13.他人
机の下で、ボジョの体はぷるぷるとゼリーのように輪郭を崩しかけていた。
「や、やってしまいました……!」
「ど、どうしましょう、イスミルさんっ!
溶けたら、もう二度と戻らないって――」
「声が出せるなら、まだ望みはあります!
とにかく、乾燥した場所に避難……いや、この嵐では――」
「あっ、あります!」
ミラの脳裏に浮かんだのは、アルビンカがいた洞窟だった。
あそこなら、一年を通してひんやり乾燥しているはずだ。
◇ ◇ ◇
光苔が淡く照らす神秘的な洞窟。
アルビンカがいた広間まで辿り着くと、その荘厳な美しさにイスミルが息を呑んだ。
「これは……圧巻ですね」
ゼリー状のボジョが入った木桶を、かつてアルビンカが身を横たえていた定位置にそっと置く。
洞窟の空気は、乾燥してとても澄んでいる。
「ここなら、きっとボジョも戻りますよ」
「……よかった」
緊張の糸が切れたのか、ミラは胸を押さえながらその場にへたり込んだ。
「それにしても、こんな場所があったとは。
ずいぶん奥深そうですが、どこまで続いているんですか?」
「詳しく分かりませんが、色んな国に繋がっているらしいです。
むしろ入り口はあちらで、ここが最深部なんだとか」
アルビンカは元々別の国にいたと聞いた事がある。
誰にも邪魔されずに卵を温めるため、この最奥までやってきていたらしい。
ただ、この近くに地上へ繋がる小さな穴があり、その先がミラの畑だった――。
初めてアルビンカを見つけた時、『どうやってここまで来た!?』と驚かれた。「近所だから歩いてきた」というと、大いに笑っていた。
懐かしげに目を細めるミラ。
「そう、ここで出会ったんです。
この空間いっぱいの大きな竜で、最初は驚いちゃいましたけど」
「……は?」
間抜けた声がイスミルの口から漏れる。
――巨体すぎる。
その話が本当なら、親竜の四、五倍はある。
「本当に?」
「……? ええ。翼を広げられなくて、いつも窮屈そうに、丸まって眠っていましたよ」
ミラがそっと地面に触れた瞬間――
「……っ!」
床からいくつもの光球が生まれ、ミラの周囲をふわりと浮遊しはじめた。
「どうかしましたか?」
「……い、いえ……」
イスミルは笑顔を作ったが、背筋を氷で撫でられたように全身の毛が逆立つ。
それは竜にしか見えない――竜の思念。
(この力。まさか、ここにいたのは――)
空間を満たすほどの巨体に、残滓だけでも震撼させる力。
導き出される答えは一つしかない。
ミラが出会ったのは――伝説級の古代竜。
光球はミラを慈しむように集まり、彼女を包む。
それに触れた瞬間、眩暈が走った。
(これは……番を望む想いじゃないか!)
ミラは親友だと言った。だが竜の方は、違った。
圧倒的な力と深い愛情を見せつけられ、イスミルは拳を握りしめる。
(私は……何もかも、この竜に劣っているというのか……!)
◇
「おい!」
不意に声をかけてきたのは、ダニエルだった。
彼は村の入口で待ち構え、イスミルが一人で出てきた瞬間に突っかかってきた。
「……何か御用ですか」
冷たく返すイスミルに、ダニエルが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「用があるに決まってる! ミラは俺の婚約者だ!
お前、邪魔なんだよ!」
「……は?」
イスミルの表情が一瞬で歪む。
「貴方の婚約者は、あの巫女では?」
「サーシャなんか、もう関係ない!」
イスミルは薄く笑った。巫女がこの男を切り捨てたことはとうに知っている。
「俺にはミラしかいないんだ! 今すぐ出て行け!」
「……ミラさんが、貴方の元に戻りたいと思うと?」
「当然だ! 俺とミラは幼なじみなんだ!
他人のお前なんかに入る余地はない!」
「……他人、ですか」
イスミルが睨むと、ダニエルは勝ち誇ったように指を突きつける。
「そうだ! 俺達はずっと前から家族だ!
お前は、ただの他人だろうが!」
「……くだらない」
喉まで煮えたぎる言葉を押し殺し、イスミルは踵を返した。
◇
「……イスミルさん、大丈夫ですか?」
「ええ」
嫌なことを思い出してしまった。
(……お前の方が、よほど邪魔だ)
深呼吸して拳を解くと、心配そうなミラの額に自分の額を軽く寄せた。
「いい考えがあるのですが……。
この先、私と婚約者のふりをしていただけませんか?」
「こ、婚約者……のふり? ですか?」
「ええ。ボジョを隠して旅をするにも、男女での旅は悪目立ちします。
兄妹にしては似ていませんし、都合が良いと思うのですが」
「なるほど……。確かに。イスミルさんが嫌でなければ……」
「もちろん、喜んで」
にこやかな笑みに、ミラは頬を赤らめて微笑む。
彼女は疑いもせず「ふり」を受け入れたが――イスミルは「ふり」で終わらせるつもりは毛頭ない。
ミラを守るように漂う光球が、焦るように明滅する。
(親友と偽り、今更愛したいと? ……遅いんですよ)
虫を払うように手を振ると、光球は霧散して消えた。
「……おや。ミラさん、顔に何かついています。少し目を閉じてください」
「え? ありがとうございます」
素直に目を閉じたミラの額へ、イスミルはそっと口づけを落とす。
本来なら竜は口づけとともに力を流し込み、番を刻む――だが、今はまだ、しない。
「はい、取れました。……今はまだ、『予約』ということで」
「予約……?」
「いえ、次から次へと邪魔が入るので……ま、こちらの話です。
……なぁ、ボジョ?」
首を傾げるミラの隣で、少しだけ輪郭を取り戻したボジョが、じとりと恨めしそうにイスミルを睨んでいた。
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