表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/19

12.一緒に

 窓の外では、しとしとと雨が降り続いていた。

 村の往来もすっかり途絶え、静寂に包まれている。


「雨が降ると、人が寄りつかなくて清々しいですね」


 朗らかに言い放つイスミルに、ミラは思わず口元を引き攣らせる。


(……あなたのせいですよ、あなたの)


 彼が住み着いてからというもの、家の周囲で人影を見かけることが増えた。

 その中には、しつこくまとわりつくサーシャの姿もある。

 そして、サーシャを探しているのか、ダニエルが小屋を怪訝そうに見つめることさえあった。


 二人と会うのが嫌で、最近は買い物に出るのも気が重い。


「それに、この湿気。幼竜には最も心地いい環境なんですよ」


 完全に回復したボジョが、長い体をぐにゃりとくねらせて伸びをする。

 イスミル曰く、幼竜は空気中の水分で、エラ呼吸ができるのだという。


(にしても……この人、どうしてそんなに詳しいのかしら)


 アルビンカから教わった程度ではとても知り得ない、専門的すぎる知識を口にする。

 そのおかげで、ボジョを無事に育てられているのは確かだが、不思議で仕方がない。


 ミラが小さく首を傾げた時、ボジョが丸まって短い後ろ脚で脇腹をカシカシと掻いた。


「ボジョ、痒いの?」


 これまで、こんな仕草は見た事がない。

 心配そうに身を屈めるミラの頬に、イスミルの吐息がふっと触れるほど近づく。


「擬態が近いんです。体がむず痒くなるんですよ。

 もう少しで、擬態が始まるかもしれませんね」


「……擬態!

 あと、どれくらいですか!?」


「個体差もあるし、親竜にも左右されますので、難しいですが……。

 早ければ、今晩かもしれませんね」


「そう、今晩……」


 ミラは服の上から、アルビンカの形見である牙の欠片をそっと握りしめた。

 無事に、アルビンカとの約束を果たすことができそうだ。


 飛竜に擬態できれば、ボジョの体が安定する。

 そうなれば、ミラだけでボジョを育てられるし、この村を出ることもできる。


(……イスミルさんとも、これでお別れ、しないと)


 安心したと同時に、胸の奥に、じんわりと寂しさが広がった。


 竜を黙認し、さらに保護までしていると知られれば、命すら危ういというのに、ずっと側にいてくれた。

 擬態が済めば、彼を元の生活に戻してあげないといけない。


 だけど、イスミルは優しい人だ。

 行き先を知らせれば、きっと気にかけてくれる。

 そして自分も、甘えて連絡を取るかもしれない。


 元の生活に戻るためには、そんなこと許されない。

 いっそ、今晩、何も告げずに――。


 ミラの思いつめた表情に、イスミルが眉を寄せる。


「ミラさん、今――」


 ――ポツリ。


 冷たい感触が頬を打ち、言葉が途切れる。

 頬に触れると、指先には水滴。見上げれば、天井からしずくが落ちていた。


「え、水!?」

「あっ! この小屋、古くて雨漏りするんです」


 慌ててミラは戸棚からコップを取り出し、雨漏りの定位置に次々と置いていく。

 まるで長年の経験で位置を知っているかのような、手慣れた動きだった。


 その手際のよさに見とれてしまって、机の上にも水滴が落ちていると気づくのが遅れてしまった。


「……オォ」

「ボジョ!」

「ボジョ!?」


 水滴が、ボジョの体に落ちては吸い込まれていた。

 その度にブヨン、ブヨンと膨らみ、弾力を増している。


「い、いけない! これ以上膨らむと――」


 イスミルが即座にボジョを机の下へと抱えて避難させた。

 ミラも慌てて駆け寄る。


「あ、ありがとうございます。あの場所は、初めての雨漏りで……」

「まだ、ボジョは大丈夫そうですが……これは厄介ですね」


 床や机には、配置された食器が水を受け止めて並んでおり、部屋の湿度は一気に上がっている。

 いつしか外は土砂降りで、すでにいくつかのコップから水があふれ出していた。


「……これ以上水を吸収すると、体が溶けてしまう可能性があります。

 何とか水を避けないと」


「と、とける!?」


「ええ、ドロドロに。そうなると、二度と戻らないかもしれません。

 これ以上雨漏りが酷くなる前に、屋根を直しましょう」


 急いで外に出ようとするイスミルを、ミラが制止する。


「ま、待ってください、屋根も古いので危険です!

 それに、今晩……っと」


 慌てて、ミラが言葉を飲み込む。


 今晩、イスミルに気づかれないよう、小屋を捨てて出て行くつもりだ。

 危険を冒してまで、屋根を直す必要がない。


 そう考えた瞬間、イスミルから表情が消えた。

 ミラに低く問いかける。


「先ほど、聞きそびれましたね。

 ……『今晩』、どこへ行くつもりですか?」


 急変したイスミルに、ミラがたじろぐ。


「え……えっと。……何のことですか?

 そ、それより、ボジョを拭かないと――」

「はぐらかさないでください!」


 ミラの肩を、イスミルが掴もうとした瞬間――


「きゃっ!」

「わっ」


 濡れた床に足を取られ、二人が倒れ込む。

 イスミルが覆いかぶさる形になり、コップが倒れて床一面に水が広がった。


「た、大変! ボジョが濡れちゃう――」


 立ち上がろうとするミラを逃さぬよう、イスミルが両腕を押さえ、真剣な瞳で覗き込む。


「イ、イスミルさん?」

「まだ答えていません!

 どこへ、行くんですか!?」


「あ、あの……えっと……」


 曖昧に微笑むミラに、イスミルは苦しげに顔を歪めた。


「まさか……行き先も告げずに……黙って出ていくつもり……ですか?」

「……」


 その沈黙が、肯定だと言っている。

 愕然とするイスミルから力が抜けた。


「どうして……」

「で、でも、その方が……お互い、いいですよね?」


 どう考えても、それがイスミルのため。


 これ以上話すと、ミラの気持ちも揺らぐ。

 早々に会話を切り上げて身を起こそうとした、その時――


「よくありません!」

「っ!?」


 今すぐにでも力を流して求愛してしまいたい。

 だが、正体を知られると、恐れられるかもしれない。


 葛藤しながらも、ミラを強く抱き寄せる。


「一緒に、行きます」

「ど、どうして!? いけませんよ!

 これ以上、迷惑をかけるわけには――」

「迷惑じゃありません!

 むしろ、勝手にどこかへ行かれる方が、ずっと迷惑だ!!

 ……あなたがいないのは……不安です」


 イスミルの声は、微かに震えていた。


(ど、どういうこと!? でも……この感じ――)


 重なるように、寂しそうな竜の声が思い浮かぶ。


『ミラよ、また我を置いて帰るつもりか。

 次はいつ来るのだ。明日か?』


 アルビンカも、首を巻きつけるようにミラを抱きしめ、よくこうして引き留めていた。


(……やっぱり。イスミルさん、アルビンカに似ている)


 ふぅ、と小さく息を吐くと、かつてアルビンカにそうしていたように、そっとイスミルの頭を撫でる。


「ごめんなさい。出る時は、ちゃんと言いますから」

「やっぱり……私を……置いて、行くんですね?

 ……どうして――」


 震える声に、ミラの心も揺れる。

 それに、連れて行くと言わない限り、離してくれそうもない。


「竜と旅なんて、きっと大変ですよ?

 ……それでも?」


 イスミルが小さく、子供のように頷いた。


「……変な、人、ですね」

「変でも何でもいいです。何があってもついて行きます」


 思わず、ミラから笑みが漏れる。


「仕方ないですね。じゃあ、一緒にどこに行くか考えてくれますか?

 でも、その前に水を片付けないと。ボジョが濡れてしまいます」

「……そう、ですね。ボジョが濡れ――」


 はっとして二人で振り返ると――


「「濡れ……溶けてる!?」」

「エッエッエッ」


 ゼリーのようなぷるぷるとした物体が、「モドシテ」と言わんばかりに鳴いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ