5話 デートの誘いは突然に?
紬は慌てていた。下駄箱から教室のある階までを走り抜ける途中に「廊下を走らない!」と小学生以来の怒鳴られ方をするくらいには。
というのも彼女はいま人を待たせてしまっているからだ。もっとも別に彼女としては不本意なことではあるのだが。
きっかけはクラスの女子から遊びに誘われたこと。あまり親しくはないグループからの誘いではあったが、比較的派手な彼女たちからの誘いを無下にするのも悪い。それにある種のトラウマやよく思われていないのではないか、という不安が紬にあったこともありしばしの思案の末、快諾したという経緯だ。
実際は彼女たちのグループがほかに誘いたい男子たちがいて、彼らを釣り出すためのダシに使われたわけだが。そしてさらに紬にとって状況を悪くしたのは、その中に例の図書室での男もいたことだ。あの日のことは誰に言うでもなく、本人らと朝陽を除いて知るものはいない。
そのこともあり気が引けつつも、今さら断れる状況ではない。信頼できるひとのいないグループで事情を話すこと自体が不安だし、万が一彼を怒らせてまた何かあっても怖いという思いもあった。
そしてたった今は、その彼ら彼女らを待たせ教室に忘れ物を取りに来ている。
(絶対陰口言われてる)
内心で大きなため息を吐いた。
いっそこのままバックレたい。そんなできもしない妄想に耽る。あっという間に目的の階に着く。それから電気の消えた教室が目に入った。両隣の教室はまだ明るくひとの声がしている。
誰もいないはずの教室のドアをガラガラと勢いよく開けた。ピシリと身体が硬直する思いがした。そこには忘れようにも忘れられないひとがいるからだ。
「ああ、ごめん」
先に音を発したのはそのひとの方。それから紬の方へと軽く駆け寄りながら、しーっと指を立てて口先に当てた。紬も慌てて両手で口を抑えた。
向き合うように眼前に立つ朝陽は頭ひとつほど目線が高い。すっかり背が伸びたんだな、なんて関係のないことを思った。
「えっと……朝陽くん。どうしてここに?」
声を潜めて言う。どうしてと尋ねたのは彼のクラスは隣だからだ。数日振りの会話に緊張しつつ、何とか裏返ることなく出た声に安堵した。
「いや実は、今日三者面談だったんだ」
思わず、ん?と首を傾げた。それは問に対する直接的な答えではないから。それでも遮ることなく耳を傾ける。
「ほら、僕も思春期だから。親とは……特に母親とは。一緒に帰りたくはないでしょう?」
ああ、とうなずいた。男兄弟のいる友人の話でも、彼女の持つ一般的なイメージでも男の人はそうらしい。香坂朝陽という男の子もそうであったことに少し親近感を覚えた。
「それは分かるけど。でもなんでうちのクラスに?」
「正直なことを言うとね、別にここだからってわけじゃあないんだ」
彼は小さく自虐的に笑った気がした。
「何となくひとりで居たくてね。教室に行ったらちょうど僕ひとりだったんだ」
「うん」
「ラッキーと思ったんだけど。それも束の間で少ししたらね、廊下からカップルの声が聞こえてきて」
「うん?」
「いつもよりトーンの高いクラスメイトの声もあってさ、なんとなく気まずくてね。とっさにベランダに逃げたんだ」
「う、うん」
紬には分かる気がした。多分自分がその立場なら同じ行動を取ったことも容易に推測できる。
「そうしたらね、少ししたらちょっと中がまずい雰囲気になってしまって」
「それは……その、つまり」
「まあ。そういうことだよ」
顔が赤くなっていないか。それは見なくても分かった。顔中が熱いからだ。思わず隣の教室に接した壁を見た。
「そんなに熱く見つめても壁は透けたりしないよ」
「そ、そんなこと思ってないっ!」
慌てて彼を見た。少年じみた笑みを浮かべ楽しそうにしている。こんな状況だと言うのに、あの頃と同じだと胸がざわめく。
「そういうわけでね。しょうがないからベランダ伝いにここまで逃げてきたんだよ。そうしたら、たった今君、白瀬さんに見つかったんだ」
白瀬さん。ただ苗字を呼ばれただけで文字通り胸が弾んだ気がした。
「もし良かったら」
その言葉に今度こそ心臓が跳ねた。
「見に行く?となり」
クイッと親指を向けて言う。妙にサマになることに感心すべきか、そんな誘いに呆れるべきか。
「行きませんっ!」
とりあえず怒鳴ることにした。
「そういえば、白瀬さんはなんで?」
少し会話をして、思い出したように朝陽は言った。
「忘れ物をしちゃって……。あっ!そろそろ戻らないと……」
声には鬱々とした感情が滲んでいた。少なくとも朝陽はそう読み取った。
「この後は何か用事?」
「えっと。その、クラスの子たちと出かけることになってて」
紬が言い淀んだのは、その中に男子がいることを悟られたくなかったから。変な誤解は避けたいのが女心というものだ。
それから、例の男子が含まれることも知られたくはなかった。もし心配してくれるとしたら、それは嬉しくもある。けれど決して心配させたくはなかった。
朝陽はそんな心情を知ってか知らずか、穏やかに「そう」とだけ言った。
「でもだったら」
少しの静寂を破ったのは朝陽の声。
「この状況はあんまり良くなかったかもなあ」
その言葉は紬の胸をドキりと刺した。不安の滲む紬に、朝陽は軽く視線を合わせてから微笑む。そして今度は視線を廊下に流した。それに釣られて、紬もそちらを見る。
そこに居たのは、廊下に立つ男子生徒。紬がこの後出かけるグループのひとりで、それこそ例の男本人であった。おそらくは遅れる紬を呼びに来た、というところだろうか。
その姿を視界に捉えると、わずかに鳥肌がたった。
もしかしたらこの教室で、朝陽ではなく彼と二人きりになっていたのかもしれない。そんな想像が背筋を冷たくした。
「違ったらごめんだけど」
紬の内心とは対照的に、隣に座る男からは穏やな声音が響く。
「その誘いってもしかして、あんまり乗り気じゃないよね?」
朝陽はちらりと紬を見たあと、視線を男の方へ戻した。
「実はあんまり」
何故か驚くほど素直にそうこぼしていた。
「そっか。じゃあごめんね」
視線を廊下へ向ければ、男はもう教室のドアのあたりに立っている。
「委員会の用事でね、白瀬さんに用があるんだ。そちらが先約なのは分かっているんだけど今日のところは僕に譲ってくれないかな」
朝陽が男に言う。その後、男子生徒に向けて小さく手を挙げ、ジェスチャーでごめんねと示している。男子生徒は何か言いたげに口を動かしてから、身を翻してその場を去った。
「まあ、僕は間違いなく余計なことしちゃったわけだけど」
明日どんな顔をしてあの人に会おうとか誘ってくれたクラスメイトの女子たちにはなんて言おうとか。紬の頭には色んなことが次々と浮かんでくる。それでも不思議なほどに心がざわめく自分がいた。
「それでさ、もしかしてこの後はお暇ですか?」
何故か朝陽はひどく穏やかな笑みを向けた。
頭を上から下にこくこくと動かすことしかできなかった。
「もし良かったら、今日は僕にちょっと付き合ってくれないかな」
今度はもっと大きく首を上下に往復させた。
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