視線を床に落とす。
「あなたは、もう“見てしまった側”だ」
アリアは、再び壁を見た。
「ここにいた人たちは……」
「……治療成功者です」
その言葉が、
この空間に、重く落ちる。
「成功、ですか」
「感情が消え、
正しさだけが残った」
ユリウスは、低い声で続けた。
「社会的には、理想的な結果です」
アリアは、ゆっくりと首を振った。
「いいえ」
その否定は、はっきりしていた。
「ここには、
“人がいた痕跡”しかありません」
治療の成功なら、
こんな場所は必要ない。
「……なぜ、ここを残しているのですか」
問いは、鋭かった。
ユリウスは、しばらく黙り込む。
やがて、絞り出すように言った。
「完全に消すと……
次の人が、壊れる速度が速くなる」
アリアは、理解した。
ここは、
感情の残骸が、次へ流れ込む場所。
悪役令嬢の役割は、
ここで“受け渡されてきた”。
「……マルグリットも?」
「……ええ」
ユリウスは、頷いた。
「彼女は、最後まで泣きませんでした」
その事実が、
なぜか、胸を強く打つ。
「泣かなかった?」
「泣く感情が、
先に消えた」
アリアは、拳を握りしめた。
それは、
一番残酷な順序だ。
「先生」
アリアは、振り返らずに言った。
「ここに来る人は、
皆、同じ順番なのですか」
「……ほぼ」
「最初に、怒り。
次に、嫉妬。
最後に、愛」
ユリウスは、静かに肯定した。
「愛は、
この世界で一番危険だから」
その言葉で、
すべてが一本につながった。
王子の正義。
聖女の無垢。
治療という名の断罪。
「……私は」
アリアは、ゆっくりと振り返る。
「この役割を、
知ったまま引き受けている、
初めての人間ですね」
ユリウスは、答えなかった。
それが、答えだった。
「先生」
アリアは、はっきりと言った。
「私は、ここを壊しません」
ユリウスが、驚いたように顔を上げる。
「壊せば、
また別の場所が作られる」
視線を、壁に戻す。
「だから私は……
ここに立ち続けます」
その言葉に、
ユリウスの顔が、歪んだ。
「……それは」
「ええ」
アリアは、微笑んだ。
「共犯です」
悪役令嬢として。
観測者として。
そして――
この制度を終わらせるための、内部の異物として。
封鎖病室を出るとき、
アリアは一度だけ振り返った。
壁に残る、掠れた文字。
――私は、悪い人でしたか?
アリアは、心の中で答える。
いいえ。
あなたは、
この世界にとって、
都合が悪かっただけ。
扉が閉まる。
だが、
この場所は、もう隠れない。
知ってしまった人間が、
ここにいる限り。
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