6.騒動
「い、いやぁぁっ!?」
皮袋からは、ドロリとした竜水が流れ出していた。
「それは……?」
不審げに眉をひそめるイスミル。
真っ青になるミラ。
すると、部屋に悲痛な鳴き声が響き渡る。
『……ウ、ウェェ……エッエッエッ』
(な、泣いてる!? これ、泣いてるんだわ!)
産声なのか、落ちて痛かったのかは分からない。
もしかすると、怪我をしているかもしれない。
焦ったミラが、咄嗟に口走る。
「こ、これは、そう、カ、カエルです!」
「……カエル?」
「そ、そうです。お昼に食べようと思って捕まえて……その……下ごしらえ中で」
『ウェェ……エッエッ……エッ』
「ごめんなさい! 食べない! あなたは食べないから!」
自分で言っていて支離滅裂だが、必死だった。
人間だと言い張るミラだが、落ちた皮袋からも、僅かに竜の力が感じられる。
イスミルは混乱しながらも確信に近づいていく。
「……いや、そうか。竜ではなく、番――。
はっ、まさか、今、出産を……!?」
息を飲むイスミル。
落ちたものはヌメりに覆われ、普通の皮袋には到底見えなかった。
人間が竜の番になるという可能性はなくもない。
そして竜は愛情深く、異種族でも番に酷い仕打ちをした相手を許すはずがない。
ましてや、追い詰めて立ったまま出産させたとなると――
(番の竜が怒り、辺り一帯が火の海になる……!)
イスミルの目が、皮袋に釘付けになっている。
一方で、ミラも皮袋から目が離せない。
先ほど「竜とは争わない」と言ってはいたが、幼竜であれば簡単に捕らえられてしまうだろう。
(この子を、ま、まもらないと……!)
ミラは決意すると、ピッと片手を上に伸ばした。
「はい、わたしが竜です! 竜はわたしです!」
「い、いや……それは無理が……」
「無理じゃありません! 竜です! だからこの村を出て行きます!」
ミラは困惑するイスミルをぐいぐい押し、扉から放り出した。
◇
外では村人と騎士団が固唾を飲んで待ち構えていた。
「……ミラ」
前に出て来たのはダニエル。その腕にはサーシャが絡みついている。
「君が邪教徒だったなんて……婚約は終わりだ。
この先は、サーシャと――」
どうやら、新たな婚約者の座にサーシャが収まっているらしい。
「そういうわけだから、ごめんねぇ?」と勝ち誇るサーシャ。
これで二人に関わる必要がなくなった。
こんな時ではあるが、思わずミラが安堵の笑みを浮かべた。
「そう、よかった」
「……え?」
「はぁ!?」
想定外の反応に、二人の顔が同時に引きつる。
しかし、ミラはこれ以上二人に構っている余裕はない。
イスミルをさらに外へ押しやり、扉を閉める。
「待ってください、まだ話を!」
「話はもう終わりましたよね!」
村の女たちが、初めて見るイスミルの顔立ちに思わず息を漏らす。
村長の息子という肩書よりより、騎士団の方が断然いい。まして、顔もいい。
サーシャまでもが声を上げてしまった。
「やだ、素敵……。ダニエルより……」
「サーシャ!?」
ショックを受けるダニエルを振りほどき、サーシャがイスミルに迫る。
「あたし、巫女のサーシャですぅ。まさか、この村から邪教信者が出るなんて……。
怖いですぅ……早く捕らえてください」
「……捕らえる?」
身構える騎士団に、我に返ったイスミルが鋭く号令を飛ばす。
「いや、お前たち待て! この方は邪教徒ではない! 撤退だ!」
これ以上騒ぎを大きくすると、ミラを守るために番の竜がくる可能性が高い。
ミラを庇うように前に出るイスミル。
騎士団はそれに従って警戒を解き、サーシャが舌打ちをする。
「そんなはずはぁ……もっとよく調べ――」
「すまない、邪魔だ!」
イスミルはサーシャを押し退け、ミラへ向き直る。
「……お願いです。もう一度、話をさせてください」
「い、いえ! わたし村を出ますから!」
「駄目です。今は、体力もないでしょう!出産で――もごっ」
「ちょっ、な、何を言うんですかっ!」
ミラが慌ててイスミルの口を塞ぎ、真っ赤な顔で首を横に振る。
その様子に、何も知らない団員たちが囃し立てる。
「団長~、痴話喧嘩ですか?」
「ここまで浮いた話がなかったのは、この娘さんのせいか~」
「婚約解消らしいですよ、良かったですね~」
周囲を気にせず、無言で視線を交差させるミラとイスミル。それは、団員達の冷やかしを肯定しているかのように見えた。
村の女達が羨ましそうに見つめ、サーシャまでもが悔しげに二人を眺めている。
サーシャとミラを交互に見比べ、真っ赤になったダニエルが吠える。
「ミラ、どういうことだ! 俺がいながら、こいつと浮気なんて――」
「は、はぁっ!? 浮気なんてしてません! 浮気してたのはダニエルでしょ!?
大好きだったサーシャと結ばれて良かったじゃない! おめでとうって言えば満足なの!?
もうっ、みんな帰って! わたしだって忙しいんです!」
普段大人しいミラの激昂に、場は凍りついた。
動揺するダニエルに、それが事実だと知れ渡り、村長すら顔をしかめている。
そんな中、イスミルがミラの手をそっと両手で包み込む。
「今は安静にしておいた方がいい。一度帰りますが、必ず話をさせてください。
約束してくれますか。早まらないで、ここにいて、待っていると」
「いえ、もう村を出ますので」
「あなたにそう言わせたのは、私の責任です。
もしすぐ出るなら、私はここから離れません」
「……っ、ああ、もうっ」
(すぐにでも、卵を確かめたいのに!
誰か、早くこの人を連れて帰って!)
騎士団に視線で助けを求めるが、全員が即座に目を逸らす。
痴話喧嘩に巻き込まれるのはご免なのだ。
「わ、わかりました! でも、今日は帰ってください!」
「約束ですよ! 絶対に!」
「はいはい、団長良かったですね。帰りますよ~」
団員たちに引きずられるように去るイスミル。
ミラは村を騒がせた事に深く頭を下げると、急いで小屋へと戻っていった。
◇
嵐の後のような静けさの中、女性陣はコソコソと囁き合う。
「やっぱり団長様よね」
「浮気者より断然いいわ」
「私も愛を囁かれたい……」
その声を背に、サーシャだけがミラの小屋を憎々しげに睨みつけていた。