10話 穏やかで懐かしいひととき
扉を開けば、紬は足を止めた。それからテーブルの窓側に座り本を読む姿を視界に捉えた。ほんのわずかな猫背で、テーブルに肘をつきながらパラパラとページをめくる。横顔を照らす太陽に、どこか眩しそうにしている。陽光が反射しているのか、その長いまつ毛の一本すら数えられる気がした。
「あ、ごめん。もう来てたんだ。気づかなくって」
キリが良かったのか、本を閉じ顔を上げた彼と目が合う。長い髪を手で束ね、小さく微笑みそれから彼は言った。
「う、うん。ごめんなさい、邪魔しちゃった?」
「全然。ちょうど読みたいところが終わったから」
今日もまたガラガラの図書室には、紬と朝陽の二人しか生徒がいない。もっとも、これはいつも通りではあるが。
「せっかく話したいって言ってくれたのに、こんな所まで悪いね。でも教室まで迎えに行くっていうのも、変だろ?」
「ううん、へいき。私も図書室って好きだから。それに迎えに来てくれても良かったけど、って言ったら困るでしょ?」
「まあ、あの白瀬紬さんですからね。視線で刺殺されちゃうよ」
「もうっ、やめてよね」
ムッとした顔をしてみせる。お互い冗談と理解したうえでの戯れだ。すぐにほぐれた表情は笑顔へと変わった。
「そういえば、中学の頃もこんな風に図書室で話したことあったよね。あー、なんか懐かしいな」
朝陽が言う。紬は、その言葉に思わず彼を見つめた。
「その……嫌じゃなかった?」
「嫌って?ええっと、全然何も嫌だった記憶はないんだけど……。もしかして昔になんかやった?僕」
「ううん、まったく!いいの、気にしないで」
そう、と少し不思議そうにしながらも朝陽は頷いた。
女の子がよく分からないことを言い出したときは追求しない方がいい。これは朝陽がこれまでの人生で出した結論だった。
「へえ、あれから何事もなくか。良かった」
朝陽がそれとなくあの日強引に誘った後のことを尋ねる。少なくとも頭の中には、再開のきっかけでもあった告白の相手を思い浮かべていた。
「うん、断っちゃった女の子たちもね、ふつうにお話してくれるし」
「今後の関係に響く、みたいなことがないなら安心したよ」
「心配してくれたんだ」
紬は嬉しさから笑みが滲む。それを気取られるのが嫌でからかうような口ぶりとなった。
結果として、それは少しいたずらなニュアンスを含んだ。それに対し、少しムッとした顔をしながら朝陽が返す。
「しなきゃ良かったかもって、今思ったよ」
「ごめんごめん。でも嬉しくって」
目に見えて口先だけの謝罪。朝陽も怒ったふりをしつつ、口元に緩みがある。
「意外と恥ずかしいんだよ?面と向かって心配してましたー、なんてさ。……って、なに?その顔。バカにしてるよね?」
「ううん、その……可愛いな、と」
朝陽が大きく息を吐く。それから親指の腹で右のこめかみをギュッと抑えた。
「男に可愛いってのはね、褒め言葉じゃないからさ」
最後に、バカにしてるでしょ、と薄く笑って言った。そんなことないもんと紬が言う。
会話はそこで途切れ、しゃんとした雰囲気を漂わせた静寂が訪れる。図書室という空間がそうさせるのか、意外なことに気まずさもない。いっそこのままでも良いとさえ思えた。
「え、朝陽くんのクラスも、クラス会とかやるんだ」
間の抜けたような声が響く。
「そ。おかげでなんだか憂鬱になったよ。全くイベントごとってのは厄介で……」
紬は目を丸くした。近況を報告する、とまではいかないが、最近の話をしている中で浮上した話題。そこで朝陽が嫌そうにクリスマスの話を切り出したからである。偶然紬もクラス会の誘いを受けていたこともあり、なんとなく声がうわずる。
心底嫌がった表情に、紬が思い出したのは中学生の彼。たしか昔もこうやって愚痴を吐いていた記憶がある。そんな懐かしい記憶が嬉しかった。
緩みそうになる口端をぎゅっと結ぶ。
「そうなんだよ、半ば強制でね。恋人がいるとかだと免除らしいけどさ。おかげで僕も、渋々ね。まだ友達も一緒にいるからいいけどさ……」
「そ、そっか」
今度こそ口は緩みを隠せなかった。慌てて締め直す。
朝陽くんはいまフリーなんだ、とか。いっそどんな人が好みとか。そちらに話題を転換したい気もするが、そんな勇気は微塵も無い。口を数度もごもごとさせ、結局出た言葉は曖昧な返事に留まった。
「あー、行きたくない……。ってこんな弱音吐かれても困るよね」
朝陽は背もたれに体重をかけ足をだらんと伸ばす。紬の内心なぞ知らず、駄々をこねるように呟いた。
それすらフィルターのかかった彼女にしてみれば、可愛らしい仕草に変換されるのだから恐ろしいものだ。
「ううん、そんなことないよ。実は私も行きたくないなって思ってたから」
「あ、もしかしてそっちもほとんど強制だったり?」
「うーん、私の場合は断れなくて、かな。もちろん来るよね?って迫られると、ノーとは言えなくて……」
クラス全体が行く雰囲気になってしまい、それを断ることなど紬には出来なかった。そんな自分が嫌になると同時に、こうして会話の種が生まれたことにわずかな喜びも存在した。
「しかもカラオケだってさ。僕あんまり人前で歌うのって得意じゃないんだ。歌うのは好きだけどね」
「わ、一緒だ。うちもねカラオケでクラス会みたいな感じなんだって」
「奇遇だね」
「ねっ」
顔を見合せ、それから笑い合う。
「お互い大変だ」
「そうだね」
もう一度、二人は顔を見合せ笑った。他愛もない会話の全てが愛おしく思えるほど、この時間は二人にとって焦がれた日常の回帰を意味した。
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