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17.祈り

 あたしは生まれて間もなく、村の入口に捨てられていたらしい。

 親も見つからず、引き取り手もなく、孤児として教会で育てられた。


 村に同年代の子供は二人。

 ミラとダニエル、二人との仲は悪くなかった。


 でも、日が暮れると二人は家族の待つ家に帰っていく。

 夕焼けの中、後ろ姿を見送るたび、胸の奥が軋んだ。


 あたしだけ、何も持っていない。


 皆、同じならいいのに。

 二人とも、家族なんていなければいいのに。


 そう、女神様に祈った。



 ある日、ミラの両親が事故で亡くなった。

 心の奥底で笑ったことを、今でも覚えている。


 ミラはあたしと同じ、ひとりぼっちだ。

 その事実が、嬉しかった。


 ……だけど、それは一時だけ。


 ミラは家族を失って、すぐダニエルとの婚約が決まった。


 家族がいないのは、あたしも同じなのに、どうして。


 どうして、ミラは『特別』になれたんだろう。

 女神様、どうか、あたしを『特別』にしてください。



 そして、あの日。

 あたしは、女神様から祝福を受けた。


 擦り傷を癒す程度の、小さな力。

 それでも、あたしは選ばれた。特別になれた。



 だから、ダニエルをもらった。


 もうミラには、誰もいない。

 昔のあたしと同じように、孤独になればいい。


 そのはず、だったのに。

 あの子は、もっといいモノを手に入れた。


 もっと特別になりたい。

 女神様、あたしをもっともっと、『特別』にしてください。



 ポイナ村の小さな教会。

 薄暗い教会で、蝋燭の光に照らされた女神イネス像が、ゆらゆらと影を落としている。


 サーシャが膝をつき、両手を胸の前で組んで祈っていると、不意に声をかけられた。


「これはこれは。熱心に何をお祈りですか?」

「っ!? ……誰!?」


 いつの間にか顔を覗き込んでいたゾルコに、サーシャが息を呑む。

 慌てて立ち上がると、顔に笑みを貼りつける。


「ごきげんよう、ゾルコ様。

 女神様に……もっと大きな祝福をいただけるよう、お祈りしていました」


「祝福? ああ、そういえばあなたも祝福持ちでしたか。

 なんとくだらない……まったく、嘆かわしいものです」

「……え?」


 聞き間違いかと、眉をひそめる。

 ゾルコはいつも穏やかな笑みを浮かべているのに、その瞳の奥は冷たく底が見えない。


「イネス様に、その祈りが()()()()と届くといいですね。

 ……その過ちに気づいて祝福が剥奪されるほどに、しっかりと」

「え?」


 意味がわからず、サーシャが眉根を寄せる。


 ゾルコは放浪神父などと呼ばれているが、他の神父たちが彼を敬っていたのを何度か目にしている。

 軽率な反応はできないと、咄嗟に話題を変える。


「えっと……ゾルコ様が教会に来られるなんて珍しいですよね。

 今日は、探し物はよろしいのですか?」

「はい。それはもう見つかりましたので」


「み、見つかったんですか!?」


 その言葉に、サーシャは目を丸くした。


 ゾルコはサーシャが教会に拾われるよりもっと前から、ふらふらと何かを探し続けていると聞いていた。

 周囲からは、それが『存在しないもの』なのではと噂されていたくらいだ。


「ええ。一体どのくらい探していたのか……この僕にもわからないくらいですからね。

 これでやっと解放されると思うと、嬉しい限りです」

「そ、それは、おめでとうございます」


 サーシャが満面の笑みを張り付けるが、ゾルコが珍しく顔を曇らせる。


「ですが、その間に放置していたことが、少々惨事になってしまいましてねえ。

 あれを取り戻す前に、色々と後始末をしないといけません」

「……後始末?」


「ええ。あの方が我に返ったとき、怒られるのは決まって僕なんですよ。

 まったく、理不尽ですよねえ?

 自業自得だというのに、どうして僕が――」

「……?」


 ゾルコの言葉は、まるで靄がかかったように意味を成さない。

 底知れない不気味さに、サーシャがこの場から離れようと思った瞬間、ゾルコがパン、と手を叩いた。


「ああ、そうでした!

 サーシャさん。あなた、大きな祝福が欲しいんですよね?」

「は、はい」


「ええと……そうそう。なんと今、イネス様からありがたい御神託をいただきました。

 あなたに、とても珍しい祝福が与えられるそうですよ」

「あ、あたしに、ですか?」


 呆然とするサーシャの額に、ゾルコがそっと指先で触れる。

 次の瞬間、温かい光が心臓の奥にまで染み込んでいく。


「ほら。いつの間にか、新しい力を感じませんか?」

「あ……ほ、本当だわ!?」


「祝福の使い方は……わかりますね?

 いやあ、なんとも羨ましい。これは滅多にお目にかかれない、特別な祝福です。

 使い方によっては、誰よりも大きな祝福を手に入れられますよ」


 ゾルコがサーシャに拍手を送る。


 祝福を受けると、自然とその能力を理解できる。

 理解した瞬間、サーシャの顔から血の気が引いた。


 ――他人の祝福を奪う力。

 それは、今まで聞いた、どんな祝福とも違う――歪んだ力だった。


「ど、どうして……あたしに、こんな祝福が……」

「それは……サーシャさんが、『聖女候補』に選ばれた、ということでいかがでしょう?」


「あ、あたしが、聖女!?」

「はい、そういうことにしましょう。なんとも素晴らしい、良かったですねえ。

 どこまで聖女に近づけるかは、頑張り次第ということで」


 ゾルコの言葉は、冷静に考えると胡散臭い。

 けれど、そんなことを考える余裕はサーシャにはなかった。


 ――本当の特別になれる。

 誰もが自分を見てくれる。


 サーシャの頬が、抑えきれない喜びに紅潮する。


「御神託によると他にも聖女候補が現れるようなので、早く行かれた方がいいのでは?

 そういえば、近くの村に巫女が一人いましたねえ」

「っ……それではゾルコ様、ごきげんよう!」


 サーシャが勢いよく教会を飛び出すと、その背を見送りながら、ゾルコは細く目を細め、愉快そうに笑った。


「ええ、ごきげんよう……後始末は、僕の代わりに、特別になりたい皆さんにでも頑張っていただきましょう。

 なんという妙案。僕って頭がいいですねえ」


 祭壇の蝋燭の灯が揺れ、ゾルコの影が女神像の足元に大きく伸びる。

 静まり返った教会に、自画自賛の乾いた拍手が響いていた。

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