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『魂を導く紋章師、死者の誓いを継いで世界を救う』  作者: nukoto


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第21話 「継がれる盾」

アトリエを出ると、夜の風が頬を撫でた。

 街の灯はまばらで、遠くの塔だけが淡い光を残している。


 リアンは小さく息を吐いた。

 背中には、まだ《箱舟》の余韻がわずかに残っている気がした。

 魂を導いたわけではないのに――心のどこかが、静かに満たされていた。


 サラは隣で歩調を合わせながら、ぽつりと呟く。

 「……あの家紋師、あんたのこと、すごく興味ありそうだったわね」

 「うん。でも、悪い人じゃないと思う」

 リアンは小さく笑う。

 「“記す者”の目をしてた。俺たちとは違うけど、似てた」


 サラは無言でうなずき、石畳の音だけが二人の間に続いた。

 坂を下る途中、街灯の明かりが途切れる。

 夜の空気が冷え、遠くで鐘の音がひとつ響いた。


 「……ねえ、リアン」

 サラの声が少しだけ柔らかくなる。

 「導きってさ……あんたにとって、何なの?」

 リアンは少し歩を緩め、夜空を見上げた。


 「……誰かが“還れない”って思ったとき、

  その手を取って“帰っていい”って伝えること。

  それだけ、かな」


 短い沈黙。

 サラは鼻を鳴らし、小さく笑った。

 「……あんたらしいわね。

  けど、そう簡単に言えることじゃない」


 「うん。だから、たぶん――それは一生かかると思う」

 リアンの声は静かで、それでいて確かだった。


 風が白花の香りを運び、二人の間を通り抜ける。

 夜空には星が少なく、薄雲がゆるやかに流れていた。


 宿の明かりが見えたとき、

 サラがふと立ち止まる。


 「リアン」

 彼女は振り返り、わずかに微笑んだ。

 「……あんたの舟、見てると少し安心する。

  でもね、あんたが導くとき――あんた自身が、いちばん無防備になるの」


 リアンは目を瞬かせ、静かに頷いた。

 「知ってる。……だから、君がいる」


 サラの唇がかすかに動く。

 言葉は風に消えたが、

 その表情には確かな温度があった。


 夜は深まり、街の灯がひとつ、またひとつと消えていく。

 白花の香りだけが、まだ微かに残っていた。



  夜。

 宿の部屋には、白花の香りがかすかに残っていた。

 リアンは椅子に腰を下ろし、灯りもつけずに思索を続けていた。


 (……あの騎士)


 ひとりで、ずっと立ち続けていた。

 誰も来ない場所で、敵の影を見張り、通路を守り続けていた。

 どれだけの年月が経ったのかもわからないまま。


 (もう……いいはずだ)


 リアンは胸の奥でつぶやく。

 もう、休んでいい。

 けれど、彼はまだあの場所に立っている。

 守り続けている。


 (きっと、この街に――大切な何かがあったんだ)

 (だから、彼は“それ”を守り続けている)


 リアンは拳を握った。

 (……もし、守らなくてもいいようにできたら?)

 (誰かが代わりに守ることができたなら――彼はようやく眠れるんじゃないか?)


 そう考えた瞬間、胸の奥が熱くなった。

 “導く”というより、“引き継ぐ”という感覚。

 守る想いを無にしないために、何かを見つけなければならない。



「……もし、あの通路を、紋章で守ることができたら……」


 言葉は小さく、それでいて確かな響きを持っていた。

 自分に言い聞かせるように、リアンはそう呟く。


 そのとき、背後から声がした。


 「……ようやく顔が戻ったじゃない」


 振り返ると、サラが壁にもたれていた。

 灯りもつけず、月明かりだけを背にして。

 いつからそこにいたのか、わからない。


 「無茶はダメよ」

 「わかってる」

 リアンは苦笑して答える。

 「でも……放っておけない」


 サラは小さく息をつき、窓の外へ視線を向けた。

 「そう言うと思った。……なら、あたしもつきあう」

 「……ありがとう」


「……俺が、代わりになるものを作る」


その言葉を、サラは黙って聞いていた。

彼の目の奥に灯った光が、月明かりを受けて淡く揺れていた。


「紋章を、作るのね」

サラの声は低く、けれどどこか優しかった。


リアンは頷く。

「あの人が守り続けたものを、今度は俺が守る番だ」


 二人の間に言葉はそれ以上なかった。

 ただ、夜風が白花の香りを運び、

 月が静かに二人の影を重ねていた。


 夜。

 灯りひとつの部屋で、リアンは静かに机にむかっていた。

 机の上には素材の欠片。淡い光を帯びた石片、白花の花、そして鉄から抽出した一筋の光。


 彼の手つきには迷いがなかった。

 「守りの紋章」は、師から学んだ基礎中の基礎。

 だが、そこに込める想いは、教えられたものではない。


 彼は、あの孤独な騎士の背を思い浮かべながら、筆を走らせた。

 魂を導く線が、守りの意志へと形を変えていく。

 光の輪がひとつ、またひとつと重なり、静かな鼓動のように共鳴を始めた。


 ――“防壁”。

 ――“視を遮る霧”。

 ――“突破されれば知らせる共鳴”。


 線が閉じ、紋章が完成するころには、空が白み始めていた。


 サラがそっと近づき、肩越しにその光を見つめる。

 「……どういう紋章なの?」

 リアンは淡く笑い、答えた。

 「防壁と視覚阻害、それに……突破されたら知らせる共鳴だ。

  これを、街の冒険者ギルドに渡す。

  あの通路に刻めば――この街を、もう“死者”が守らなくていい」


 彼は筆を置き、静かに言葉を結んだ。

 「……生きている者が、引き継がないといけない」


 朝の光が差し込み、完成した紋章がかすかに輝く。

 それはまるで、眠る騎士への“約束”の証のようだった。


 紋章の意匠は、ひとつの《盾》と、その外周を包む《霧》。

 盾は“守る意志”を、霧は“悲しみを覆う優しさ”を象徴していた。

 そしてその中心には、微かに共鳴する光の環――

 “生者が受け継ぐ誓い”を示す、たった一つの印が刻まれていた。


 リアンは静かに目を閉じる。

 「……これで、ようやく休めるはずだ」


 外では朝の風が白花を揺らし、

 新しい一日が始まりを告げていた。



 街に陽が昇り、石畳の路地を淡い光が照らしていた。

 白花の香りがまだ微かに残る風が、リアンの外套を揺らす。


 彼は完成した紋章を包んだ布袋を抱え、サラとともに街の坂を下っていた。

 ギルドの建物は、早朝の光の中に静かに佇んでいる。

 広場では職人たちが荷を運び、衛兵が交代の号令をかけていた。

 街は少しずつ、眠りから目を覚まし始めている。


 「……これで安らげるかな?」

 サラが横目でリアンを見る。

 リアンは頷き、小さく息を吐いた。

 「守るべきものは、生きている人たちの手に戻さなきゃいけない」

 「……そうね。死者には休んでもらわないとね」

 サラは微かに笑い、肩を並べた。


 ギルドの扉を押し開けると、朝の光と混じるように暖かなざわめきが流れ込む。

 依頼書を貼る職員、装備を整える冒険者たちの声。

 生活の匂いが、ゆっくりと街に戻っていた。


 受付のカウンターに立つ壮年の職員が顔を上げる。

 「おや、あなたは……導き手殿。何か依頼ですかな?」


 リアンは静かに首を振り、布袋を机の上に置いた。

 「いいえ。……報告に来ました」


 職員が怪訝そうに眉をひそめる。

 リアンは少し言葉を選びながら口を開いた。


 「旧市街地の外れに――一人の騎士がいました」

 職員の表情が変わる。

 リアンは続けた。

 「もう、ずいぶん昔の人です。けれど今も、あの通路を守り続けていた。

  誰も来ない場所で、敵を見張り、街を……」


 「まさか、そんなことが……?」

 職員の声には驚きと同時に、どこか痛みが滲んでいた。


 リアンは小さく頷く。

 「彼は、ずっと一人で戦っていました。

  でも、それはもう“義務”ではなく、“想い”だった。

  この街に大切な何かがあったんだと思います」


 カウンターの向こうで、職員は黙って拳を握りしめた。

 「……そんな話は、記録にも残っていませんでした」


 リアンは布袋を開き、中から淡く光る紋章を取り出した。

 「だから――これを作りました」

 光がゆるやかに脈打ち、机の上を照らす。


 「防壁と視覚阻害、そして突破時の共鳴信号。

  この紋章を通路に刻めば、侵入を知ることができます。

  ……もう、あの人が立ち続ける必要はありません」


 職員は目を見開き、しばらく言葉を失った。

 「なるほど……この紋章はあなたが?」

 「はい。これは、守りの紋章師――俺の師が教えてくれた技です」

 リアンは穏やかに微笑んだ。

 「彼の想いを無駄にしないためにも、この街は、今いるものが守らなくてはいけない」


 サラが一歩前に出て言葉を添える。

 「彼はずっと戦ってた。……誰かが、その想いを受け取らなきゃいけないの」


 職員はゆっくりと頷き、目を伏せた。

 「……わかりました。責任をもって設置します」


 リアンは深く頭を下げた。

 「ありがとうございます。もう一つの紋章はこちらで刻みます」


 白花の香りを含んだ風が、開いた扉から流れ込む。

 光を浴びた紋章の表面が、かすかに煌めいた。


 リアンはそれを見つめながら、静かに呟いた。

 「――守るのは、これから生きる者たちの番だ」


 その言葉に、サラは静かに微笑んだ。

 ギルドの外では、陽光が街路を染め始めていた。

 白花の花弁がひとひら、彼の手の甲に舞い落ちる。

 それはまるで、騎士からの“感謝”のように淡く光っていた。

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