17.祈り
あたしは生まれて間もなく、村の入口に捨てられていたらしい。
親も見つからず、引き取り手もなく、孤児として教会で育てられた。
村に同年代の子供は二人。
ミラとダニエル、二人との仲は悪くなかった。
でも、日が暮れると二人は家族の待つ家に帰っていく。
夕焼けの中、後ろ姿を見送るたび、胸の奥が軋んだ。
あたしだけ、何も持っていない。
皆、同じならいいのに。
二人とも、家族なんていなければいいのに。
そう、女神様に祈った。
◇
ある日、ミラの両親が事故で亡くなった。
心の奥底で笑ったことを、今でも覚えている。
ミラはあたしと同じ、ひとりぼっちだ。
その事実が、嬉しかった。
……だけど、それは一時だけ。
ミラは家族を失って、すぐダニエルとの婚約が決まった。
家族がいないのは、あたしも同じなのに、どうして。
どうして、ミラは『特別』になれたんだろう。
女神様、どうか、あたしを『特別』にしてください。
◇
そして、あの日。
あたしは、女神様から祝福を受けた。
擦り傷を癒す程度の、小さな力。
それでも、あたしは選ばれた。特別になれた。
だから、ダニエルをもらった。
もうミラには、誰もいない。
昔のあたしと同じように、孤独になればいい。
そのはず、だったのに。
あの子は、もっといいモノを手に入れた。
もっと特別になりたい。
女神様、あたしをもっともっと、『特別』にしてください。
◇
ポイナ村の小さな教会。
薄暗い教会で、蝋燭の光に照らされた女神イネス像が、ゆらゆらと影を落としている。
サーシャが膝をつき、両手を胸の前で組んで祈っていると、不意に声をかけられた。
「これはこれは。熱心に何をお祈りですか?」
「っ!? ……誰!?」
いつの間にか顔を覗き込んでいたゾルコに、サーシャが息を呑む。
慌てて立ち上がると、顔に笑みを貼りつける。
「ごきげんよう、ゾルコ様。
女神様に……もっと大きな祝福をいただけるよう、お祈りしていました」
「祝福? ああ、そういえばあなたも祝福持ちでしたか。
なんとくだらない……まったく、嘆かわしいものです」
「……え?」
聞き間違いかと、眉をひそめる。
ゾルコはいつも穏やかな笑みを浮かべているのに、その瞳の奥は冷たく底が見えない。
「イネス様に、その祈りがしっかりと届くといいですね。
……その過ちに気づいて祝福が剥奪されるほどに、しっかりと」
「え?」
意味がわからず、サーシャが眉根を寄せる。
ゾルコは放浪神父などと呼ばれているが、他の神父たちが彼を敬っていたのを何度か目にしている。
軽率な反応はできないと、咄嗟に話題を変える。
「えっと……ゾルコ様が教会に来られるなんて珍しいですよね。
今日は、探し物はよろしいのですか?」
「はい。それはもう見つかりましたので」
「み、見つかったんですか!?」
その言葉に、サーシャは目を丸くした。
ゾルコはサーシャが教会に拾われるよりもっと前から、ふらふらと何かを探し続けていると聞いていた。
周囲からは、それが『存在しないもの』なのではと噂されていたくらいだ。
「ええ。一体どのくらい探していたのか……この僕にもわからないくらいですからね。
これでやっと解放されると思うと、嬉しい限りです」
「そ、それは、おめでとうございます」
サーシャが満面の笑みを張り付けるが、ゾルコが珍しく顔を曇らせる。
「ですが、その間に放置していたことが、少々惨事になってしまいましてねえ。
あれを取り戻す前に、色々と後始末をしないといけません」
「……後始末?」
「ええ。あの方が我に返ったとき、怒られるのは決まって僕なんですよ。
まったく、理不尽ですよねえ?
自業自得だというのに、どうして僕が――」
「……?」
ゾルコの言葉は、まるで靄がかかったように意味を成さない。
底知れない不気味さに、サーシャがこの場から離れようと思った瞬間、ゾルコがパン、と手を叩いた。
「ああ、そうでした!
サーシャさん。あなた、大きな祝福が欲しいんですよね?」
「は、はい」
「ええと……そうそう。なんと今、イネス様からありがたい御神託をいただきました。
あなたに、とても珍しい祝福が与えられるそうですよ」
「あ、あたしに、ですか?」
呆然とするサーシャの額に、ゾルコがそっと指先で触れる。
次の瞬間、温かい光が心臓の奥にまで染み込んでいく。
「ほら。いつの間にか、新しい力を感じませんか?」
「あ……ほ、本当だわ!?」
「祝福の使い方は……わかりますね?
いやあ、なんとも羨ましい。これは滅多にお目にかかれない、特別な祝福です。
使い方によっては、誰よりも大きな祝福を手に入れられますよ」
ゾルコがサーシャに拍手を送る。
祝福を受けると、自然とその能力を理解できる。
理解した瞬間、サーシャの顔から血の気が引いた。
――他人の祝福を奪う力。
それは、今まで聞いた、どんな祝福とも違う――歪んだ力だった。
「ど、どうして……あたしに、こんな祝福が……」
「それは……サーシャさんが、『聖女候補』に選ばれた、ということでいかがでしょう?」
「あ、あたしが、聖女!?」
「はい、そういうことにしましょう。なんとも素晴らしい、良かったですねえ。
どこまで聖女に近づけるかは、頑張り次第ということで」
ゾルコの言葉は、冷静に考えると胡散臭い。
けれど、そんなことを考える余裕はサーシャにはなかった。
――本当の特別になれる。
誰もが自分を見てくれる。
サーシャの頬が、抑えきれない喜びに紅潮する。
「御神託によると他にも聖女候補が現れるようなので、早く行かれた方がいいのでは?
そういえば、近くの村に巫女が一人いましたねえ」
「っ……それではゾルコ様、ごきげんよう!」
サーシャが勢いよく教会を飛び出すと、その背を見送りながら、ゾルコは細く目を細め、愉快そうに笑った。
「ええ、ごきげんよう……後始末は、僕の代わりに、特別になりたい皆さんにでも頑張っていただきましょう。
なんという妙案。僕って頭がいいですねえ」
祭壇の蝋燭の灯が揺れ、ゾルコの影が女神像の足元に大きく伸びる。
静まり返った教会に、自画自賛の乾いた拍手が響いていた。




