14.ゾルコさん
「……あなた、誰ですか?」
目の前の侵入者に、不躾にそう告げられ、イスミルは一瞬言葉を失った。
「その言葉、そのままお返しします。どちら様でしょうか?」
警戒し、唸るように低く声を出す。
ミラはまだ、洞窟でボジョを見守っている。
回復までしばらくかかりそうだったので、イスミルだけで着替えや食料を取りに小屋へ戻ったところ、この不審者と鉢合わせをしてしまったのだ。
(……何故、この方がここに――)
イネス騎士団に所属するイスミルには、その姿に見覚えがあった。
大陸の教会を束ねる本教会の頂点、ゾルコ大司教。
何故だか放浪神父を装っているらしいが、その正体を知る者には決して忘れられない大物。
よりにもよって、その大物がミラの小屋に不法侵入している。
イスミルの背筋に冷たいものが走る。
「……ふむ。この展開は想定していませんでした。
ここ、ミラさんのお宅ですよね?」
「ええ。ですが今は留守です」
「おやおや、それは困りましたねえ。
では、ここでしばらく待たせていただくことにしましょう」
「ちょ、ちょっと待て! あなた、何者ですか!」
スロアは国王が使徒の末裔という理由で、教会よりも国王権力が強く、本教会との結びつきは薄い。
幸い、ゾルコはこちらを認識していないらしい。
ゾルコはふむと顎に指を添え、わざとらしく宙を見上げて、ぽんと手を打った。
「ああ、そうでした。僕はミラさんの恋人です。
すみませんが、恋人同士の語らいを邪魔しないでいただけますか?」
「こっ……! ふざけるな! あんた、ミラさんの親より年上だろうが!」
イスミルが騎士団に入った時、既にゾルコは大司教の座についていた。
にもかかわらず、彼の外見は今なお若々しい。その細い目は、笑んでいるのか、本心を隠しているのかがわからない。
ゾルコは肩をすくめて頬をかいた。
「おや……残念。僕を知っていたとは。
では、ミラさんの保護者ということでいかがでしょう?」
その軽薄さの裏に潜むのは、底知れない不気味さだった。
「最近は、邪教徒と誤解されたとか。
両親もおらず、婚約も破棄された……そんな彼女を、僕が守ってあげようかと。
――で、あなたは? ああ、泥棒でしょうか」
「ど、泥棒じゃない! 私は、ミラさ……ミラの婚約者です」
今はまだ「ふり」だけど、と心の中で付け足しておく。
一瞬、ゾルコが驚きの表情を浮かべ、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「それはいけませんねえ」
「……は?」
「ミラさんに、もう婚約者は不要です。むしろ――いてはならないんですよ」
「なっ!?」
怒りよりも先に、理解できない言葉への困惑がイスミルを支配する。
ゾルコがすっと歩み寄り、イスミルの顔を覗き込む。
その笑みは、人の姿をした怪物にも思えた。
「……ですが、また機嫌を損ねられると困りますしねえ?
やっと見つかったのに、また逃げられちゃうと、何故だか僕が怒られるんですよ。
ここはしばらく、様子をみることにしてあげましょう」
ゾルコの瞼がうっすらと開き、黄金の瞳が覗く。
その光に射すくめられ、イスミルは思わず後ずさった。
「なーんて。様子を見るのはただの『建前』です。
僕は少しやることがありますので。それまでの間――『婚約者ごっこ』でも楽しんでいてください」
「は……?」
ゾルコは軽く一礼し、くるりと踵を返す。
扉へ手をかけ――ふと振り返り、にっこりと笑った。
「そうそう。それは心ばかりの『お祝い』です。まだ必要でしょう?
それでは――」
呆然と立ち尽くすイスミルを残し、ゾルコはひらひらと手を振りながら去っていった。
静まり返った小屋に、場違いなほど重い沈黙が落ちる。
足元には、いつの間にか置かれた麻袋。
恐る恐る開けてみると――
「……そんな」
中には、粒の揃った大豆がぎっしりと詰まっていた。




