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『魂を導く紋章師、死者の誓いを継いで世界を救う』  作者: nukoto


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第61話 「いっしょの朝」

 柔らかな光が差し込み、薄い帳を押しのけるように部屋を満たしていく。

 その光にまぶたを揺らしながら、リアンは目を覚ました。昨夜の夢の余韻がまだ胸にくすぶっている。

 けれど視線を巡らせると、すでにサラと小鳥は起きていて、並んでこちらを見つめていた。


「おはよう」

 サラが柔らかく微笑む。その声に重なるように、小鳥もぱたぱたと羽を震わせ、弾む声を真似た。

「おはよう!」


 思わず、リアンの口元にも笑みが浮かぶ。

「おはよう。ふたりとも、早いね」


 小鳥が胸を張って「はやい!」と復唱し、サラが肩をすくめた。

「この子は朝型ね。……ママは夜番明けの顔だけど」

「ママ、ねむい」

「そこは真似しないの」


 短い挨拶とやり取りが、夜の静けさを払うように温かく響いた。


 サラは立ち上がり、顎で部屋の隅を示す。

「顔、洗いなさいよ。準備しておいたから。ぬるいから、冷めないうちに」

「ありがとう」


 桶にはすでに温かな湯が張られ、うっすらと湯気が立ちのぼっている。

 誰よりも早く目を覚まし、きちんと支度を整えたのだろう。

 リアンは小さく礼を言い、両手を浸して顔を洗った。指先を伝う温もりが、眠気をゆっくりと溶かしていく。


「顔を洗ったら、ご飯を買いに行こうか」

「……わかった」


 濡れた顔を拭こうと、リアンはイスに掛けてあったタオルに手を伸ばす――

 だが、そこには小鳥が止まっていた。


 ぱさり――羽先がタオルを払い、コトと右手の甲に降りた。

 その瞬間、指先の血流がトンと跳ねる。

 熱でも痛みでもない。内奥をそっと撫でる、あの微震。

 導きの場でしか鳴らないはずの感覚が、いま、ここで。


(……どうして、ここで? この子と“何か”が繋がっている?)


「ごめんね、ちょっと借りるよ」

 リアンがタオルをそっと引き出すと、小鳥はふわりと飛び上がり、彼の手から離れた。


「パパ! パパ!」

 弾むように鳴き声を上げる小鳥。

「どうしたんだい? お水が気になる?」

「みず!」

「単語増えたわね」サラが感心して笑う。


「ほら、こっちにおいで」

 サラが手を差し出すと、小鳥は素直に彼女のもとへ飛んでいった。

 リアンは思わずその背を見送りながら、右手の感覚を確かめる。

 魂を導くときにだけ感じる、あのかすかな震え。

 温度とも痛みとも違う、内奥を撫でられるような感覚。

 胸の奥に、小さな疑念が芽吹いた。



 支度を整え、二人は部屋を出ようとした。

 だが小鳥はベッドの上に残り、つぶらな瞳でじっとこちらを見て動こうとしない。


「おいで」リアンが呼ぶ。

「行くわよ」サラも手を伸ばす。


 けれど小鳥は首をかしげ、羽を震わせるばかりだった。

 小さな体が、扉の隙間をちらりと見やる。


「……待ってて? 待ってて?」


 小さな声が響き、二人は思わず顔を見合わせた。


「……今の、“待ってて”って言った?」

「そう聞こえたわ。誰を待つの、あなた?」


 小鳥は嬉しそうに首を傾げ、もう一度「待ってて?」と繰り返す。

 その声音は無垢で、意味は測りかねるのに、不思議と胸に残った。


 サラは苦笑し、ベッドまで戻ると小鳥に語りかけた。

「待たなくていいの。一緒に行くんだから。ね?」

「いっしょ?」

「そう、“いっしょ”。ほらおいで」


 両手を差し伸べると、小鳥はぱっと羽を広げ、勢いよくサラの胸元へ飛び込んだ。

「ママ! ママ!」

「はいはい。……甘えんぼ」


 その愛らしい姿に、リアンも思わず頬を緩めるのだった。



 石畳の通りは朝から活気に満ちていた。

 屋台のあいだを行き交う人々の声、果物を並べる商人の呼び込み、焼きたての香ばしい匂いが混ざり合って漂ってくる。


 パンの屋台では、大きなかまどの口が開き、パキンと焼け目が裂ける香りが弾けた。

 女主人が紙包みを二度“くるっ”と折り、小さな丸パンをぽんと足す。


「よく食べる子がいるみたいだからね。おまけしておくよ」

「ありがとう」リアンが頭を下げる。

「助かるわ」サラも笑う。


 小鳥はサラの肩の上で嬉しそうに羽を震わせ、「パン!」と誇らしげに鳴いた。

「覚えるの早いこと」女主人が目を細めた。



 女主人から教えてもらった修理場へ向かうと、木の香りと鉄の音が満ちる。

 職人が木槌を手に車輪の縁を叩き、木目を確かめ、力強く頷いた。


「任せときな。明日には走れるように仕上げる」

「本当に? 助かります」リアンが息をつく。

「いい腕ね」サラが短く礼を言うと、職人は鼻を鳴らした。

「旅の人の足を止めちゃいけねえって、親方に叩き込まれてんでね」


 その言葉に、リアンは胸の奥の緊張がほどけていくのを感じた。

 サラも「よろしく」と声を落とし、二人は肩を並べて通りへ戻る。



 帰り道、露店の果物を眺め、飴細工の屋台で器用な職人が小さな鳥を作るのを見て足を止めた。

「見て、そっくり」サラが肘でつつく。

 小鳥は飴の鳥に近づいて、得意げに「ツバメ!」と叫び、屋台の兄ちゃんが笑った。

「いい声だ。……飴、ひとつおまけしとくよ」

「ありがと」リアンが受け取り、小鳥が「ありがと!」と真似をする。

「教え甲斐あるわね」サラが誇らしげに頷く。


 サラはふと周囲を一瞥し、短く息をついた。

「……今日は平和ね」

 その声はほんの一瞬、戦場にいた頃の鋭さを帯びていたが、すぐに微笑みに溶けていった。


 人々の笑い声と子供のはしゃぐ声が響き、町は戦場とは無縁の穏やかな色彩に満ちていた。


「これで……明日には出発できるね」

「ええ。良かったじゃない」

 サラは振り返り、陽射しを受ける横顔を柔らかくほころばせた。


 その肩に止まった小鳥は、二人を交互に見てから首を傾げた。

「君も一緒に行こうか」サラが優しく呼びかける。

「一緒! 一緒!」

 小鳥はぱたぱたと羽を震わせ、弾むような声で答える。


 その無邪気な響きに、サラは笑い、リアンも目を細めた。

「……決まりだね」

「決まり!」


 ただの言葉の真似事にすぎないのかもしれない。

 けれど、その「一緒」という響きは、リアンの胸の奥に静かに広がっていった。


(これまで導いてきた多くの魂は、孤独のうちに去っていった。……でも)

 肩に寄り添う小さな命が「一緒」と言ってくれる――それだけで、心の深い場所に温もりが灯る。


 リアンは小鳥を見つめ、小さく息をついた。

(……本当に、不思議だな)


 その視線を受けた小鳥は、得意げに羽を広げてもう一度「一緒!」と繰り返す。

 声は喧騒の中でひときわ澄み、リアンの胸に確かな余韻を刻んだ。



 夕方、宿の部屋に戻ったリアンとサラは、翌日の出発に備えて荷物をまとめていた。

 床には広げられた鞄が二つ。衣服をたたむサラの手元を、小鳥が首をかしげながらじっと見ている。


「これは『服』。ほら、ふ・く」

「ふく!」

「上手ね」

 サラは思わず笑みをこぼし、頭を撫でた。

 小鳥は言葉を覚えたことが嬉しいのか、それともサラが喜んでくれたのが嬉しいのか――

 どちらにせよ、その瞳はきらきらと輝いていた。


 リアンは巻物や道具を整えながら、横目でその様子を見て微笑む。

「“服”覚えたなら、“靴”もいけるかな?」

「くつ!」

「吸収が早いこと」サラが小さく笑う。


 荷物の重さよりも、胸の内に溜まっていた緊張の方が少しずつ軽くなっていくのを、リアンは確かに感じていた。



 支度を終える頃には、空が茜に染まり、窓から射す光が部屋を柔らかく照らしていた。

「夕飯はどうする?」

 リアンが立ち上がると、サラは小鳥の羽を整えながら顔を上げる。

「昨日と同じでいいわ。お願いできる?」

「わかった。すぐ戻る」

「気をつけて。……寄り道は、パン屋の前だけにしてね」

「努力してみる」


 やがて、香ばしい匂いをまとった袋を抱えて戻ってくる。

 木の机の上に並べられたのは、焼きたてのパンに野菜のスープ、軽く炙った肉。素朴だが温かみのある夕餉だ。


 三人――いや、二人と一羽は、机を囲んで手を伸ばした。

「いただきます」

「いただきます!」


 小鳥が真似て鳴き、サラが吹き出す。

「礼儀正しいじゃない」

(小鳥が胸を張る)

「先生がいいから」

「でしょ?」


 戦場の残り香が染みついたような日々の中で、こんな穏やかな時間が訪れるとは――。

 リアンは静かに胸の奥でその温もりを確かめながら、パンを口に運んだ。



 夕食を終えると、サラは小さな幻鳥を呼び出した。

 光の羽をもつ小鳥たちはふわふわと宙を舞い、本物の小鳥と戯れる。

 追いかけたり、羽をぶつけ合ったり――やがて小鳥は遊び疲れて、サラの胸に身を寄せるようにして眠り込んだ。


 サラはその小さな寝顔を見下ろし、穏やかに目を細める。

「……ほんと、可愛いわね」

「うん」


 その声には、戦場に立つときの鋭さは欠片もなく、ただ温もりだけがにじんでいた。


 リアンはベッドの端に腰掛け、手の甲を見つめていた。

 朝、小鳥が止まったときに走ったあの違和感――魂に触れられたような微かな震え。

 気のせいでは済ませられない感覚が、ずっと胸に残っている。


 視線を上げると、サラと目が合った。彼女は怪訝そうに首を傾げる。

「どうしたの?」

 リアンは小さく息を吸い、言葉を選ぶように口を開いた。

「……朝、この子が僕の手に止まったとき、変な感覚があったんだ。魂を導くときに近い……そんな震えを」

 サラは少し驚いたように目を見開き、胸で眠る小鳥に視線を落とす。

「……それは、ただの偶然じゃないのね」

「うん、たぶん。――気のせいで済むなら、それに越したことはない。でも見落としはしない」


 部屋に静けさが落ちる。

 窓の外からは遠い喧噪の残り香と、夜の虫の音だけが届いていた。


「明日、次へ向かうんでしょ」

「ああ」

「じゃあ――確かめよう。あなたの“感覚”も、この子の“ことば”も」

「うん。一緒に」


 サラは小さく頷き、胸の小鳥をそっと抱き直す。

「いっしょ……ね」

 寝息の合間に、小鳥が夢の中で小さく「いっしょ」と呟いた。


 炎がちりと鳴き、芯が短くなる。

 闇は布のようにやわらかく降り、二つと一羽の寝息がスゥ…スゥ…と重なった。

 その直後、木枠がかすかにミシ…と鳴り、遠くで小さな雷のような音が一度だけ響いた。


 


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