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9.イスミルの正体

 ボジョの食欲はとめどなく、大量購入した大豆の一部を畑で育てることにした。

 久しぶりの畑仕事に、ミラは腕をまくり、息を整えて気合を入れる。


「いい天気……美味しい大豆ができるといいわね?」

「……アッアッ」


 肩の上で喜びの声をあげるボジョに、自然とミラの顔もほころぶ。


 畑は垣根に囲まれていて、外からはほとんど見えない。ボジョを小屋に置いていこうとしたが、寂しがって鳴くので、仕方なく肩に乗せて連れてきた。


 栄養不足で不健康そうだったボジョは、今では肌艶も良くなり、少しずつ竜らしい気配をまとい始めている。このまま順調に育てば、イスミルが言っていた通り茹で大豆だって食べられるようになるだろう。


「……アルビンカ、見ていてね。きっと立派な飛竜に育てるから」


 ボジョが擬態した飛竜の姿はどんなものだろう。

 アルビンカのように美しく、けれど小さくて愛らしい竜――そんな想像を胸に、鍬を振り上げたその時。


「ミラさん、こんにちは」

「イスミルさん!? って、今日来られる日でしたか!?」


 小屋の陰から姿を現したのは、イスミルだった。

 また近々来ると聞いてはいたが、もう少し先だったはず。


「いえ……近くを通りかかったので、少し様子を見に」


 苦笑を浮かべるイスミル。

 先日の一件で、ミラが番と上手くいっていないのではと心配になり、実は休暇を取ってまで来てしまった。


「畑仕事なら、ボジョは家で留守番ですよね?

 私が相手しておきましょうか?」

「いえ、ボジョならここにいますよ?」


「……え? だって、今日は――」


 イスミルが空を仰ぐ。

 雲ひとつない快晴。容赦なく降り注ぐ日差し。


 こんな日に、幼竜が外にでると――。


 再びミラに視線を戻した瞬間、顔から血の気が引いた。

 ミラの肩に、干からびた蔓のようなものが乗っている。


「ミ、ミラさん……そ、それ……」


 苗でも担いでいるのかと微笑ましく思っていたが――


「ボジョ、イスミルさんにご挨拶は?」

「…………アァ~ォゥ」


 か細い声が「タスケテ」と聞こえた。

 よく見ると、蔓には小さな手足がついている。


「ぼ、ボッ……わっ、わ、わぁぁあっ!?」

「イスミルさん!?」


「黙って! そのまま動かないで!」


 イスミルが慌ててミラの肩からボジョを持ち上げる。

 その姿は、木の根か薬草と見まごうほどに、カラカラに干からびていた。


「う、う、嘘でしょ、どうして!? 今、出たばかりなのに!」


「幼竜は日光に弱いんです! 水! 桶に水を!」

「は、はいっ!」


 ミラは全力で井戸へ駆けた。

 アルビンカが『幼竜もまた乾燥に弱い』と言っていたのを思い出す。まさか、ここまでとは。


 桶を部屋に持ち帰ると、待ち構えていたイスミルが慎重にボジョを水へ沈めた。


「ボ、ボジョ、大丈夫? ボジョ!?」


 そわそわとボジョに触れようとするミラに、イスミルが声を荒げる。


「触らないで! まだ表面だけです、落ち着いて!」


 イスミルの指先がそっとボジョに触れると、パリパリと薄い殻が剥がれ落ちた。

 卵が固まった時と同じように、外の膜が固まっただけらしい。


「ボジョ……!」

「……エッ……エッ」


 殻が全て剥がれ落ちると、その身体は大半の水分を失い、皺だらけになっていた。

 ボジョの声はかなり弱々しい。


 イスミルは濡らした布にボジョを横たえ、安心させるように頷いた。


「この程度なら、一晩あれば元に戻りますから」

「……よかった」


 胸を撫で下ろすミラ。

 しかし、すぐさまイスミルの鋭い叱責が飛ぶ。


「よくはありません! 幼竜が日光に弱いなんて常識ですよ!?

 ……乾燥すると、自力で呼吸すらできない」


 低く押し殺した声に、ミラは息を呑んだ。

 普段は冷静なイスミルが、怒りに拳を震わせている。


「あ、あなたの番は、一体何をしているんですか!?

 側にもいない、知識も与えない……こんな事、本当にあり得ません!」


 イスミルの怒気に、ミラの胸が締めつけられる。

 そこまでボジョの命が危うかったのだろう。恐怖にミラの指も震える。


(アルビンカ……ボジョ、ごめん)


 本当は、アルビンカは雑談に紛れて多くを伝えてくれていた。

 それを、自分が受け止め損ね、忘れているだけ。


「わ……悪いのは……わたしです」


 アルビンカは、いつから子を託す覚悟をしていたのだろう。

 何十年も卵を抱え続けた末の決断だったはずだ。


「いえ、悪いのは番です!

 番は、一体どこに――!?」


(アルビンカは……もう、どこにもいない)


 思い至った瞬間、涙が堰を切ったように溢れ出した。


「ごめんなさい……いません。……もう、死んで……」


 その事実を口にした途端、胸の奥が空洞になったような喪失感が押し寄せた。

 番がいないと伝えるべきではない、そう思ったが、罪悪感から口が止まらなかった。


「……死ん……だ?」


 衝撃的な言葉に、イスミルの苦い記憶が甦り、胸に痛みが走る。


 番から力が与えられると、その愛情は引き離せない程に深くなるという。

 竜がその想いを残して、この世を去った。それは想像するだけで痛ましいものだ。


 イスミルが顔を歪めて――


「……そうでしたか」


 言葉にできたのは、それだけだった。



 しばらく沈黙して二人は、ボジョが回復していく姿をただ見つめていた。


 皺も伸びたし、峠は越えただろうか。

 だが、番が居ないと知られた以上、イスミルがボジョを保護してくれる理由はないはずだ。


(今なら、まだ見逃してくれるかもしれない)


 ミラが震えながら声を絞り出す。


「……だまっていて、ごめんなさい。

 今から、国を出ますね」


 そう告げたミラに、イスミルが衝動的に手を伸ばし、腕を掴む。


「――っ!」


 突然腕を掴まれ、恐怖に瞳を見開くミラ。

 この人は優しくはしてくれたが、イネス騎士団だ。


 弱ったボジョが捕らえられれば、アルビンカから託された希望が泡と消える。


「いやっ、離して! 見逃して!」

「わっ、ち、違います、落ち着いて!」


(今の状態で行かせれば、彼女も幼竜も……。

 ……私には……やはり、できない)


 イスミルは迷いを断ち切るように、暴れるミラを強く抱き寄せた。


「……っ?!」


 何が起きたか理解できず、一瞬声を失うミラ。

 イスミルが落ち着かせるように、耳元で低く囁く。


「……ミラさん。

 いいから、少し落ち着いて。大丈夫、ですから」


 優しく背を叩かれ、次第にミラの呼吸が整っていく。

 恐怖が和らぐと、逆に羞恥がこみ上げ、ミラは顔を赤らめながら身を離した。


「あ、あの。と、取り乱してすみません。

 もう、大丈夫、です……」

「落ち着きましたか?」


 頷くと、ようやく力強い腕が解かれた。


「約束しましたよね……ボジョの擬態が済むまでは、保護すると。

 ……だから、安心してください」


 意外な言葉に、ミラは息を呑む。


「ど、どうして……?」


 イスミルは少し視線を逸らし、悪戯っぽく微笑んだ。


「さぁ、どうしてでしょう。もちろん――騎士団にも、国にも内緒ですけど」


 今は、騎士団の任務も、国のこともどうでも良かった。

 目の前のミラを、()()()()()()()()辿()()ボジョを、どうしても見捨てることができなかった。


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