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101股目のプロポーズ。捨てられた悪徳令嬢の私に元夫が泣きついてきたんだが???

作者: mania
掲載日:2026/01/07

 私の名前は、アリシア・フォン・グレイヴ。

 かつて王都一の「悪徳令嬢」と呼ばれ、今では辺境の地で静かに暮らす、ただの未亡人——正確には、離縁された元公爵夫人である。


 噂というものは恐ろしい。

 人は真実を知ろうとせず、面白いほうを信じる。


「傲慢で冷酷」

「金と権力にしか興味がない」

「夫を操り、裏で悪事を働く女」


 それらはすべて、私の“元夫”であるレオンハルト・フォン・ヴァイス公爵が、私を切り捨てるために流した物語だった。


 ——まあ、今となってはどうでもいい。


 私は今日も、辺境の屋敷で紅茶を淹れ、静かな午後を過ごしていた。

 この屋敷は質素だが、空気が澄み、夜は星が美しい。

 王都のきらびやかさなど、もう恋しくもない。


 ……はずだった。


「——アリシア!! 開けてくれ!!」


 玄関の扉を叩く、聞き覚えのある声。

 私は紅茶のカップを置き、深くため息をついた。


「……来ると思っていたわ」


 扉を開けると、そこには見る影もなくやつれた男が立っていた。

 元夫、レオンハルト。

 かつては社交界の花形で、女性たちが列をなして求婚していた男だ。


 今は、目の下に濃い隈を作り、服装もどこかだらしない。


「久しぶりね。何の用?」


「……助けてくれ、アリシア」


 開口一番、それだった。


 私は思わず笑いそうになった。


「助けて? 私を“悪徳令嬢”として追放したあなたが?」


「それは……誤解だったんだ」


「便利な言葉ね」


 彼は私の前に膝をついた。

 誇り高かった公爵が、地面に額を擦りつける姿は、滑稽ですらある。


「俺は……間違っていた。君が必要なんだ」


「それで? 今回は何股目のプロポーズ?」


 彼が顔を上げる。


「……百、……」


「101股目のプロポーズ、ってわけね」


 私は冷静に言い放った。


 レオンハルトは有名な女好きだった。

 結婚中ですら、浮名を流し続け、数えきれないほどの愛人を囲っていた。

 私はそれを黙認していた。理由は簡単だ。


 ——そのすべてが、彼の政治的な失策を覆い隠すためだったから。


 私は裏で財政を立て直し、領地を守り、彼の失敗を処理していた。

 だが彼は、最後までそれに気づかなかった。


「今さら何を言っても、遅いわ」


「違う! 君がいなくなってから、すべてが崩れたんだ!」


 彼は必死に語り始めた。


 財政破綻。

 領地の反乱。

 愛人たちの裏切り。

 王家からの信頼失墜。


 ——当然の結末だ。


「誰も、俺を支えてくれない。君だけだった……」


「そう。やっと理解したのね」


 私は彼を見下ろしながら、静かに言った。


「私はあなたを愛していた。でも、それ以上に“公爵家”を守っていた」


「なら……!」


「でもあなたは、私を“使える道具”だとしか見なかった」


 その言葉に、彼は言葉を失う。


 私は続けた。


「離縁状に署名した日、あなたは言ったわね。“悪徳令嬢は不要だ”って」


「……」


「今さら、泣きついてくるなんて、随分と都合がいい」


 私は扉を閉めようとした。


「待ってくれ! やり直そう! 今度こそ、君だけを愛する!」


 私は振り返り、微笑んだ。


「無理よ」


「なぜだ……」


「もう、次がいるから」


 彼は凍りついた。


 ——私の背後から、足音がした。


「アリシア、紅茶が冷めるよ」


 現れたのは、辺境伯家の次男、エドワード。

 静かで誠実な人。

 私の過去も噂もすべて知ったうえで、そばにいると決めた男。


「……誰だ」


「私の婚約者よ」


「なっ……!」


 私は腕を組み、淡々と告げる。


「あなたは101股目。彼は、最初で最後」


 エドワードは軽く会釈し、言った。


「公爵閣下。彼女はもう、あなたのものではありません」


 レオンハルトは崩れ落ちた。


「……俺は……」


「ええ、後悔しているでしょうね」


 私は扉を閉める。


「でも安心して。あなたがいなくても、私は幸せになれた」


 外から、嗚咽が聞こえたが、もう関係ない。紅茶の香りが、部屋に満ちる。


「……少し、強く言いすぎたかしら」


 エドワードは微笑んだ。


「いいえ。正当な評価です」


 私はカップを持ち上げ、窓の外を見た。


 悪徳令嬢と呼ばれた私の人生は、ようやく始まったばかりだ。


 ——101股目のプロポーズは、

 私が過去を完全に捨て去るための、ちょうどいい区切りだった。


 レオンハルトが去ってから、屋敷は驚くほど静かだった。

 まるで嵐が通り過ぎた後のように、空気が澄み切っている。


「……本当に、終わったのね」


 私がそう呟くと、エドワードは暖炉に薪を足しながら言った。


「ええ。彼はもう、戻ってこないでしょう」


「そうね。戻る“場所”が、もうどこにもないもの」


 それから数日後、王都から噂が届いた。


 レオンハルト・フォン・ヴァイス公爵、爵位剥奪。

 理由は財政不正と領地放棄。

 かつて彼に群がっていた愛人たちは、一斉に姿を消したという。


「……見事なまでの転落だわ」


 私は書簡を閉じ、苦笑した。


 だが、不思議と胸は痛まなかった。

 同情も、怒りも、もう残っていない。


 ——私が彼のために使った年月は、

 すでに十分すぎるほどの“代償”だった。


 さらに数週間後、王都から正式な使者が訪れた。


「アリシア・フォン・グレイヴ様。

 王家より、正式にご招待申し上げます」


 エドワードが眉をひそめる。


「……行くのかい?」


「ええ。逃げる理由はないわ」


 王城の大広間。

 そこに集まっていた貴族たちの視線は、かつてとまるで違っていた。


 軽蔑でも、嘲笑でもない。

 ——警戒と、敬意。


「悪徳令嬢、とは……ずいぶん都合のいい呼び名だったようですね」


 王弟殿下は、私にそう言った。


「あなたがいなければ、ヴァイス領は数年前に崩壊していた。

 財政再建、交易路の整備、反乱鎮圧——

 すべて、あなたの手腕だったと判明しています」


 私は一礼した。


「評価が遅すぎますわ」


「その通りです」


 殿下は苦笑し、続けた。


「そこで、お願いがあります。

 あなたの知識と経験を、王国のために使っていただきたい」


 ——要するに、引き抜きだ。


 私は少し考え、答えた。


「条件があります」


「ほう?」


「私は“夫の影”にはなりません。

 名前も、功績も、すべて私個人として扱ってください」


「……承知しました」


 その瞬間、大広間がざわめいた。


 かつて“捨てられた悪徳令嬢”は、

 今や王家直轄の顧問として迎えられる存在になったのだ。


 帰路の馬車で、エドワードが言った。


「すごいね。君は」


「いいえ」


 私は首を振る。


「ようやく、正しい場所に立てただけ」


 彼は微笑み、私の手を取った。


「それでも、誇らしいよ」


 ——そして、数か月後。


 ある寒い朝、王都の小さな教会で、

 私は静かな結婚式を挙げた。


 派手な装飾も、社交界の喧騒もない。

 だが、それが何より心地よかった。


「誓いますか?」


「ええ」


 私は迷いなく答えた。


 この手は、もう誰かの失敗を隠すために使わない。

 誰かの虚栄を支えるためにも使わない。


 ——自分の人生のために使う。


 式の後、ふとエドワードが言った。


「ところで……」


「なに?」


「もし、彼がまた現れたら?」


 私は少し考えて、笑った。

 窓の外を見つめながら、静かに言う。


「もう、プロポーズの資格すらないわ」


 悪徳令嬢と呼ばれた私の物語は、

 ここでようやく、“誰にも奪われない形”で完結した。


 ——捨てられたのではない。

 私は、自分で選び直したのだ。


 レオンハルト・フォン・ヴァイスの転落は、王都の誰もが知るところとなった。


 爵位剥奪。

 財産没収。

 使用人の即時解雇。

 屋敷は王家に接収され、彼は一夜にして「無一文の元公爵」へと成り下がった。


 それでも最初のうち、彼はまだ“自分は選ばれる側だ”と信じていたらしい。


 だが現実は残酷だった。


 愛人だった令嬢たちは、彼が失脚したと知るや、

 まるで示し合わせたかのように証言台に立った。


「金銭を受け取っていました」

「公爵家の名を使った取引に関与させられました」

「責任はすべて彼にあります」


 彼女たちは泣き、被害者を演じ、

 そして全員が——助かった。


 助からなかったのは、彼だけ。


 裁判の場で、裁判官は冷淡に告げた。


「あなたは、判断力を欠いた無能な当主であり、

 同時に、自らの妻に責任を押しつけた卑劣な男です」


 その言葉が決定打だった。


 ——“悪徳令嬢”という汚名は、

 正式に、彼が捏造した虚偽であったと認定されたのだ。


 数日後、私は王家顧問として、

 この件の最終報告書に署名していた。


「……これで、完全に終わりですね」


 王弟殿下がそう言う。


「ええ。私にとっては、もう過去です」


 そのとき、侍従が一通の書簡を差し出した。


「元ヴァイス公爵より、どうしても本人に届けてほしいと」


 私は封を切り、中を一瞥してから、破いた。


 そこに書かれていたのは、

 謝罪でも反省でもなかった。


 ——「やり直せるなら、今度は君だけを見る」


 思わず、失笑が漏れる。


「……最後まで、自分が“選ぶ側”のつもりなのね」


 私は破片を暖炉に放り込んだ。


 紙は一瞬で燃え、灰になる。


 その翌月、王都の裏通りで、

 酒に溺れた男が路上で倒れているという噂が流れた。


 元公爵だと気づいた者は、ほとんどいない。


 身なりは汚れ、言葉は支離滅裂。

 かつて彼が見下していた商人や使用人に、

 施しを乞う姿が目撃されたという。


「アリシア……アリシアが悪いんだ……」


 そんな寝言を呟いていた、とも。


 ——だが誰も、立ち止まらなかった。


 それが彼の“最終的な評価”だった。


 ◇


 数年後。


 私は王国財政改革の責任者として、

 正式に爵位を授かることになった。


「グレイヴ伯爵位を、アリシア・フォン・グレイヴに」


 大広間に拍手が響く。


 “夫の妻”としてではない。

 “誰かの影”でもない。


 ——私自身の名前で。


 式の後、エドワードが静かに言った。


「もう、完全に越えたね」


「ええ」


 私は頷く。


「彼は、私の人生の一部ですらなくなった」


 その夜、私は自室で、昔の書類を整理していた。


 離縁状。

 偽りの告発文。

 悪徳令嬢と書かれた匿名の手紙。


 すべて、箱に入れて封をする。


「……もう必要ないわね」


 箱は封印され、地下の倉庫へ送られた。


 ——二度と開かれることはない。


 窓の外、夜空には星が広がっている。


「101股目のプロポーズ」


 私は静かに呟いた。

 十数年前、彼が徴兵されたときのことを思い出す。


 「僕は死にません。あなたが好きだから」


 彼は本当に死ななかった。

 なんだかんだで私より長生きしたらしい。

 そういう、くだらない約束を守るところだけは愛してるわ。

 生まれ変わったらまた、どこかで会いましょう。


 もし最初で最後のプロポーズをするのなら

 しばらくは一緒にいてあげてもいいかもね。

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