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『魂を導く紋章師、死者の誓いを継いで世界を救う』  作者: nukoto


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第18話 刻む朝、導く花

淡い光が、窓辺を染めていた。

 夜の気配が静かに後ろへ退き、街の屋根がひとつずつ朝の色に変わっていく。

 鳥の声。パン屋の煙。石畳を掃く音。

 ――それらが、ゆるやかに「日常」という形を取り戻していた。


 リアンはまどろみの中で目を開けた。

 胸の奥に、まだあの夢の余韻が残っている。

 “ありがとう”という声。

 どこか懐かしくて、痛いほど優しい響きだった。


 寝台の隣では、サラがまだ眠っていた。

 毛布からのぞく指先がかすかに動き、陽の光を掴むように握られている。

 その無防備な仕草に、リアンは思わず笑みをこぼした。


 (……ようやく、普通の朝だな)


 静かに身を起こし、窓を開ける。

 ひんやりとした風が入り込み、木の香りと焼きたてのパンの匂いが混ざった。

 遠くの鐘が鳴り、街が動き出す。


 「……いい匂い」

 いつの間にか目を覚ましたサラが、寝ぼけた声で呟いた。

 「朝食、行こ。あんたの腹も鳴ってるでしょ」


 「……うん。ようやく落ち着いた気がする」

 「そりゃそうでしょ。」



 二人は宿の一階に降りた。

 窓から差し込む光が、テーブルの上の陶器を柔らかく照らす。

 焼き立てのパンの音、香ばしいスープの湯気、

 店主の「おはようございます」という声――

 そのすべてが、どこか懐かしい“生の証”だった。


 サラがパンを割りながら笑う。

 「ねぇ、今日も休みでしょ? 街でも見て回ろうよ」

 リアンは少し考えてから、頷いた。

 「……いいかも。昨日の街の風景、まだちゃんと見てないし」

 「そうそう。導き手も、たまには“生者の案内”くらいしなきゃね」


 窓の外では、朝の光が通りを満たしていた。

 風が銀の髪を揺らし、リアンは静かに目を細めた。

 世界は、今日も“息づいている”。

 それだけで、胸の奥が少し温かくなった。


 昼前の陽射しが、街の屋根に反射していた。

 通りには行商人の声が響き、色とりどりの布が風に揺れている。

 パン屋の子どもが袋を抱えて駆け抜け、香ばしい匂いがあとを追った。


 サラは露店の列を抜けながら、振り返って言った。

 「ねぇ、今日は好きに歩いてみなさい。昨日のリアンは“魂”ばっかり見てたでしょ」

 「……見えてしまうんだ」

 「なら、今日は“生きてる方”を見なさい。目の前の、温かいやつ」

 サラが指差した先では、老人が孫に飴を渡して笑っていた。

 リアンは少しだけ息を呑む。

 戦場で焼けた風景を見慣れた眼には、眩しいほどの光景だった。


 「……こういうの、懐かしいな」

 「でしょ? たまには悪くないでしょ」


 そのとき、ふと横道から淡い風が吹き抜けた。

 香草と花の混ざった香り――昨日の記憶がかすかに蘇る。

 リアンは立ち止まり、通りの奥へと視線を向けた。


 「……この匂い」

 「また、感じる?」サラが眉を上げる。

 リアンは頷く。

 「導きでも瘴気でもない。……“生きた紋章”の気配だ」


 通りのざわめきがゆるやかに遠ざかる。

 細い路地を抜けると、陽が斜めに差し込む小道の先に――

 小さな看板が風に揺れていた。


【紋章工房 アトリエ・セラ】

——“あなたの想いに、形を。”


 「……やっぱり」

 リアンが小さく呟く。

 サラは肩をすくめた。

 「ふぅん、結局ここに戻ってくるのね。まるで“導かれてる”みたい」

 「……かもしれない」


 扉の鈴が、ちりんと鳴る。

 その音に反応するように、微かな光が工房の奥で揺れた。


 作業台の向こうで、セラが顔を上げる。

 淡い光をまとった髪が、陽を受けてきらめいていた。


 「――お帰りなさい」

 彼女の声は静かで、けれど温かかった。


 サラが小さく笑う。

 「やっぱりあんた、目をつけられてるわね」

 リアンは肩をすくめたまま、工房の空気を深く吸い込む。

 昨日と同じ香り。けれど少し違う。

 どこか“新しい何か”が、息づいているようだった。


 工房の奥には、柔らかな光が満ちていた。

 棚に並ぶ瓶の中では、小さな光の粒が静かに瞬いている。

 セラは作業台に腰をかけ、赤と白の花を一輪ずつ手に取っていた。


 サラは興味なさそうに棚の猫を撫でながらも、ちらりと視線を向ける。

 「へぇ……これが、紋章師の“お仕事タイム”ってやつ?」


 「はい。地味ですけど、一番大事な時間なんです」

 セラは微笑み、赤い花に指を触れた。

 ふっと光が揺らめき、花の中心から小さな結晶が浮かび上がる。

 淡い赤色の光を帯びたそれは、まるで息をしているようだった。


 「これが“素材”の核、《根本素材》です。どの花でも形は同じ。

  生きる力の“骨格”のようなものなんです」


 そう言って今度は白い花に手を伸ばす。

 すると、現れた結晶は先ほどとは違い、薄く透き通るような光を放っていた。


 サラが眉を上げる。

 「……同じ花なのに、形が違う?」


 「ええ。こっちは《個性素材》。

  根は同じでも、咲いた場所や受けた風が違うと――宿す“記憶”が変わるんです」


 リアンはその言葉に頷き、結晶を覗き込む。

 「同じ命でも、歩んだ時間が違えば、形も変わる……か」


 「そうです。だから紋章師は、それを“どう繋ぐか”を考えるんです」

 セラは二つの素材を並べ、指先でそっと線を描くように空をなぞった。

 「形は変えられません。でも、“どこに置くか”で意味が変わる。

  火なら起点に、風なら流れに、祈りなら中心に――。

  その配置を設計するのが、私たち紋章師の仕事です」


 サラが腕を組んでにやりと笑う。

 「つまり、顔より中身ってことね」

 「……そう言われると少し違いますけど、近いかもしれません」

 セラが照れたように笑うと、リアンが吹き出した。


 「でも、わかるよ。その“置く場所”がずれれば、魂の流れも乱れるんだ」

 リアンは静かに結晶を見つめる。

 (導くことも、同じかもしれない……形は変えられない。

  けれど、どう繋ぐかは、俺の選択だ)


 セラはふと真剣な顔に戻った。

 「この白花の《個性素材》が足りないんです。

  旧市街の奥――遺跡のそばに群生してるんですが、

  今は瘴気が濃くて、誰も近づけないんです」


 サラが顎を上げる。

 「なるほど。瘴気地帯の花、ね。……面白そうじゃない」


 リアンは少し考え、静かに言った。

 「行ってみよう。君の分も、俺の分も」


 セラは目を瞬かせる。

 「そんな……危険かもしれません」

 「大丈夫。俺たちは“見届ける”のが仕事だから」

 サラが笑って肩をすくめた。

 「ま、行くと決めたら止まらないのよ、こいつ」


 リアンは微笑み、テーブルの上の花に視線を落とした。

 「“導く”だけじゃない。――今度は、“刻む”ために行く」


 その言葉の意味をセラは理解できなかった。

 けれど、その声音には、形にならない“祈り”のようなものがあった。


 風が工房を抜け、瓶の中の花弁がひとひら舞う。

 その瞬間、三人の間を包む静けさに、

 どこか新しい始まりの予感が漂っていた。


白花の群生地に、風は吹いていなかった。

 瘴気の底に沈むその遺跡は、まるで“記憶”そのものを閉じ込めているようだった。


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