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10.幼竜

 ――生まれて初めて目にしたのは、燃え盛る火の海だった。


 遠くで空を裂いて争うのは、二匹の竜と人間達。

 その竜こそが、自分の母と父であることを、本能で理解した。


 ――逃げろ。

 ――生きろ。


 卵を破った瞬間から、親竜の願いが胸の奥に響いていた。

 だが、殻を出たばかりの身体は乾き、ひび割れそうだ。

 重たい身を、短い手足でどうにか持ち上げ、ベタベタと這って逃げた。



 しとしとと降り注ぐ雨に触れると、ひび割れた皮膚が剝がれ落ち、代わりに身体が膨張して動けなくなる。

 雨のあいだは、大きな葉の裏に潜り込み、ただ震えていた。



 日陰を選びながら少しずつ進み、ようやく小さな村の輪郭が見えた。

 どれほど歩いたのか、分からない。


 振り返れば、遠くにまだ赤黒い炎が揺らめいている。

 親竜はまだ、戦い続けているのだろう。


 ――この先、自分はどうなるのか。

 ――生き延びることができるのか。


 そんな思いに心を奪われ、つい油断した。

 木陰を外れ、陽光に触れてしまったのだ。


 全身がパリンと硬化し、肺が凍りついたように呼吸が止まる。

 必死に声を絞り出すが、親に届くはずもない。


 ――これで終わりか。

 生まれてわずかで、命は尽きるのか。


 そう思った刹那――


「あら……蛇が鳴いたのかい? ……いや、手足があるからトカゲかねぇ。

 あの戦火で乾いちまったのかい、かわいそうに」


 柔らかな声と共に、浮遊感に包まれた。



 助けてくれたのは、一人の老婆だった。

 干からびた身体に偶然にも水を注がれ、命を繋ぎ止める。


 老婆には家族がなく、長く孤独に暮らしていた。

 竜の幼子だとは知る由もなく、ただ弱った小さな命を憐れんだ。


 怖かった。人間は恐ろしい。

 だが、この人の前では、震えが止まった。


 奇跡的に老婆が飲んでいた温かな豆乳を求めると、不思議そうに笑いながらも与えてくれた。

 それがきっかけで、老婆は寂しさを埋めるように、自分を家族として迎えてくれた。



 柔らかく煮た大豆を指先で摘みながら、老婆はよく語った。

 竜と騎士団の戦は終わり、多くの命が失われた。

 だが、二匹の竜は討伐され、都では盛大な凱旋式が開かれているという。


「犠牲を出してまで、竜と戦う必要があったのかねぇ……。

 竜も生き物だよ、可哀そうに。邪教徒だけを取り締まればよかったんじゃないかねぇ」


 そう呟き、老婆は静かに墓を見やった。

 庭には二つの小さな墓が並んでいた――夫と、一人息子のもの。

 老婆の手は、寂しさを滲ませながらも優しく頭を撫でてくれた。



 やがて、竜の血が疼き、擬態の刻が訪れた。

 生きるために、竜は周囲に合わせて姿を変える。


 老婆の目の前で、エラは溶けるように消え去り、骨格がきしみ、やがて人の姿へと収まった。

 擬態は体に馴染むまで繰り返されるというが、その瞬間、自分の中で『形』が定まり、この姿こそが居場所だと直感した。


 老婆は驚きに息を呑んだが、やがて震える手で頬を撫でた。


「……あの子に似てる。これは女神さまの祝福だ」


 涙を流して、失った息子の影を重ねて喜んだ。


 竜であることを告げると、老婆はしばし沈黙した。

 だが、追い出すことはせず、ただ泣きながら抱きしめて言った。


「もう一度、私の子になっておくれ」


 こうして、自分は老婆の息子として育てられることになった。

 息子の名を譲り受け、「イスミル」と呼ばれるようになった。


 竜の血を抱えながらも、人間の愛と共に育った――それが、自分の始まりだった。

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